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「夏ものがたり―ものがたり12か月」の本の中で
水木しげるさんが妖怪に興味を持った
のんのんばあとの出逢いの話を読んだことがきっかけで
ぜひ読みたいと購入した本書。
のんのんばあは物事のすべてに垣根を持たず
命を尊み、自然を畏れ敬い、子供とも同じ目線で
大切なことを語りかけてくれるステキな人。
まだ昭和の始まりの混沌とした日本の古き良きものと
無知故に今の日本とはまた違った悪い面を抱えた時代。
その時代の日本の大人としては柔軟かつ想像力に豊な父と
大らかな母、兄弟、祖母のようなのんのんばあ、
多感な少年期の水木さんに甘酸っぱさと切なさを
教えてくれた女の子たちとの出逢いと別れ。
大好きな"小豆はかり"や、「桜大の不思議の森」にも登場した
"ひだる神"の話があったのもうれしかった!
どんな生活の中で何を感じ、何を想い、どう成長してきたのか
運命と縁に導かれて作られていく水木先生の誕生ストーリー。
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2014 6/10読了。京都駅近くイオンの大垣書店で購入。
水木しげるのエッセイ『のんのんばあとオレ』の漫画版。
エッセイ版に比べると大いに脚色が入って、物語仕立てになっている(要素は残っているけれども)。
そしてこれが小さいころドラマで見た「のんのんばあとオレ」の筋にあたる・・・読んでてすげえ懐かしい+頭の中にテーマ曲がリフレインしだした。
十万億土の話とか。エレベーターは天にも昇る心地・・・ではないよ、的なツッコミのところとか。墓場で脚が埋まって・・・とか。ああ・・・。これはドラマの円盤が欲しくなる悪い流れや・・・。
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水木しげる追悼の意を込めて再読。
昔NHKでドラマをやっていたが、それが面白くて今でも鮮明に覚えている。
境港=鬼太郎ロードで賑わっているが、賑わう通りを一本脇に入ると、ついと鄙びた港町が現れる。あそここそが、しげーさんの故郷なのだと、久しぶりに読んで実感した。
1922年生まれのしげーさんが、12歳くらいの時の話だから、時は1934年とかその頃。この境港でも人身売買がされていたことが驚きだった。神戸の芸者置屋に売られて行く7歳の少女。東京から肺病で療養に来て亡くなっていく女の子。銀行で働く傍ら活動映写機を使って映画館を始めたり、「勉強なんて落第しない程度にやっておいたらええ、今は今でしか財産をいっぱい作ったらええ」と言うへたれだけど素敵なお父さん。
鬼太郎よりももっと現実的な世界だけに、リアルな時代を生きる人を感じられて面白い。
子どもだからってごまかさないで真剣に話してくれるのんのんばあと、しげーさんは十万億土で再会していることだろう。
それにしても、コテコテの境港弁は、鳥取歴弱冠2年の私にはまだまだ到底未知の言葉だでね。
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それはなあ
千草さんの魂がしげーさんの心に宿ったけん心が重たくなっちょるだがね。
でもしばらくするとその重たさにも慣れるけん。心配はいらんよ。
身体は物を食うて大きくなるけど
人の心はなあ いろんな魂が宿るけん 成長するんだよ
小さい頃からいろんな物を見たり触ったりしてきちょるだろ
石には石の魂があるし 虫には虫の魂があるけんなあ
そげんさまざまな魂が宿ったけんしげーさんはここまで成長したんですなあ
でも ときに宿る魂が大きすぎることがあってなあ
これから先はもっともっと重たい魂が宿るけんなあ
でもしげーさんの心もその重たさをもちこたえるぐらいに大きくなって
大人になっていくんだでね
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・シーッ。「あーっ、なんにもついてない」「女だもん」
・「べとべとさん先へお越し」
・「生活のことばかり考えてても面白くもなんともないだろうが」
・イボの妖怪。
・千種「泣くもんですか。田舎の汚い子に涙なんか見せるもんですか!」
・小豆はかり。「どうして小豆なんかまくの?」「それは俺にもわからん。そういう存在なのだ」
・「死んだら十万億土へ行くの。ちっとも恐くない。境港に来て、本当によかった」
・「あっお菓子の木だわ。わたしほんとうは茂さんよりズイボなのよ」
・ドーナツの木。
・「その悲しみは宝物だ。ええ思い出をもらったな」
・ゆかりの人の心に少しずつ魂が残る。その重たさを持ちこたえるくらい大きくなって大人になって。
・たたりものけの家で河童と根性較べ。
・「肩書きなんかはどうでもええ。人間に大事なのは中身だ。バラは他の名前で呼んでもええにおいがする」
・吉川美和。可哀そうなお化けに話しかける。
・石の悲しさ。今日のお空はいたずら。
・洞窟に石を返し、妖怪劇場。
・人買い。人売り。
・「美和ちゃんがあんなにいきいきしとるのはだれのおかげじゃとおもっちょるんですか!」
・海で現れた美和のお母ちゃん。
・「でもな茂。不幸の中にも何らかの幸せの芽はきっとあるはずだよ。眠くなければ一晩でも二晩でも起きてたらええ。わしはのびのびと寝させてもらうけん」
・「美和ちゃんはなあ、たたりものけだっておとなしゅうなくらいに優しい心の持ち主だけん、きっと幸せになれるよ。ああ。なってもらわんと困るが」
いい。しげーも。恋人たちも。友達も。のんのんばあも。お父さんもお母さんも。
201908再読。
前回読んだときと今回読んだ現在の違いといえば、親になったこと、6期鬼太郎にはまっていること、くらいだと思う。
なのにおそらく前回と同じ感動と、異なる感動を同時に憶えていると思う。
間違いなく共通しているのは、懐かしさの質。
たぶん水木サンの執筆時、ひょっとすると少年時においてすらノスタルジーの対象だったかもしれない田舎の風景。
原日本がどうとか言い出すと胡散臭いが、このへんにそれを感じたいと思っている。
今回は親になって。
しげーの父親の良さがますますわかってくる。
いいのはきっと断定する口調かな。
さらにもう少し分析すると、少年の頃の世界の見え方が既にかなり多面的であることを、漫画は描いている。
ガキ大将を巡る戦争、家の生活、余所から来てはまたいなくなる女の子、ゆるやかにつながる共同体のメンバー(もちろんのんのんばあも)、趣味から夢へとなる画業、といったストーリー自体もそうだが、意外と水木しげるの漫画全体に言えることだけれど、単純なモノローグ視点ではない。少年の主観を軸にしつつ他者の視点を採用している。それが絶妙なところで、少年の想像が及ぶ程度の範囲に留められているからこそ、少年の理解の及ぶ範囲での群像劇、となっている。このあたりたぶん巧妙に作りこまれているのだと思う。
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水木しげるの少年時代を綴った漫画。エッセイなどでよく出てくるのんのんばあが年は離れていても水木さんの友達のようでおかしい。ガキ大将をめぐる争いがすさまじく、よく死人が出なかったなと思う。水木さんが恋する女の子と常に悲しい別れになるのが切ない。昔は簡単に人が死んでいった。そういう時代に妖怪信仰があったのは自然なことなのだろう。水木さん一家も味わい深い。何度でも読み返したくなる名作。
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妖怪ファン、水木ファンを自認している私なんだが、実際に彼の作品に触れた機会は、その殆どが幼少期に限定される。それ、ファンちゃうやんって話だけど、好きなもんは好きなんだから、ファンという立場を貫くことにする。そんな、なんちゃってな私は、本作を読むのも今回が初めてだったりする。当然、のんのんばあという存在と、彼女がしげさんに与えた影響も知ってはいたのだが、今回読んでみて、ばあのイメージがだいぶ違っていたことを知った。もっと偏屈なばあを勝手に思い描いていたから、ちょっと意外というか、勝手に違和感を持ってしまった。でも、なるほどしげさんに大きな影響を与えただけはあり、不思議な気配のある、魅力的な女性だった。たまにふと出てくる妖怪たちも、主張し過ぎてなくて良い感じ。
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どこからどこまでが、フィクションでノンフィクションなのか不思議なお話
作者の水木しげるにとっては全て本当のことなんだろうなぁ、と
不思議体験をこんな日常茶飯事は大変だろうけど、妖怪にはやっぱりあってみたいなぁと童心に帰りました