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19世紀末、日清戦争が勃発し日本が勝利を得る。日本が強いというよりも、清の軍人が国への忠誠心を欠いていたことがその原因のようである。また、真之は米西戦争を観察し、閉塞作戦をまさに目前でみることとなり、のちの日露戦争に役立てる。一方、子規の病は悪化をしながら、彼は短歌・俳句を確立しようと奮闘していた。
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子規庵での真之と子規の会話がすごいすき。
ここのかきがらの表現がすごい好き。
「たとえば軍艦というものはいちど遠洋航海に出て帰ってくると、船底にかきがらがいっぱいくっついて船足がうんとおちる。人間もおなじで、経験は必要じゃが、経験によってふえる智恵と同じ分量だけのかきがらが頭につく。智恵だけ採ってかきがらを捨てるということは人間にとって大切なことじゃが、老人になればなるほどこれができぬ」
と、
「美に基準はあるまァ。あしは、美に一定の基準なしとおもうとるぞな。美の基準は、各個人の感情のなかにあり、同一人物でも時が経つと基準が変わる。あしは、美に一定基準なしとおもうとるけん、なにが名文かは、それを読んで感ずる人次第ぞなもし、清サン」
人と人ってもともとちがうもの。
自分の感情、人の感情、人其々。
自分というものを持ちつつ、
人の優れたところをみる目こそ必要じゃ。
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時は世界の荒波へと急展開していく。日清戦争の開戦、終結。そして、日露戦争へ
購入 2007/1/30
読了 2007/3/17
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有名人がいっぱい出てきておもろい。
近代史を振り返ってる。
でも、司馬史観と言われるだけあって、歴史小説だとこの歳になって思う。
あくまでも小説。だから面白い。
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2巻に入り、物語も盛り上がって参りました。
この巻では主に日清戦争あたり。
いやー、登場人物がやっぱり熱い!
いいですねー。こういう雰囲気。
主要な人物はもちろん、外交に走り回る政治家たちや、外国の諸人物も魅力的。
このままどんどん読み進めていきましょう。
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日清戦争は清側が弱すぎた。結果から見れば、清は朝鮮に乞われて朝鮮を支配下に置こうとしたが、日本からの軍事的圧力に抗しきれず戦端を開き大敗した。その後の日露戦争でも、朝鮮は同じような役回りを演じる。日本を含めた極東の戦乱が朝鮮から始まるのは、現代でも非常に示唆に富んでいると思う。
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時代は日清戦争に突入していく。
明治のこの時代のことは、社会の教科書でさらっとしか書かれていませんでした。
今、改めて学んでおります。
秀逸すぎる文章は下記。
日清戦争の全ては、これに集約されると思われる。
「要するに日清戦争は、老朽しきった秩序(清国)と、新生したばかりの秩序(日本)とのあいだにおこなわれた大規模な実験というような性格を持っていた。」
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やっと借りれた。日清戦争や日露戦争については社会の授業でさらりと読んだだけだったけが、今あらためて思えば、日本が中国やロシアに勝つとは本当に万が一にも無いことだよね。よく勝てたなぁ。国際社会における伸び盛り日本と伸びるだけ伸びた中国。対照的だ。スペインもあんなに大きかったのになぜ凋落したのか、中国がなぜ敗れたか、ロシアが小国だったのがなぜ今のように拡大できたかが、秋山兄弟を通じて垣間見える。むーん。歴史の勉強でもあり、会社経営とかにも役に立つなぁ。
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秋山真之「人間の頭に上下などない。要点をつかむという能力と、不要不急のものは切り捨てるという大胆ささけが問題だ」本はどういう名著でも数行、まはは数頁しか記憶しない。気に入ったくだりは覚えてしまい、あとは殻のように捨てる。英国はアメリカ征服の際、好戦的なイロコワ族を利用し、インディアン同士で抗争させあせ、またこの力を借り仏軍の南下を防がせた。日露戦争前の中国において、英国にとって、この地方のイロコワ族として目をつけたのが…日本であった。
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一応日本人の主人公三人がいるものの、ロシアの歴史的背景云々など歴史的知識や薀蓄がやたらと多い。半ばは歴史エッセイ。
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歴史というと、戦国時代をイメージするが、最近興味あるのは幕末後の話。
この時代の人々は私利私欲よりも国の為に仕事をしている。
そういう気持ちで政治を行わないと、よい国作りはできないのだろうな。
明治時代と今とでは教育が違うから国の為に働くという思想がなくなったのか!?
私自身国よりも、自分の老後が心配でそんな大きな考えはできないが、せめて政治
には関心を持っていこうと思った。
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司馬遼太郎さんの「坂の上の雲」の2巻目を終了。
主人公の1人である秋山真之の読書法と発想法が出ていました。
彼は、もの狂いじみた読書家だったそうで、
「目で見たり、耳で聴いたり、あるいは万巻の書を読んで得た知識を、それを貯えるという作用をもち、事あればそれが自然に出てくるような働きであったらしい」
と言われていました。
また、彼の発想法は、物事の要点は何かということを考えること。それを見つけるには、過去のあらゆる型を見たり聞いたり調べたりすることであったそうです。
「人間の頭に上下などはない。要点をつかむという能力と、不要不急のものはきりすてるという大胆さだけが問題だ」
「従って物事ができる、できぬというのは頭ではなく、性格だ」
と言っていたそうです。
これは自分の人生のテーマだと感じました。この要点把握術は永年の鍛錬が必要らしいとのこと。自分にとっての「坂の上の雲」となる教訓です。
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とうとう日本が戦争の時代に突入した。わずか一世紀ばかり前のことだとは信じられないような、壮絶な歴史描写であった。本当にこの時代は、後世にその名を知らしめている偉人(狂人?)たちがゴロゴロ出てきておもしろい。
伊藤博文が作った大日本帝国憲法が、首相の軍への法的拘束力を持たなかったため、博文や多くの政治家たちの意向とは真逆の方向へ、日本が進んでいったことは、今回初めて知った。日本は恐るるに足らない極東の小国であり、国際的な存在感は薄く、そのことが余計に日本人を昂揚させたことは違いない。
日清戦争の場面で、日本艦隊が、清の当時としては最新鋭の重艦隊に向かっていくところがある。敵を見定め、規模の差を頭脳でカバーし勝利した姿は、圧巻であり、勇ましかった。小村寿太郎が、李鴻章主催の晩餐会に招かれたとき、日本人の背格好の小ささを馬鹿にされ、「大男総身に知恵がまわりかね」といっていたのが思い出されるシーンであった。
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なんかいきなり子規が死んじゃったよ。好古が魅力的な人物で、真之が天才だってのもわかった。でもそれだけなんだよなー。うーん。
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列強による帝国主義が世界を支配する中、軍事と外交が華やかな時代。この当時、主に欧米世界が何を考え、どのような行動をし、その中で新興国である日本がどのように追いつこうかを描いている。
開国後間もない日本が、アジアの大国である清国との戦争に突入する。開国後、わずか数十年で清と戦争ができ、勝つにまでに成長しているところは、我々の祖先ながらさすがだといいたい。当時の帝国主義の中での成長にしても、戦後の経済成長にしても、極東の島国であるわが国がこれだけの存在感を示せるのは、誇らしくも思うし、そういう国民性なんだ、という運命的なものとも捉えられる気がする。
しかし、国の特徴ってかわらないものなんだなぁってある意味関心させられるところもある。ロシアはやっぱりロシアだし、米国は米国らしいふるまいをいつの時代でもやっているなって。日本もそうだと思うんだけど、軍事的にはそれも大東亜戦争までかなとも思う。日本は軍隊をもっていないのでしょうがないけど。