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紙の本
道の示すもの
2003/05/07 03:00
6人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:鳥居くろーん - この投稿者のレビュー一覧を見る
≪道とは恐るべき字で、異族の首を携えてゆくことを意味する。≫
≪それは戦争などのために敵地に赴く軍を、先導するときに用いられる。そのとき異族の首を、呪具としたのであろう。首狩りの俗が行わたのも、そのような呪的行為に用いる必要からであった。≫
血なまぐさい。普段私たちが何も考えずに使っている漢字の成り立ちは、意外にも野蛮だ。しかし、その情景を思い描いてみればわかることなのだが、それが決して悪いことだとは思えない。神への畏れも呪いへの怖れもそこに刻まれる。遠い古代の人々の吐息がここまで届く。文字の陰にわずかににじんでいる血が、人間の根底にあるものを示してくれる。
漢字は呪具だ。甲骨文をはじめ、かつてはそのように用いられ、やがて政治、思想、芸術、実用の道具などへと様々に転用されて、日本にも浸透し、今に至った。その文字体系はすでにひとつの思想体系であり、アルファベットや仮名に比べれば、重々しいものかもしれない。
しかし、逆に、時には当て字やなぞなぞなど言葉遊びとして、あるいは反射的なイメージを喚起するキャッチとして、漢字は今もなお身近にある。その成り立ちが霊感を呼び起こすための呪具であるとするならば……商品のタイトル、あるいはポスターや雑誌の見出しに踊る漢字は、むしろ、先祖帰りしたそれであるように思われる。
ただ近頃はカタカナやアルファベットが目に付くようになった。その効果を否定するつもりはないが、呪具すらも捨て、音だけの世界にさらなる先祖帰りを図ろうとしているのではないかと、私は勘ぐってしまう。現代日本の大衆文化において音楽だけが突出してしまい、しかもその中核を担うグループ名や曲名のことごとくがカタカナかアルファベットであることが、なんだか象徴的に思われるのだが……気のせいか。
何かへの畏れがなければ呪具はいるまい。異族の首をかざして道を清める必要もあるまい。したがって……彼らには道も要るまい。それが道でなくMICHIで満たされるのならば。あるいは未知が、私たちにとっての道標であるのかもしれない。
紙の本
白川静と同世代人であることの幸福
2001/02/18 23:20
4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:オリオン - この投稿者のレビュー一覧を見る
以前、NHK教育で『文字の宇宙』という番組を観たことがある。「孤高の学者・白川静」をテーマとしたもので、こういう番組を月に一度くらい観せてくれるなら、受信料はけっして惜しくないと思える出来映え。その構成・編集の技量と水準もさることながら(タイトルに出てくる「の」を渦巻き模様で表示した、制作者のセンスにまず痺れた)、やはりにじみ出る素材の素晴しさが圧倒的だった。
「漢字は単なる記号ではない」と、文字誕生以前の古代人の意識のはたらきを「図象」や漢字(甲骨文・金文)の形のうちに読み取らんとする、今年八十九歳の白川氏の鬼気迫る(しかし泰然として自在な)「狂狷」の徒ぶりが深く心に刻まれ、その余韻が「生きる勇気」のようなものとなってすがすがしく残る。
さて、番組で取り上げられていた「白川文字学」をめぐるいくつかの話題から、ここでは「音」と「器」の字の成り立ちをメモしておく。(いずれも著書に詳しく記されている事柄なのだが、本人の肉声と筆跡でもって語られると、文字生成の現場がそこに出現──再現ではない──しているかと思わせる、ときめくような臨場感がたちこめてきた。)
許慎の『説文解字』で「告」は「牛」と「口」に分解され、牛が何事かを訴えるため人に口をすり寄せている形であるとされる。しかし白川氏は、甲骨文や金文の字形との比較から、上部は小さな木の枝であり下部はそれに繋げられた祝詞を入れる器の形[「日」の横三本のうち最上部を省略した形に似たもの。以下「*」と表示]であるとする。つまり、告げるとは神に告げ訴えることだというのだ。
ここから、たとえば「可」は「*」を木の枝で呵しながら祈りの実現を神に要求する意であり、これを上下に重ね、さらに口を開けて立つ人の形を配すれば「歌」となる。また「言」は「辛」(入墨に用いる針の形)と「*」から成り、我が誓い・祈りに虚偽あらば神の罰(入墨の刑)を受けん、との自己詛盟(うけひ)を示すもの。
そして人の「うけひ」に対する神の応答、つまり「*」の中への神の「おとなひ」「おとづれ」を示すしるしが「日」(のたまわく)で、ここから「音」の字が生成する。神意をたずねること、すなわち「問」(家の門の前に置かれた「*」を示す)への神の応答が「闇」であり、闇こそ神の住む世界である。(余談。安部公房の『他人の顔』に、「宇宙的規模で考えれば、闇こそ、現実世界の大部分を占める要素なのだ」と書いてあった。)
ちなみに「器」の字は、出陣に際して(その鳴き声が悪霊をはらう力をもつとされた)犬を供犠に供する儀礼をかたどった字形であるとのこと。(器には犠牲獣の血と断末魔の声が封じ込められている?)──最後に、本書からの引用を一つ。
《神にはことばはない。ただそれとなき音ずれによって、その気配が察せられるのみである。神意はその音ずれによって推し測るほかはない。これを推し測ることを意という。推測の意はのちに億・臆を用いるが、意がもと推測の意であり、億・臆はそれから分化した字である。言・音・意はもと一系の字であり、その音声の上でも関係がある。もし単語家族というものを考えるとすれば、このように形・声・義において一貫する関係にあるものを求めて、その群語構成を試みることができよう。》
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