紙の本
「変わらなさ」を守っている僕ら
2002/08/12 18:35
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投稿者:k.m(夏バテぎみ) - この投稿者のレビュー一覧を見る
第1次世界大戦後、ポルトガルには暗殺、クーデター、インフレなどの様々な苦難が満ちていた。世界的にも苦難からの救済として、独裁政権が生まれていた。イタリアのムッソリーニ、ドイツのヒットラー、スペインのフランコ。ポルトガルでは経済学の教授であるサラザール博士が大蔵大臣として経済を立て直し首相に就任。その後36年に渡りその地位を維持し、独裁者となる。表面上はファシストでなくとも、教育や出版、言論には厳しく秘密警察も存在していたという…。この小説はまさにその時代に生きていたある新聞記者を描いている。大手をやめ、リスボンの小新聞社の文芸主任をつとめているペレイラ。
主人公のペレイラは変わらない日常を生きることにより、知識人としての国家への矛盾意識、体制的な社会への思いをどこかへ隠して来ていたのだろう。その「変わらなさ」だけが「安心」というわずかな支えとなって。
この小説には、主人公が一組の若い男女に出会って、それまでの「安心」に隠れていた「軋轢」を、心の中からじわじわと出していく過程が細やかに描かれている。あくまでも日常の繰り返しのなかに見え隠れしている微妙な「変化」をとおして。
それにしても再三登場する「国家」の抑圧。そこには「世間」という身近なつき合いの中まで浸透している、体制への忠誠心がある。そしてそれは、まったく「思考の停止」という状態でもあって、次々に共同体としての堕落につながっていった。人間本来の生き方や死に方などは認められず、ただ国家の一員としてのあり方だけが許されていた。個として思考し振る舞うことは時流への軋轢を生みし、命までねらわれる羽目になっていたのだから。
この恐ろしい「道のり」は未だなくならず、世界のどこかで繰り返されている。それでも必ず存在するのが、この小説の主人公のような葛藤と、その末の行動とが見せてくれる人間としての「自由な強さ」である。ただこの小説が共感出来るのは、英雄的な強さではなく、ごく身近に居そうな、弱くてしたたかな存在でもあるということ。だれしもが自由に素直に行動など出来るものではなく、むしろ常にどこか抑制を感じながら暮らしているのが現代であもること。そしていつの時代にも国家というものが、国民には気づかない内に、危険な方向にもいってしまう可能性をもつということ。
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評判の割には・・・今ひとつ面白いと思えん。妻に先立たれた肥満で不健康な小さい新聞社の文芸部編集長が、ある反体制派の若者と出会って、あと療養所の医者と話して、そんで少しずつ考え方が変わっていって・・・、という話。おそらく全編通じて、主人公ペレイラの供述調書という形を取っていて、本人が話したくないときは話さない(=書かれない)、という、ある種わがままな意思を持った地の文によって話は進む。確かにそれは面白い。というのも、地の文で書かれないことが説明不足だとか批判されうることがあるのだけど、それを最初から言い訳によって放棄しているのだ。そして、その都合のいい黙秘よって、主人公に対する叙述を暑苦しくなくしていて淡々と進む。それがいい味出してる。・・・それは認めるんだが、ミルハウザーの「エドウィン・マルハウス」と違って、信頼できない語り手を設定したことへの必然性が感じられないのが少し不満。おそらく、彼は逮捕されたんだろうけど、あの若者と会ってほんの少しだけアグレッシブになってきた彼が逮捕されるに至るまでにはもう一山ないと、不自然だと思うし、そっちのほうが聞きたい。供述ってのは洗いざらい喋る行為であって、それが途中で終わるのは納得いかないんですけど。読んでいる最中は結構楽しく読めただけに、これだけで終わったことが納得いかなくて、ぐだぐだ書いてみました。あとこれはタブッキの最高傑作のひとつかもしれないけど、同時に異色作でもあるらしく、いつものタブッキを知った上で読まないと、すごさに気づけないのかもしれん。
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それが身辺を侵食している事実に気がついた時、初めて人は、後戻りが利かないところまで来てしまった事に気がつくのかもしれない。戦火が目前に迫った1937年、リスボンのローカル新聞社で働く冴えない中年ジャーナリストが、圧倒的な権力に対し、精一杯の抵抗を試みる。不思議な読後感が味わえる異色作。
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第二次世界大戦期の、ナチズムの影響下にあったポルトガルを舞台にした政治小説。政治になど興味のない、しがない新聞記者が、レジスタンスの若い男女と出会い、自分も気付かぬうちに深く影響を受け、最後にはとんでもない政治行為をやらかす。
人間らしく生きることとは、行動するとはどういうことかを見事に描いている。それでいて分量も少なく読みやすい秀作。
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初のアントニオ・タブッキ本。何よりもまず「供述によるとペレイラは…」「…とペレイラは供述している」のこれでもかと言わんばかりの多用には辟易された。そして会話に「(カッコ)」をまったく使わず読みにくい点にも。ストーリはエンディングも含め全般的に平坦でなだらかな砂丘のよう。現代イタリア文学の旗手、タブッキの最高傑作らしいのだが、だとするとイタリア文学との相性はあまり良くないのか。が、もう1冊試してみる価値はありそう。
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これは初めて読んだタブッキの本。この本に衝撃を受け、タブッキにはまったのですが、後で分かったのは、この作品がタブッキ作品としては、(当時)かなり異質なものだったということです。
ポルトガルのけだるいような雰囲気に包まれながら、物語は静かに進んでいく。ごく平凡な(といってもインテリの)ペレイラが、ある青年との出会いをきっかけに、ある行動を起こし、その結果はタイトルの通り。タイトルで種明かしはされているはずなのですが、それでもなお、私は最後の一文を読んで「あっ!!」と声を上げずにはいられませんでした。うぶな私はなんてうまい小説なんだろう、としきりに感心。
なんでも映画化されいるそうなのですが、是非一度見てみたいです。
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分かったような分からないような・・・
それでも大好きで、何度も読みたくなってしまう。
イタリア語で読んだときと、翻訳で読んだ時の印象が殆ど変わらない。
それほど、翻訳の完成度が高いということだと思う。
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ある出会いから反政府活動に身を投じていく男の行動を描かれた、静かなる作家、タブッキの内なる情熱を感じる一冊。各章が全て「供述によるとペレイラは…」で、書き出されていることで、独特のリズム感とインパクトが生まれている。
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須賀さんの翻訳 ということで手にした本。
1938年のポルトガルが舞台。
ファシズムの影が忍び寄ろうとしている時代、
誰もがどう生きるか 悩み考えたのだろうと思う。
自分はどういう自分でいたいか、
そんなことをふと思い出したりするような本。
「供述によると・・・」と文章が進み、
主人公ペレイラの今に至るまでにも、いろんなことがあったことは想像できるが、それらの点は不明のまま終わる。
淡々と進む文章だが、ふつふつと熱くなってくる。
須賀さんの翻訳、そしてあとがきは絶品。
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スペイン内戦の頃のポルトガルの政治状況というのは、考えたことがなかったので、そういう面で参考になった。本題ではないが・・・。本題については、巻末の須賀敦子による4頁ほどの「訳者あとがき」が簡にして要を得ている。つい先日読んだ『インド夜想曲』とはずいぶん雰囲気が違うが、タブッキの語り口のうまさは同じように味わえた。
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文学を愛しているにも関わらず政治的にならざるをえない主人公。
あらゆるものが、政治とつながっていくというところや自らの意思に関係なく社会が個人の一生に影響を与えていくところは、現代でも変わっていない。
たましいの話が面白かった。人は変わっていくものだ。
紀伊国屋書店の追悼コーナーにて。たまたま見つけた上、インド夜想曲と間違えて購入。でもとてもよい本だった。他のタブッキ作品も読んでみたい。
時代背景とかも勉強したらいいんだろうな。
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政治的、というのは決して感情的に相手を罵倒する行為を指すのではない。それは日常的には利害の調整を図る行為であり、非常時においては自らの内面の誠実さを見つめなおす行為のことを指すのだ。亡き妻の写真に語りかけ思い出に生きるペレイラは若者との出会いを期に次第に今を生きる事を、自分が自分であることを選び直そうとする。しかし第二次大戦直前、サラザール政権化のポルトガルにおいてそれは必然的に政治性を帯びたものとなる。人間が人間であろうとすることが政治的とされる時代であり、弱さを受け入れることが敗北とされる時代だった。
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前出の2作品が主に独裁者そのものに焦点をあてているのに対し、こちらは抑圧される側の市民たちを描いた作品です。
舞台は1938年のポルトガル。
独裁政治が敷かれるなか、さえない中年の新聞記者であるペレイラは、大新聞の社会部記者をやめ、小さな新聞社の編集長として働いていました。
そこで偶然、政治運動を行う青年と出会ったことから、ペレイラの運命は大きく揺れ動いてゆきます…。
夢と現実が行き交う、幻想的な世界を描き続けた、イタリアを代表する作家・タブッキ。
この作品はタブッキとしては珍しく、政治・社会性の強い内容になっています。
とは言え、彼ならではの詩的な表現、巧みな物語構成は全く失われておらず、その稀有な才能に圧倒されるばかりです。
人間から尊厳を奪い、暴力で支配しようとする独裁政治のなか、個人はどう生きることができるのか。
3人の巨匠たちはそれぞれの方法でその問いに答えを見つけ出そうとしています。
文学の真の価値とは、そういった人間の根源的な在り方、生き方を見つめ直すきっかけを与えてくれるところにあるのかもしれません。
私自身、まだまだ理解が足りない点も多いので、機会を見つけて何度でも再読したい名作です。
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夏を過ぎたあたり、初秋ごろに読みたくなります。20世紀末のヨーロッパファシズムへの対峙が、ポルトガルのベテラン新聞記者という、年を重ねた人間から語られるのが魅力。少しずつ変わっていくペレイラの「なんとなく」感が、ペレイラ最後の文芸コラムに活写されるのがすがすがしく、圧巻。
未来に希望を託したくなる本です。余談ですが、ペレイラの働き方が少しうらやましい。それも含めて、20世紀の良さと悪さを郷愁を感じつつ(もちろん当時を生きてはいませんが)、さらにその未来を生きる我々に投げかける問題にはっとしました。
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第二次大戦が目前に迫り、隣国スペインからのきな臭い情勢が聞こえてくる中、中年男性の主人公ペレイラは毎日香草入りのオムレツを食べ、レモネードを飲み、新聞の文芸欄に載せるコラムを執筆している。南ヨーロッパのきつい日差しに熱せられた気だるさを抱えながら、彼の生活と心持ちは小さな事件を積み重ねていきながら、少しずつ変わっていく。戦争の残虐さやレジスタンスの勇敢さはかなり薄められているが、支配と屈服が当然だった時代に、派手さはないが限りない勇気を示した1人の男の物語。