紙の本
我ら「裸のサル」
2003/06/16 10:44
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投稿者:PNU - この投稿者のレビュー一覧を見る
ホモ・サピエンスをNAKED APEと呼び、自分と同属であるという感傷を遠ざけ、研究対象たる完全なる一動物として冷徹に観察する! 全ての動物中で最も優れた頭脳を持つはずでありながら、時には世界で最も愚かしい動物にもなりさがるこの複雑な種に、あのテこの手でアプローチする科学者の視点が興味深い。
次々と飛び出す珍説・怪説の嵐に知的好奇心をくすぐられる1冊だ。この説、著者だけが盲信してる極論ではなく、同様の説を唱える学者たちが存在することが巻末の豊富な引用・参考論文一覧から知れて驚き。
作中で引用された某調査でのアメリカの赤ん坊の睡眠時間が面白かった。一日につき睡眠時間が最も短いものは10.5時間、最も長かったものは23時間だそうである。23時間って…一日1時間しか起きてないやんけ。個人的には、この両極端の赤ん坊のその後の人生になにか違いはあったのかを知りたい。
どうせin vitroでもin vivoでも実験のできぬ進化という永遠の謎がテーマなのであるから、真偽を問うより〈へえ、そうかな? ヘンなの〜〉と無責任に楽しむが吉。そして読後、著者の憂う未来は一読者にはあまりにも重いけれども、われわれ裸のサルという種の行く末に思いをはせてみるのも良いだろう。
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一生に一度は読むべき超名書。
人間も動物だ。
でもこんな名著なのに、この表紙の絵はどうかと思う。私が読んだやつは、ただの赤い表紙のハードだった。たしか。
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3月12日読了。人間を「裸」という特徴を備えたサル、と仮定してその進化の必然性を論じた本で、動物学の古典だそうな。ある事象について考えるとき、その特殊性を「何となく当然のこと」と印象で考えると考えはどこにも広がらないけれど、「類似の事象はないか」「他と比較するとどうか」といったことを、実例やデータをベースに検証していくと興味深い仮説を導くことが出来るものですね。前半の面白さが後半になると断定的・胡散臭げな言説になっていくのが玉にキズか。
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第1章 起源
第2章 セックス
第3章 育児
第4章 探索
第5章 闘い
第6章 食事
第7章 慰安
第8章 動物たち
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購入済み
内容(「BOOK」データベースより)
わたしたちは人類を生物界において至上孤高のものだとみなしている。しかしそこには一つの重大な認識―人間は霊長類の中で、ただ一種の体毛のない「裸のサル」にすぎないという事実―が抜け落ちている。本著では動物行動学者デズモンド・モリスが、人は「裸のサル」であるという観点から、人間の諸行動を鋭く観察し、奥深く分析していく。高度な文明を獲得したと思っていた人間が、いかに動物本能に支配されているかを思いしらされる一作。
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322夜
ところで、この小説の中で最後に狂気し、自分の妻子を襲う主人公は果たして人か、魔か。それがこの小説のテーマの一つである。最後まで来ると、主人公は明らかに「人ではない」。しかし、どの時点から人でなくなったか、これがむずかしい。狂気と思われる状態からついには「魔」に至るまで、いわば完全に連続であり、歴然とした境界がない。ここまでは常人、ここからが狂気、その先は魔。そういう仕切りが見当たらない。
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初めて読んだのは中学生のときでした。・・・カルチャーショックを味わいました。
竹内久美子先生の利己的遺伝子に関わる著書とあわせて読むと、さらに面白いと思いますv
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大学の文化人類学の教授のお勧め本だったので、読んでみた。
内容…
「"動物学的に"人間を視る」…ということは、大多数の人々たちの間では、(暗黙の?)タブーでした。
人間は「未知」の動物である、と仮定すると、まず最初に目に飛び込んでくるものは、毛がなく、露出したつるつるの肌。他にそんな動物はめったにいない。
そこでデズモンド・モリスはヒトに「裸のサル」と名付けました。
NHK「ダーウィンが来た!」で動物を紹介するのと同じように、ヒトの生態を暴いてくれます。面白い。
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人間とは、体毛のないツルツルの肌を持ったサルである。
服の発明によって体毛が減少したって、どの本で読んだんだっけ?
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どうして人間は「毛のないサル」になったのか?意外と性的な意味合いが大きいらしい。進化の過程で毛を放棄したくせに、頭の毛は後生大事に美容院でセットしたり育毛剤でそだててみたり、変な生き物、人間。
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人類。万物の霊長として、動物とは一線を画す存在足るのか。
それとも、あくまでも進化したサルに過ぎないのか。
日常的には我々人類が、サルという種の延長であることはあまり意識されることはないはず。時に意識に思い浮かんだとしても、それはあくまでも高きから低きを見下ろす、いわば幼少期を思い出して懐かしむ大人の感傷といった程度のものに過ぎない。
「元々サルである我々人類は〜」と大上段に振りかぶって、原点回帰を訴えるのはナンセンス。大人が子供に戻れないように。しかし、原点から大きく誤った方向へ進んでいるのなら、もう一度出発点を見返すのは無駄ではないだろう。
セックスや育児・食事や闘争などに関する人類の行動を、サルを起源とした視点から見直す本書は、高度に進化した頭脳と文化を持つはずの人類がいかに多くの部分を、サル時代から動物としての反応を引きずっているか書かれている。
それはおかしくもあり、恥ずかしくもあり、考えさせられる。
はたして人類は正しい道を歩んでいるのか。
特に「闘争」の項は、さまざまな便利を手に入れた人類が、戦いすらも簡単便利な方法を見つけたために起こってしまった制御不可能な攻撃性について新たな見方を教えてくれる。
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これもロングセラー。人間を地球上唯一最高の動物としてではなく、動物、猿のいち種類として並列で比較した時の分析。人間は霊長類の中でただ一種類の体毛がない猿に過ぎないという事実。ここを出発点に、「生殖」「食事」「狩り(=労働)」「戦い」や「他の動物との交流」を捉え直し評価している。こうしてみると、ほとんど猿(動物)と同様かそれ以下のことも多いし、自覚はないがいまだに本能に支配されていることが多いことにも気付かされる。一方、動物と異なるのは、打算的な判断をすること。人間以外の動物に「まあいいか」「なんとかなる」という判断、行動はない。結びの言葉に、「このまま人間が増え続ければ他の動物が生きられなくなることは目に見えている。」という警句があるが、この本が書かれた1950年代後半から、状況は全く改善されていないことを考えると、この先の見通しは明るくないなあ。
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ほんとに?と思う説も多かったけど、私たちの習性には生物学的な遺伝がたくさん残ってるんだなぁと、新たな気づきになった。