紙の本
評伝というよりは回想記か
2002/04/08 11:00
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投稿者:白井道也 - この投稿者のレビュー一覧を見る
小林信彦は自分が体験したこと以外は書かない。ということを踏まえていれば、この本もスムーズに読めると思う。横山やすしの伝記、というよりは、やすしと関わった小林信彦の思い出、というか。小林の文章が好きなひとならこの本も面白く読めるはず。
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やすきよ、たけしの次に島田紳助が多く触れられている…横山やすし天才伝説を改題したのはよかったものの、週刊文春連載当時の挿絵がないのが惜しい。似顔に頼らないと映画関係者の区別がつきにくい。
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さすが小林信彦 さんです
横山やすしさんを
「天才」ではなく「天才伝説」
と冠をつけておられる
そのセンスに何度も
頷かされました
客観的にも
そして
いやおうなく
知り合ったがために
主観的にも
一人の「芸人」としての
「横山やすし」を
見事に描ききっておられる
情におぼれることなく
さりとて
他人行儀でもなく
一人の天才漫才師
であり
破滅型の芸人の
生き様を
読ませてもらえました
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ブックオフで購入する。再読です。抜群に面白いです。唐獅子株式会社の部分は、特に、面白いです。でも、時代背景が分からないと分からないかな。
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横山やすしの評伝。
何気なく手に取りましたが、なかなか面白かったです。関西に愛着の強いわたくしには、ピンとこない著者の記述もありましたが。
ビデオを見直す気になりました。
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上質なミステリーであり、スリリングなドキュメントであり、汚濁きわまる暴露本でもある。現職、存命であろう人物を実名であからさまに批判し、恥部を暴き立てる。ここまで攻撃的な小林信彦の著作を知らない。やすしが横暴だというが、この筆の口に戸たてぬ、歯に衣着せぬありようこそ横暴で、それはたまらなく面白い。
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小林信彦って言う人はとんでもなく記憶力の確かな人だな。いや、唐獅子株式会社の製作ストーリーはメモがあったというが、それ以外のところも記憶だけを頼っているとするならとんでもなく細かい。
それと、すごくつまらないことで怒るこの人。やっさんっぽい?
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【本の内容】
1996年1月21日、深夜のラジオが横山やすしの死を伝えた。
それを聞いて著者は数年前にかかってきた彼からの電話を思い出す…。
80年に芸術祭優秀賞を受賞、漫才ブームの頂点に立った「漫才道」の求道者、横山やすし。
一方で不祥事が絶えず、謹慎を繰り返すやっさん。
自暴自棄の中で自滅した彼の芸と人を描く。
[ 目次 ]
無名の二人
「漫才のために生れた少年」
1974 秋
漫才史の中のやすし
色川武大のいる風景
対面まで
映画化をめぐる憂鬱
のるかそるか
やっさん
1982 秋
嗚咽
不安
禁煙スタジオ
「漫才が下手になる…」
有頂天のとき
不意の告白
胎児殺し
ピーク時を過ぎて
1986 夏
偽善と偽悪
酒をめぐって
甘え
バラは贈らんでくれ
謎の事件
突然の死
やっさんのいない大阪
[ POP ]
中学校から高校時代、テレビの番組欄で「やすきよ」の名前を見つけるとわくわくしながら、その放送時間を待っていた。
今でも、横山やすしの、メガネをまっすぐ伸ばした人差し指で直すしぐさや、あの声色を思い出すことができる。
当時のお笑いの中では、ぴか一に光っていたのだ。
そうした、「絶頂期」しか知らなかった私には、この本で描かれた彼の姿は、あまりにも哀しい。
それほど、行間から立ち上がる、横山やすしのイメージは、生々しいのだ。
淡々とした著者の視線から浮かび上がる「やっさん」は、笑い、泣き、苦悩する人間そのもの。
もしかしたら、読まなかったほうがよかったかもしれないと思わせるほどに圧倒的な「人間・横山やすし」が描かれている。
[ おすすめ度 ]
☆☆☆☆☆☆☆ おすすめ度
☆☆☆☆☆☆☆ 文章
☆☆☆☆☆☆☆ ストーリー
☆☆☆☆☆☆☆ メッセージ性
☆☆☆☆☆☆☆ 冒険性
☆☆☆☆☆☆☆ 読後の個人的な満足度
共感度(空振り三振・一部・参った!)
読書の速度(時間がかかった・普通・一気に読んだ)
[ 関連図書 ]
[ 参考となる書評 ]
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著者は横山やすしの初主演映画「唐獅子株式会社」の原作者。ここでは「評伝」のカテゴリに入れたが、内実は回想録的なエッセーで、あくまで著者の交際圏の中での「横山やすし」像を回顧している。
文中、はっとさせられたのは、横山やすしとビートたけしが3歳しか違わないという箇所で、いかにやすしが早熟であったか、さらに80年代初頭の「漫才ブーム」が芸能史の曲がり角であったかを思い知らされた。
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淡淡淡と三つ重ねたくなるような文章で綴られるのは、著者と横山やすしの人生が交差した数年間の話。"愛し"と書いて、"かなし"と読ませる気分。やすしの側に立ってみれば、きよしには悪役になってもらわざるを得なかったのか。その部分をフォローするかのような巻末解説でとんとん。
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(01)
近現代の漫才論としても愉快に読むことができる。エンタツ・アチャコ、ダイマル・ラケットといった先駆者の系譜に、やすし・きよしを置き、漫才ブームのツービート、紳助竜介といった次世代の漫才、あるいはコント55号の舞台までも視野に入れている。
著者と横山やすし(*02)の交流は、テレビがお茶の間の主導権を握っていた1960年代の終わり頃から始まり、映画「唐獅子株式会社」をめぐる濃密な関係を経て、96年にやすしの死までコンスタントに、そして不連続に続いている。
(02)
トラブルメーカーとしてのやすしが生々しく描かれる。天才として崇めすぎることもなく、悲劇的な生い立ちにも同情せず、いつもどこかで事件に巻き込まれているやすしを擁護することもない。批評の鋭さや観察眼の冴えといった天才的な漫才の素養を、著者の筆致を通してやすしから感じ取ることができる。数々の同業者や共演者建ち、例えば久米宏、上岡龍太郎、横山ノック、ビートたけし、萩本欽一、そして西川きよしといった面々との距離や関係からやすしの過剰(*03)を割り出すこともできるだろう。木村政雄や松岡由里子といった吉本興業の事務方、曾根中生や笠原和夫らの映画人、木村一八らの家族、色川武大や香川登枝緒、高信太郎といった事情通も登場し、やすしに色々な絡み方をしている。
(03)
喉のためにタバコの煙を嫌ったやすしがいて、それほど飲まなかったアルコールに溺れ、潰されていくやすしがいる。運転手を怒鳴りちらし、自らの運転では危険運転を繰り返し、ボートレースに突っ込み、右派よりの政治活動へと傾斜しようとする。生い立ちの泥沼やきよしとの確執を嘆くやすしは、しかし、見えていない。現在であれば「人間のクズ」と一笑に付されそうな不穏な存在でもある。その彼から繰り出される芸が、それゆえに、いかに優れていたかを推し量れよう。
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横山やすしとそのころの時代、漫才について詳しくなかったが、小林信彦さんの目を通してざっと知ることができた。