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大好きです
2006/01/31 20:44
2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ピエロ - この投稿者のレビュー一覧を見る
表題作を含む短編五編で「人類圏」の興亡を描いたSF連作短編集。
その書名を見てもおわかりでしょう、作者が得意のダジャレが満載、作品のみならず、解説や著者あとがきなどにもダジャレ精神が横溢、凝ったつくりになっています。
宇宙服の中で嘔吐、その大量のゲロとともに宇宙を駆け巡った男の話、宇宙の彼方から送られてきた通信は禅問答、それに立ち向かうは復活した弘法大師 空海、などなど、あきれ返るを通り越して怒り出してしまう人もいるのではないかと心配してしまうような内容、本当にどうしようもないダジャレ、くだらないの一言で済ましてしまう人もいるでしょう。が、自分はこういうの大好きです!おもしろかった〜。
で、作者にお願い。ずっとこの路線で突っ走ってください!
著者の駄洒落パワーてんこもりの一冊。むちゃくちゃなんやけど、おもろかったー。
2004/09/15 21:25
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:風(kaze) - この投稿者のレビュー一覧を見る
話の荒唐無稽な展開に引っぱられて読んでいった挙げ句が、お、おい、これかよと絶句、呆然としてしまう短編ばかりである。前フリのやたら長い話にうんうん、それでどうしたの?と耳を傾けていたら、すとんと落とされた……いや、ずごーんと深淵に突き落とされたような、そんな話ばっかである。こ、これだけ引っぱっといて、そんでもって、オチがこ、これかあああと、怒りを遥かに通り越して脱力してしまう作品集だった。
と、これはけなしているかに見えてそうではない。誉めているのである。なんとなれば、著者は確信犯的に、そして真剣にふざけてこれらの作品を書いているように思えるからである。玩具を手にした子どものように、駄洒落を駆使して遊んでいるのである。それは、「田中啓文に捧ぐ」「アイザック・アシモフにも捧ぐ」と記した献辞から明らかだし、タイトルからしてアシモフの「銀河帝国興亡史」の洒落だし、とても魅力的な装丁イラストを描いている「フランク・Y・パウル」というのも洒落である。
フランク・Y・パウルというのは、米国のアメージング・ストーリー誌などにイラストを描いていたフランク・R・パウルをもじったもので、実際に描いているのは、日本の現存するイラストレーターではないかと推測される。
収録された五編、それぞれに脱力させられ、にも関わらず、大変面白かった。
「火星のナンシー・ゴードン」の、ふにゃりと力が抜けるような読後感。加えて、この作品と作家へのコメント、田中哲弥氏の「駄洒落作家・田中啓文批判2/なぜこんなものを書くのか」も笑えた。
「嘔吐した宇宙飛行士」の、文字通り“噴飯もの”というしかないおかしさも強烈。食前、食後、わけても食事中に読むのは、絶対に避けたほうがいい話ではある。電車の中やバスの中などで読むのも、やはり避けたほうが無難である。
「銀河を駆ける呪詛 あるいは味噌汁とカレーライスについて」も、読後、「今まで読んできたのは、一体なんだったのか」と、頭を抱えてうずくまりたくなるような脱力感に襲われた。
なんにせよ、徹頭徹尾、著者の駄洒落魂、駄洒落パワーが楽しめる一冊。万人にはとてもお薦めできる本ではないが、SFが好きで、でもって頭のこりをほぐしてみたい、があああーっと脱力してみたい(なんじゃそりゃ?)方には、強力にお薦めしたい。
日本SF史上に残る迷作品
2001/02/19 00:25
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投稿者:R2bk1 - この投稿者のレビュー一覧を見る
最近よく目にする言葉に『卑し系』というものがある。
もとい『癒し系』——緊張のあまり間違えてしまった。いや、しっけい、失敬。
さて、この癒し系なるものがもてはやされる背景には、現代人が常にストレスを受けながら生きているという問題が挙げられるだろう。
人間というのは非常に弱い生き物であり、ちょっとした精神的重圧からとんでもない行動を起こすことがある。漢字を間違えるくらいなら可愛いもので、ときには人命に関わるような重大事件に発展することもあるのだ。先日もスーパーの卵売り場で見かけた老夫婦が「おじいさん、明日の朝はなにを食べましょうかね」「決まっとる、わしゃ茹でた孫が一番じゃ」というような会話を交わしていた。見るからに好々爺然とした老人でも、じつは他人にははかりしれないストレスを受けているのだ。迷惑なのは祖父の朝飯にされてしまう孫である。
このようにストレスはすでに日常的な風景の一部となっているのだが、こうしたストレスに傷ついた心を癒してくれるものを『癒し系』と呼ぶのである。
しかしちょっと待っていただきたい。なんでもかんでも『癒されたい』というのは、ちょっと安易にすぎる発想ではないだろうか。
私は思うのだが、プレッシャーをプレッシャーとして感じるかどうかは、本人の心持ち次第でどうにでも変わるはずである。だとすれば、癒されたいなどと他力本願なことを思う前に、まずはひとつ肩の力を抜いてみてはどうだろうか。
つまりは『脱力』である。
適度に力を抜くことは、どんなことに対しても良い結果を生むものだ。たとえば小さな矢を的に投げて点数を競うスポーツがあるが、かつてこの競技の世界チャンピオンはこう語っている。「肩肘張って緊張していては、実力の10分の1も出せないね。必要なのは適度にリラックスすることさ」この程良い力加減が『ダーツ力』である。
田中啓文の『銀河帝国の弘法も筆の誤り』は、表題作をはじめとする5篇が収録されたSF短編集であり、いわば脱力系の小説を代表するものといって差し支えないだろう。
もちろん、SFだからといって必要以上に構える必要はない。自然体で読み進められ、読後には程良く肩の力が抜けるという、きわめてユーザーフレンドリーなSFなのである。
短篇ということもあり、一字一句に至るまで考え抜かれた作品のネタばらしのような無粋なまねはここではしない。ぜひともその目で実感していただきたいと思う。
小学生からお年寄りまで、ストレスを感じているすべての人にお勧めの本である。
とくに今の時期(発売は2月半ば)としては、受験生にこそ最適なのではないだろうか。これまで勉強して身につけたすべてを出し尽くすためにも、がちがちに緊張した状態はよろしくない。リラックスして実力を発揮するためには、入試当日、試験会場までの道すがら本書を読むというのが一番の特効薬である。
なお、力が抜けすぎて公式を全部忘れてしまったとか、国語の試験で妙な解答を書いてしまったとか、そういう羽目になっても私はいっさい関知しない。薬の服用は個人の責任において、である。
とにもかくにも、日本のSF史上に燦然と輝く作品になることは間違いないだろう。
豪華珍品駄洒落のフルコースディナー。
2004/07/17 13:04
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投稿者:らせん - この投稿者のレビュー一覧を見る
人類が宇宙へ乗り出し、銀河にあまねく<人類圏>を構成して繁栄を極める遠い未来のお話と言えば、ジャンルはSFで決まりですが、これはただのSFじゃあない。世にも稀な“ダジャレSF短編集”です。SFにダジャレのスパイスを効かせたから“ダジャレSF短編集”なのではなく、ダジャレの風味を最大限に賞味するため、SFを素材に調理したとしか言えない本末転倒ぶりで、全編これダジャレのてんこ盛り。料理としてはゲテモノの部類に入り、好き嫌いの激しい方には全く口に合わないであろうことが予想されますが、珍品中の珍品だけに見方を変えれば“至高のメニュー”のひとつとも言えるでしょう(笑)
本書のメニューは5編の短編と、各話末についた5人の作家によるシェフ“田中啓文批判”の解説と、巻末デザートの“人類圏興亡史年表”までのフルコースで、全部読めば胸焼けすること間違いなし。
レシピを少し紹介しますと、第1話の「脳光速 サイモン・ライト二世号、最後の航海」は、銀河辺境から現れて人類を急襲する、謎の精神生命体ファントムに対抗するため、宇宙船サイモン・ライト二世号が対ファントムの切り札である1000人分の脳を積んで出撃する話。タイトルからして思いっきり脱力もの。しかしお馬鹿な題の割に中身はグロいです。ちなみにサイモン・ライトとは、SFの名作『キャプテン・フューチャー』に出てくる生きた脳みそのことです。うげげ…この船名がこの話の全てを表してますね。
第2話の「銀河帝国の弘法も筆の誤り」は「ブラックホールの中に仏はおるか。そもさん…」—人類が遭遇した異星人とのファーストコンタクトはなぜか禅問答だった。人類の存亡がかかったこの問答に、高野山の奥で眠る伝説の高僧空海が呼び起こされた!という話。異星人がなぜ禅問答? 根本的な不可思議を全く無視して話を進める作者の豪腕ぶりには脱帽するしかないです。
第3話の「火星のナンシー・ゴードン」は宇宙警察に追われた泥棒ナンシー・ゴードンが不時着した火星には、なぜか彼女を慕い、彼女の訪問を待ちこがれていたらしいロボットの集団がいた。巧妙に巧妙に伏線が張られた話で、文中の“グォバス”や“タバール・ザッカー”“イドゥン”“クァン・グーン”と言った、意味不明の言葉の意味がわかった時、読者は笑うか怒りに燃えるかのどちらかでしょう。
第4話の「嘔吐した宇宙飛行士」は初の宇宙遊泳訓練の前にピザの大食い競争に出て、身体いっぱいにピザを溜め込んだ宇宙飛行士李・バイアが、宇宙服の中でゲロゲロゲロって話。とにかく汚いとにかくグロい。そして宇多田ヒカル(笑) このダジャレが10年後20年後にも通用するかたいへん興味深いです。
最後の1編「銀河を駆ける呪詛 あるいは味噌汁とカレーライスについて」は、<人類圏>に突如として現れた知的生命体<人喰い>の来襲に備え、<人類圏>は防衛手段として銀河全体に超光速通信ネットワークを確立したのだが…。残忍な<人喰い>に無惨に食い尽くされる人類の終末。ただひとつのダジャレのために、壮大な前フリで人類を破滅させてしまう田中啓文の恐ろしさを読者は目の当たりにすることでしょう。
私としてはこの本を人に薦めていいのか良くないのか、ちょっと測りかねるのですが、話の種にはなることとは思います。興味がおありの方はご一読を。ただし本書がゲテモノであることだけはもう一度明記しておきます。あとは知〜らないっと。
返品不可
2001/02/18 23:06
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投稿者:kokol - この投稿者のレビュー一覧を見る
いや、すごい題名だ。この題名で本が出るってことがまず驚き。
内容はというと、羊頭ならぬ「狗頭を掲げて狗肉を売る」ってな感じの実に書名どうりの作品が並び、まこと対処に困りそうな短編集。しかも短編ごとに解説付で、さながら「田中啓文ファンブック」。いや、こういうの、大好きですが。
そもそも、SFとどうしようもないアホ話というのはどっか下のほうで不可分になっているらしい。星新一・小松左京あたりのSF第一世代のアホ話というのは今でも語り草になっているほどだ。本書でついでに捧げられちゃってるアシモフにしたって、駄洒落オチの短編なんか結構書いている。そういう意味で、これは立派にSFの魂を受け継いだ小説なのだ。
しかもしかも、SFの醍醐味といえば、切れ味鋭いワンアイデアの短編だっ、と考えている人は私も含めて中々に多いはず。しからば、この究極のワンアイデア(だよな?)で書かれた短編集、どうして非難できましょう。
……なんか書いてて徒労感だけ増えたと思うのは気のせいか。あえて小難しく考えなくとも、読んで単純に笑うのが平和な読み方だと思うし。
(ある意味)SF第一世代の聖杯を受け継いだこの作品。万人にお勧めは出来ないけど、アホな話が好きな人は是非買いましょう。
ただし返品不可。
2001年星雲賞受賞作
2016/12/28 10:41
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投稿者:Todoslo - この投稿者のレビュー一覧を見る
表題作など第2短編集でもだじゃれを全面的に押し出してくる。アレシーボをテーマにした正統派SF「銀河を駆ける呪詛」もよかった。
歌物語ならぬ駄洒落物語
2001/07/19 21:23
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投稿者:二十三 - この投稿者のレビュー一覧を見る
歌物語というジャンルがある。歌(和歌)をもとにイメージをふくらませて物語を作り、最後にもとの歌でキメるというもので、本作はこの歌を駄洒落にかえたものと思ってください。常人なら、駄洒落を思いついたとき、親父ギャグーとか言われて照れて終わるところを、作者はそこからお話を作って、最後のオチを駄洒落で決めるという、プロの落語家なら死んでもやらないことを顔色ひとつかえずにやってのけるのである(ちなみにまだ顔をみたことはないけれど)。出版社に言いたい。このような無法を世に出すとは、いったい良識、見識は何処へ行ってしまったのかと。そういうことなので、はやく次を出してほしい(どこからそんな結論になるねん)。
“アホSF”を成立させる唯一の作家
2001/04/10 05:36
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投稿者:冬樹蛉 - この投稿者のレビュー一覧を見る
いずことも知れぬ荒涼たる星の上。巨大なサソリのような大目玉の怪物。怪物に捕えられた半裸の美女。背景にはこれ見よがしに巨大な有環惑星と、意味もなく飛ぶロケット。そして、眼光も鋭く、いままさに敢然と怪物に立ち向かおうとしているのは、もともとヘルメットのような頭にさらに透明なヘルメットをかぶり、凜々しく袈裟を翻した(細かいことは気にしない、細かいことは)ひとりの僧侶ではないか——といったパルプマガジン風の懐かしい雰囲気の表紙画に目を見はり、これはもしや《キャプテン・フューチャー》のような古きよきスペースオペラではないかと手に取る人がたくさんいるにちがいないが、これはあなたの思っているような本ではない。たぶん。
では、どういう本かというと、古くはない、よきスペースオペラである。度胆を抜くアイディアといい、ひと癖もふた癖もある魅力的な人物たち・非人物たちといい、どこかおもちゃめきつつもワイルドな夢を湛えたガジェットといい、ページをめくる手も顫える手に汗握る展開といい、みごとな“なんでもあり”のスペースオペラではある。ただ、その……本書に於いては、それらのスペースオペラ然とした属性はみな、ある至上の課題に奉仕するためにのみ存在する。その課題とはすなわち——駄洒落を成立させること。
……と解説すること自体がとてつもない愚行にしかなり得ないような、批評を拒否した、いや、すべての批評を無化する怖るべき作品集である。なに? そんなに高尚な文学的実験なのかって? さあ。「〈人類圏〉存亡の危機に立ち向かう伝説の高僧・弘法大師の勇姿を描く表題作」などと恥ずかしげもなくアオリ文に書いてあるくらいだから、編集者も“グル”なのである。このアオリを読んで、「おお、そうか、〈人類圏〉存亡の危機に立ち向かう伝説の高僧・弘法大師の勇姿か! 読みたいぞ!」と乗ってくる人だけは、本書に涙すること(どういう涙かは保証しないが)請け合いだ。“バカSF”と分類される作風の作家は海外にも国内にも少なからずいるが、“アホSF”と呼ぶべきサブジャンルを成立させているのは、宇宙広しといえども、田中啓文ただひとりである。
宇宙服の中でゲロを吐く話やら、神道の呪詛を超光速通信に用いる話やら、下手に説明すると終わってしまう話やら、抱腹絶倒の駄洒落アホSF五篇を収録。五篇それぞれに、小林泰三、我孫子武丸、田中哲弥、森奈津子、牧野修が、田中啓文を貶しまくった解説を寄せているうえに、帯にも錚々たる作家たちが「私たちは、この本を推薦できません」と名を連ねている。どこから見ても、遊びたおした“企画モノ”に見えてしまうのが、この本の不幸であろう。たしかに“企画モノ”にはちがいないのだが、なんともアホなものを読んだなあと、読後ふと我に返った読者は、愕然とするにちがいないのだ——「そういえば、これほどわくわくするスペオペを読んだのもひさしぶり……だよな?」
(冬樹蛉/SFレヴュアー http://web.kyoto-inet.or.jp/people/ray_fyk/)