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キリンヤガ みんなのレビュー

文庫 第31回星雲賞 海外長編部門 受賞作品

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みんなのレビュー45件

みんなの評価4.2

評価内訳

45 件中 1 件~ 15 件を表示

紙の本

ユートピアは留められない、ただ追いかけるのみ?

2005/10/10 14:39

6人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:銀の皿 - この投稿者のレビュー一覧を見る

 アフリカのある部族の昔の生活を再現し、古き良き風習をもう一度取り戻した社会を作ろうと設立されたユートピアの村、キリンヤガ。主人公の呪術師の目を通し、新しいものを望むことや新しいものが流れ込むことは避けられないのだろうか、という文明論的なテーマを持った幾つかの短編でまとめられたオムニバス長編です。舞台は地球外の惑星に作られた村という設定ですが、現在ある少数民族の保護された村にあてはめても、さらには現在の日本にあてはめても成立するようなお話です。
 薬や動力などの文明の良い点をを一度受け入れれば、畑の荒廃や貧富の拡大なども同時に受け入れねばならず、あともどりはできない。主人公は一人、新しいものが入り込むことをとめようとしますが、徐々にそれが内部から、外から、崩れていきます。主人公の孤高の姿は愚かしくもあり、気高くもあり、お話全体を物悲しい色合いにしています。それぞれのお話に挿入されている、呪術師の語る寓話もとても示唆的な雰囲気を良く出しています。
 知ってしまった新しい物を単純に捨てることはできない。不満や疑問が生まれない社会では生きる気力も生まれない。登場する人物の心理や行動が、現実にそうなったらそうなるであろうと納得してしまう描かれ方をしています。「ほとんどあらゆる種類の文学の諸相は皆それぞれ異なる形における実験だと見られなくはない。」と言った日本の科学者がいますが、このSFも言葉を使った一つの仮想実験のように思われます。
 エピローグの物語で主人公は言います。「ある社会がユートピアでいられるのはほんの一瞬なのだ。いったん完璧な状態になったあとは、どんな変化があってもそれはユートピアではなくなってしまうのだが、社会というのはそもそも成長するものなのだ。キリンヤガがいつユートピアになったのかはわからないーその瞬間は、わたしが気づかないうちにとおりすぎてしまった。」これは社会だけでなく、恋人や、家族や、更には一個人の幸福、というユートピア全てに通じることではないでしょうか。幸福とは変わっていく中で、常に追い求めていくしかないものなのかもしれません。ただ、どう変わることを選んでいくのか、に少しは関与できるかもしれないでしょうけれど。
 帯に、「SF史上最多数の栄誉を受け、21世紀の古典の座を約束された、感動のオムニバス長編」とあるのもあながちオーバーではないと思われる作品です。

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紙の本

幻のユートピア、ユートピアという幻

2011/11/16 18:52

3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:更夜 - この投稿者のレビュー一覧を見る

 かつて、日本は「鎖国」という事をしていました。
日本を守るためには、外国との接触を一切断つ(詳しくはそれだけではないのでしょうが)このSF小説は、
まさに「古きよき伝統を守るために、外部との接触は一切断つ」
それがはたしてユートピアだったのか・・・と何をどうすればよかったのか、読後、深いものを残しました。

 アフリカのケニアがすっかりヨーロッパ化されてしまった未来。
キクユ族というかつてのアフリカの民の生活を守るため、小惑星に「キリンヤガ」という村を作り
昔通りの生活を望む人々が移住して、外部との接触を断ち、守ろうとする。

 語り手は、キクユ族のムンドゥムグ(祈祷師)、コリバという老人です。
地球で、アメリカとイギリスで博士号までとったコリバは、自分がキクユ族である誇りを守るべく
もう、地球ではかなわない「キクユ族のユートピア」を宇宙に求めました。
それは太古の時代と全く同じ生活をするというもの。
機械にたよらない農耕だけによる自給自足、祈りやまじないで身を守る、男性社会、一夫多妻制。

 ムンドゥムグは、知恵者であり、キクユ族のすべてを握る存在。誰もが敬意を払い、畏怖の念を持つ存在。
そのためには、なんとしても「地球の二の舞」をさせないよう、外の文化を村の民に知られないようにするためには
時には、民に憎まれ、うとまれながらも、祈祷師であり、伝統の語り手であり、指導者であるムンドゥムグの存在は必要でした。

 前半は、頑ななまでに、キクユ族の伝統を守るコリバですが、後半は、だんだん、そのコリバが望む
「ユートピア」の崩壊を描いています。
移住当初、同じ志だった者たちと世代が変わると、結局、地球で起きたヨーロッパ化にならざるをえない。
それを、どうしても止めることができなかったコリバの失望。

 お互いの文化の良いところだけ、取り入れよう・・・なんていうのは、甘い考え。
コリバは、老人の知恵と経験で、それを知っていますが、若い世代は、「自分に都合のいいことだけに目がいってしまう」

 ムンドゥムグというのは、男性だけがなれるもので、後継者として賢い少年を選びますが、
賢いだけに、コリバの持つ信念にいち早く、矛盾を見つけてしまう。
確かに、学問をしたいという少女の願いは打ち砕かれ、最新の医学や機械で効率を求める人びとの気持、
「守るためには、排他する」という選択の数々は、コリバは確信していますが、たくさんの問題を抱えている・・・それが、「ユートピア」

 むごいことも、コリバは承知で、キクユ族を守ろうとする。傍から見ると、無謀ともいえる判断をします。
読み様によっては、コリバに全く思い入れができず、特に女性の描き方、扱われ方・・はひどいと反感を持つかもしれませんが
それこそ、ヨーロッパ的なものなのだと、気がつきます。
作者は、十分それをわかった上で、読者に問いかけます。

「ユートピアとは、何か」を。

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紙の本

理解は出来る 納得は出来ない

2021/08/22 10:22

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:マイティ ゼロ - この投稿者のレビュー一覧を見る

作品については他の方達が素晴らしいレビューを書いていらっしゃるので、主人公に感じた個人的な印象を。
主人公は高い教育を受けた頭脳明晰な人間です。
本人が望むなら文明社会で出世する事も出来たでしょう。
しかし主人公は原始的なマジナイをし、人類が蓄積した知恵や知識に目を背けて生きる道を選びました。
それは彼のワガママです。

彼は自分の大切なものを、他の全てを犠牲にしてでも護ろうとしました。文明社会を受け入れれば部族の暮らしは間違い無く向上する。しかし同時に『彼が愛する部族』は死ぬ。
彼は無能ではありません。自らの目指すユートピアが実現困難である事も理解していたと思います。
だけどそれは、諦める理由にはならない。大切なものが失われていくのを、ただ納得して見守る事は出来ない。
彼のエゴは周りを巻き込み、時に悲劇を生みました。
最期の行動も、彼の家族や友人達を傷つけるでしょう。
しかし譲れないものの為に闘い続けた彼の姿は、変わっていく部族の人達に強い印象と何かを残すかもしれない。
彼の人生は滑稽で迷惑で徒労に終わったかもしれないが、たまらなくカッコ良く、そして決して無駄では無かった、そう信じたいと思っています。

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紙の本

文明vs伝統

2000/12/19 23:55

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:ちゃぼ - この投稿者のレビュー一覧を見る

 テラフォーミングされた小惑星『キリンヤガ』。アフリカの大地が余すところなく再現されたこの小惑星に住むのは絶滅寸前の民族・キクユ族。西洋文明の侵略からキクユの純血と伝統を守るため、日々奮闘する老祈祷師コリバを主人公にした連作短編集。
 この作品に描かれるのはずばり、文明vs伝統。筆致は単純にして明解。西洋文明に犯されたアフリカ人を『黒いヨーロッパ人』と呼び、徹底的に情報を統制して民族主義に邁進するコリバ達の姿は、どこかの民族主義を掲げた独裁者を思い起こさせる。これは文明と科学を拒否し、伝統と調和に回帰しようとするある民族の辿った物語だ。
 では、民族主義万歳のお話かというとそうでもない。民族主義者ばかりだった第一世代の時代は何事もなく過ぎるものの、第二世代、第三世代と世代交代が進むにつれ、コリバは悪戦苦闘を強いられる。著者はそんなコリバとキリンヤガを高みから見下ろしながら、その全てを笑い飛ばす。結局、ユートピア小惑星キリンヤガも文明の侵略に抗うことはできず、民族主義者達の夢は文字通り夢と終わる。夢破れ自らの非力を悟ったコリバは、自らを老いた巨象に例えるのだった。
 『古い伝統と文化を守ることが、飢餓や疫病で失われる生命と多くの人間を犠牲にすることの言い訳になるのか?』
 歴史も人間の営みも、進むべきところへ進み辿り着くべきところへ辿り着く。誰も時間を逆に進めることはできない。

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紙の本

哀しい狂信者の物語

2001/05/05 04:31

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:森山和道 - この投稿者のレビュー一覧を見る

 テラフォーミングされた小惑星・キリンヤガに、滅んだ民族キクユ族のユートピアを創ろうとした男の物語。連作短編集形式で繰り返し繰り返し同じテーマが奏でられ、やがてクライマックスへとなだれ落ちる。

 これは、哀しい狂信者の物語である。静止した状態のユートピアがあり得ると信じ、失われた生活様式、慣習と伝統を取り戻そうとした男の。変わってしまってはそれはもはや、彼が考える「キクユ族のユートピア」ではない。だからありとあらゆる変化をもたらす可能性のあるものとの接触は、避けなければならない。もし接触を始めたら一つ一つ伝統が失われ、「もはやキクユ族ではなくなってしまう」。だからキリンヤガに留まりたければキクユ族として生き、キクユ族らしく振る舞わなければならない。キリンヤガに住むのはキクユ族だけなのだから。

 だが変わらぬものなどない。人間は林檎をかじらなくても知恵をもち、好奇心を持っている。智恵を持って世界を変えようとする。飛ぼうとする。外を覗こうとする。だがそれを許してしまっては「キクユ族のユートピア」は崩壊してしまうし、もともとキクユ族はそんなことはしない。そんなことをするのはヨーロッパ人だ。キリンヤガにはキクユ族しかいない。だからそういう者は排除するか、服従させなければならない。

 結果、ユートピアはディストピアとなった。だがこれこそは「キクユ族のユートピア」なのだ。けれども、ユートピアという概念そのものももともとはキクユ族にはなく、実は借り物なのである。

 と、こういう話である。

 「幸福」という概念そのものも生まれたのは200年前くらいのことらしい。世の中には幸福という概念がない人々もかなりいるのである。なにが幸福か分からないように、何が楽園なのかもわかりはしない。完璧な世界は完璧な故に閉じている。だがそこには成長はない。キリンヤガが文字通りインパクトによって彼の考えたキリンヤガでなくなることは、運命だった。

 と、「いろいろなことを考えさせられました」と書きたいところなのだが、どちらかというと著者のあざとさが目に付いた作品だった。もっとも象徴的な作品はやはり『空にふれた少女』。

初出:http://www.moriyama.com/1999/SF.99.6.htm#sf.99.6.02

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2004/10/14 21:05

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2005/04/23 02:00

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2006/07/18 19:35

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2007/08/16 01:22

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2008/06/05 13:40

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2008/10/30 01:28

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2009/11/15 23:15

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2009/11/30 22:14

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2010/01/28 21:06

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