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紙の本
大量殺人、及び集団自殺
2002/06/15 12:44
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:トリフィド - この投稿者のレビュー一覧を見る
そもそもこの本は、大量殺戮及び集団自殺で1000人ほどが死んだ、
人民寺院事件の本を読むつもりで勘違いして買ってしまったのだっ
た(紛らわしい名前だ)。そういうわけで、太陽寺院事件に関して大
して興味がないまま読んだのだが、それでも非常に興味深く読むこ
とができた本であった。
太陽寺院事件は、1994年の秋に、スイス、フランス、カナダでカル
ト教団太陽寺院が起こした大量死事件である。日本でもそれなりに
報道されたはずだが、惨劇が生中継されてしまったアメリカのウェ
イコ事件と、われわれの身近で起きたオウム事件に挟まれた時期に
起きたこともあって、74人も死んだ壮絶な事件であるにも関わらず、
たいした印象が残っていない人がほとんどなのではないだろうか。
相対的に地味な事件ではあったものの、しかし細部を知ると、なん
と異様で、そしてお馴染みな事件であることか。カリスマ的な教祖
のもと、奇怪で幼稚な教義にとりつかれた人々。異様な建築物に、
意味不明な事件。そして右往左往する関係当局とメディアの姿。こ
れらはみな、オウム事件の時に日本でも見られたものだ。社会的地
位もある一見まっとうな人々がカルトに呑み込まれて行く過程も、
日本でもアメリカでもヨーロッパでもまるで同じ。これはもう人間
が持つ固有の欠点、不具合としか言いようがない。
太陽寺院事件自体だけでなく、ヨーロッパにおけるカルトをめぐる
状況を知るにもよい本である。その関係に興味のある人はぜひチェッ
クされたい。
紙の本
カルト教団の崩壊。
2002/06/21 19:41
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:凛珠 - この投稿者のレビュー一覧を見る
私も人民院事件と勘違いして購入してしまったのだが、結果的に太陽寺院事件という未知の事件を知ることが出来た。事件が起こった頃には私は中学生だったわけだが、当時はオウム事件一色だったせいか、この事件のことは全く知らなかった(だから人民院事件と間違えたのだ)。
私は片仮名が苦手なもので、人名の区別などに手間がかかり、読むのに少し苦労したのだが、それは私のせいであって、本書自体はとても読みやすく書かれている。推理小説さながらの巻等の人名一覧も便利だ。
そして参考文献に対しての作者の考え方。私は専門書であろうとノンフィクションであろうと小説であろうと、参考文献は出来るだけ明記して欲しいと思っている。その本を読んで興味を持ち、さらに知りたいと思った時に参考文献があげられていれば、非常に役立ち、嬉しいものだ。作者が言うように「礼節」や「エピソード」としての役割もあると思う。
はじめから人を騙して金を儲けようと思っている確信犯はともかく、カルト教団に騙される人の気が知れないと思う。当事者にならねば分からないのか。とはいえ、現実世界では得られないものを求めて教団に入信しながらも、結局は家族や自分の命さえ失なってしまうのは虚しいものだ。
紙の本
フランス、スイス、カナダを舞台に奇怪な集団死事件をおこした太陽寺院とは!?──辻由美のノンフィクション
2000/11/22 21:15
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投稿者:藤崎康 - この投稿者のレビュー一覧を見る
いやでもオウム真理教事件を連想させる、太陽寺院事件。本書は、テンプル騎士団、薔薇十字団などの神秘主義思想のパッチワークからなる教義をもち、1994年〜97年にかけて、フランス、スイス、カナダを舞台に奇怪な集団死事件をひきおこした太陽寺院をめぐる、きわめて興味深いドキュメントである。
まず何よりも、「世界の翻訳家たち」で日本エッセイストクラブ賞を受賞した著者、辻由美氏の文章がすばらしい。生硬な表現をいっさい使わず、簡潔でしまりのある文章を繰りだす辻氏の筆づかいに誘われて、300ページをあっという間に読了してしまう・・・。彼女の文章は、モノ書きを目指す若いひとたちの格好のお手本になるはずだ。
むろん、それだけではない。みずからヨーロッパに足を運び、図書館に日参し、関係者に取材を重ねるというフィールド・ワークを根気よく続けた辻氏のエネルギーが、読む者の身体にピリピリと伝わってくる点も、特筆すべきだ。長いこと、ワケのわからない「現代思想」系の文章や、切れ目のない「牛のよだれ」系の文章に辟易してきた私などには、彼女のセンテンスのひとつひとつが妙薬のように心地よい。
それにしても、「カルト」教団の教祖たちの妄想や、その集団の力学は、紋切り型といえるほど酷似している点が不気味であり、今後も、こうしたパラノイア的グルに率いられた狂信集団は、共同体的規範が解体し、人間関係がいよいよ間接化している先進国の成熟社会で増えつづけるにちがいない──本書を読むとそうした思いに暗澹とならざるをえない。
さて、太陽寺院の指導者たちも、他の「カルト」におけるのと同様、判で押したように世界の終末を強迫的に恐れつつ、黙示録的妄想に呪縛されていく。そして、3流SFから出てきそうなサバイバル・センターを建造したり、自分たちだけが「シリウス星の指令にしたがって」(!)秘儀を伝授された賢者であると確信したり、あるいは「宇宙的なものとの結合」を目指したり、「有害な波長」の発生源を根絶、浄化せんとする、いわなる「清潔ファシズム」にとりつかれたりもした。
また、指導者が、信者にとりついた前世の悪しきカルマを落とすと喧伝したり、心理カウンセラーが幹部にいて勧誘活動をしたり、さらに指導者が旺盛な性欲の持ち主で、まことしやかな口実をもうけては、何人ものセックス・パートナーを独占する「エロティックなグル」である点も、オウムや、人民寺院、ブランチ・ダビディアン、チャールズ・マンソンのファミリーとそっくりである。
空海の例をひくまでもなく、性的恍惚は、宗教的法悦ときわめて近いエクスタシーである。そして、宗教的なるものは、一見、正反対にあるかのように思える性的な歓喜を舌なめずりして求めているとは、山折哲雄氏の言葉だが、とりわけ「カルト」では、教祖の性的欲望があられもなく噴出する点は、今後さらに解明されるべき点だろう。
いずれにせよ、著者が太陽寺院の集団死事件に興味をもったのは、地下鉄サリン事件がきっかけだったという点にも窺われるように、「カルト」的なもの、新たなる呪術的なものは、いまや、成熟社会に蔓延する「悪しきカルマ」なのかもしれない。なお、太陽寺院事件をめぐる、いまだ未解決の謎に肉薄する著者の視線は、とくに後半の数十ページにおいて鋭さを加える。その部分のサスペンスは息苦しいほどだ。 (bk1ブックナビゲーター:藤崎康/現代文化論 2000.11.24)
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