紙の本
フランス生まれの風変わりな美術家デュシャンの言葉が蘇ります!
2020/04/15 09:49
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投稿者:ちこ - この投稿者のレビュー一覧を見る
本書は、フランス生まれの美術家で、20世紀の美術に決定的な影響を残したとされるマルセル・デュシャンが語った言葉を収録した貴重な一冊です。デゥシャンは、画家として出発したのですが、油彩画の制作は1910年代前半に放棄しており、風変わりな人生を送ったことでも知られています。同書の中には、その風変りで、しかし、単純明快な彼の思想が現われた一言が満載されており、例えば、「絵描きであるということはには、実際何の意味もないのです。それは今日でも確かな事実です。人が絵を描くのは、いわゆる自由な存在でありたいからです。毎朝毎朝、会社へ出かけていくのは嫌なのです」とか、「お金を十分に稼いでいる人で、しかも彼ら自身、ほかに芸術家とか職人とか称している、暮らしを立てていけない人びとが存在していることを理解している人がいることが、よくわかっていたのです」とか、さらに「どんな天才の産み出したものでも、本当に重要な価値のあるものというのは、実に一生の間に4つか5つかしかないものです。あとの残りは日毎の時間つぶしでしかありません」といった言葉が私の心に残っています。デュシャンを知る一冊です!
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マルセル・デュシャンは、便器にサインをして、「泉」という題をつけて作品にしちゃった人。そんな”レディメイド(既製品)”というのをやりはじめた人は、一体何で、どうしてそういうコトを始めちゃったんだろうか。そう思って読んでみた。結局チェスする時間が欲しかっただけじゃないのぉ?という気もしないでもないが、全体として「ロックなオッサンや」という印象を受けた。かっこいいぜ。
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高校の時、デュシャンの「泉」がアリならばと、ぼーっとしてマックの灰皿にサインしたら店員に怒られました。芸術って難しい。
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買った本。
マルセル・デュシャンに対するインタビュー。一芸術家のインタビューでありながら、人生哲学としても読める。3度も読んだ。
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〈既製品〉を使った作品によって、美術の概念をひっくり返してしまったマルセル・デュシャン晩年のインタヴュー。拍子抜けするくらい穏やかで淡々とした印象だが、よくみると「エロスとは?」「巨大です」なんていうとっぴなやりとりがあったりする。すかさずなんじゃそりゃ?とつっこみながら読む本。
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マルセル・デュシャンに関する知識といったら現代美術の重要人物で、便器にサインした作品「泉」で世界を驚かせた・・・という程度しかなかった。
この本はそんなデュシャンの思考を知るには手っ取り早い一冊となっている。
美術を見る目にも知識にも乏しい自分が評価するのもどうかと思うのだが、ぐるっと一周して芸術家らしい芸術家・・・という印象を受けた。
人として接するにはやはり面倒なのが芸術家だと思うのだけど、そのこだわりの無さなどは逆に厄介な性格となっているように見受けられた。
でもその思想に個人的な共通点が見られたので、そういう意味ではシンパシーを感じてしまう。
理想的な精神状態と言えるかもしれない。
ただ多少矛盾して言い訳めいていたのは否めないかも。
今でこそその名声は確固たるものになっているようだが、生前のこのインタビューを読む限り、潤沢な資金があって創作活動できたわけではなかったようで、そのギャップに驚いた。
創作意欲自体あまりなさそうな印象だったので不思議ではない話だが。
ちくま学芸文庫所収で硬質なイメージかと思いきや、意外とさっくり読めたのはインタビュー形式だったからか。
「泉」に関してもう少し言及があるかと期待していたのだが、そうでもなく拍子抜けした部分もあったので無難な評価に留めておきたい。
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紛れも無く20世紀最大の知性の持ち主の一人だろう。
「透明な哲学」とでも例えようか
矛盾すらも矛盾なく受け入れてしまう想像を絶する透明性。
透明に相反する思想もまた透明だからだ。
あらゆる言葉を、とりわけ「自由」という言葉を陳腐化させてしまう
凄まじい精神の自由さ。
何を語っていても何も語っていないように見えるし
実際何も語っていない箇所も多い。
その驚くべき知性はは自分の幸福を全く曇らせず
あまりにも完全な人生を歩んでいるように見える。
悟りきった和尚と話をしているような痛快で透き通った生命の肯定がある。
ほとんど諦念と言ってもかまわないくらいだ。
この彼がほとんど「破壊」を意識せずに旧来の芸術を完膚なきまでに
叩きのめしてしまったのだから歴史というのは小気味がいい。
ただ、全くデュシャンを知らずに読むと逆にもったいないので
少しくらいは予習してから読んでみると良いでしょう。
アート史の中でただ「レディメイド」の創設者として理解するのではなく、
その真の創造性を理解した上で本書を読むとより深く物事がとらえられるようになるかと思います。
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人はこんなにも自由に生きることが出来るのだ!と思った一冊。
何よりデュシャンが素晴らしいのは、作品よりも彼の飄々とした佇まいにあると思われます。
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コンセプチュアル・アートやオプ・アートなど現代美術の先駆けとも見なされる作品を手がけた、20世紀美術に決定的な影響を残したマルセル・デュシャンの対話集。
僕の畏友、日本のコンセプチュアル・アートの旗手、シューゾー・アヅチ・ガリバーが最も影響を受けたというデュシャン。
ピカビア、ピカソ、スーラ、ブルトン、ブラック、ダリ、アポリネール、コクトー、ランボーなどその名を聞くだけで、それらにあこがれた若き日々が彷彿と蘇ってくる芸術家たちが日常のこととして出てくるので、わくわくしながら読んだ。
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デュシャンとカルヴァンヌの対話、語らせ方、語り方に焦点をあてて読んでいた。
自分の人生をどう語り、人が遺すのか。アーカイブ、語られなくては残らなかった言葉と思想について考える。つらつらと語られて行く時間に感動する。
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[ 内容 ]
論理的な説明をこえ、自由で知的な作品を展開し続けたマルセル・デュシャン。
革新的な作品の数々はもちろん、その思想や問題提起に触発され豊かな実りを生んだ芸術家はジョン・ケージら数知れない。
「幸運にめぐまれました」にはじまり、「私は幸せです」に終わるこのインタヴューは、希代の芸術家の生き方と感情、創造に向かって生きた言葉で開かれている。
なぜ作品制作を放棄したのか、ガラスを使うというアイデアはどこから生まれたのか、もっとも親しかった友人は…。
複雑で簡明、常識的で崇高、不思議と明るく、あっけらかんとした生の展開を通して、ある高度な精神的態度が力強く貫かれていく軌跡。
[ 目次 ]
「まったく驚くべき一生」
八年間の水泳訓練
何が別なものへの窓
『大ガラス』を通りぬけて
働くよりも呼吸していたい
カフェのボーイの生活をおくっています
[ 問題提起 ]
[ 結論 ]
[ コメント ]
[ 読了した日 ]
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彼は言う、解決などありはしない、問題がないのだから。
「芸術」はサンスクリット語で「つくる」という意味。カンヴァスに向かって何かをつくっている人=芸術家(アルテイスト)かつては職人(アルテイザン)と呼ばれていた。芸術家は君主制社会の中で人格を持ち、次の社会で紳士となった。
「階段を降りる裸体」
寝たり、立ったりしてるだけの古典的な裸体とは違った裸体をつくる。そしてそれを運動の中に置くこと。運動の静的なイメージをつくる。
マレーの高速度写真
http://artscape.jp/artword/index.php/%E9%80%A3%E7%B6%9A%E5%86%99%E7%9C%9F
http://scivis.hateblo.jp/entry/20100729/1280364842
デュシャン言う網膜的とは?→観念の芸術へ
アンリ・マティスたちを目から得られる刺激を楽しむ「網膜的」な絵画として批判。代わりに精神に快楽を与える新しいアートシーンを望んでいた。
http://www.ggccaatt.net/2013/10/08/%E3%83%9E%E3%83%AB%E3%82%BB%E3%83%AB-%E3%83%87%E3%83%A5%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%83%B3-%E8%84%B3%E3%81%AE%E8%8A%B8%E8%A1%93/
アンリ・マティス
http://d.hatena.ne.jp/keyword/%A5%A2%A5%F3%A5%EA%A1%A6%A5%DE%A5%C6%A5%A3%A5%B9
フォーヴィスムの中心人物。(フォーブとは野獣の意。原色・純粋色による荒いタッチ、形状の単純化や大胆なタッチが見られる。原色の狂宴の中にいる野獣。)
ザ・ブラインド・マン」泉の擁護
http://www.art-it.asia/u/admin_lec/seUiBftqE1R53Jzp0NyT/?lang=ja
ソシエテ・アノニム(株式会社)
http://artscape.jp/dialogue-tour2010/10001358_3388.html
タブローは何年かすれば死ぬ。そしてそれは美術史と呼ばれるようになる。
デュシャンは古文書学校に通っていた。芸術家の手仕事的隷属に対する一種の知的な地位の確率のため。
アヴィニョンの娘たち/ピカソ
http://www.art-library.com/picasso/avignon-ladies.html
西洋伝統的絵画の否定とキュビズムの先駆け
グランド・ジョット島の日曜日の午後/スーラ
http://shuchi.php.co.jp/article/1747
http://www.salvastyle.com/menu_impressionism/seurat.html
点描、隣り合う別々の点の色が混ざり合うことで視覚的に別の色として知覚されるという近代的な色彩理論に基づいて描かれたもの。
芸術家のメディアとしての側面をデュシャンは信じている。観客、大衆の介入。作品をつくる物と見る物という二つの極。
「仕事をしたいと思っていたのかもしれませんが、私には途方もない怠惰が根底にあるのです。働くことよりも生きること、呼吸することの方が好きなのです。私がしてきた仕事が、将来、社会的な観点からみて、何か重要性を持ちうるとは考えられない。だから、こう言ってよければ、私の芸術とは生きることなのかもしれません。」
死後の観客
シュルレアリスムには盲目的なところがある?
→シュルレアリストの最終的な意図は網目を超えた幻想的なところにある。
チェスの組み合わされた版の目は対立を意味する。
バンジャマン・ヴォティエ
https://www.google.co.jp/search?q=Benjamin+Vautier&oq=Benjamin+Vautier&aqs=chrome..69i57&sourceid=chrome&es_sm=91&ie=UTF-8
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デュシャンへのインタビュー集。
初期の作品への思いや、芸術というものに対する姿勢が述べられている。
数学やチェスが好きと述べるなど、意外とまともで論理的な人だと感じた。
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「ある天才がアフリカのど真ん中に住んでいるとして、どんなに毎日すごい絵を描いていようとも誰もその絵を見ないとすれば、そんな天才はいないことになるでしょう。
言い換えれば、人に知られて初めて芸術家は存在するのです。
とすれば、何十万という天才たち、つまり認められ、尊敬され、栄光をものにするために必要な術を知らなかったが故に、自殺し死んでしまった天才たちの存在を考えてみることもできるでしょう。」
今になって、有名なデュシャンの言葉「私はアートは信じない。信じるのはアーティストだ」の真意を理解出来た。
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とっても面白かった!最初はどのぐらい本当のことを話しているのだろう?どのぐらい「作って」話してるんだろうと思って読み始めていたのだけれど、言ってることが面白過ぎてすぐにどうでもよくなった。特に「もの」が評価されることの、評価する側の役割、何十年・百年となった時に実際に流行していたものと残る・残そうとするもののギャップ、現実と芸術史のギャップの話が興味深った。