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紙の本

薄い、浅い、ぜんぜんためにならない

2001/03/30 09:18

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:白井道也 - この投稿者のレビュー一覧を見る

 名著『日本人の英語』(岩波新書)のマーク・ピーターセンの新刊ということで読んでみたが、内容の薄さにがっかりした。そして、タイトルと内容が一致していない。
 第1章「“古典”はいつもフレッシュだ」では、川端康成や谷崎潤一郎あたりの小説に現れる日本語ならではの興味深い表現を取り上げる。第2章「『城の崎にて』を“英文解釈”する」では、『城の崎にて』を著者が英訳、訳しにくい箇所をいくつか解説する。第3章「村上春樹と『サザエさん』」では、著者が清水義範、筒井康隆、宮部みゆき、『サザエさん』などに興味を持っているという話。村上春樹については少しだけ触れているが、浅い。第4章「HAIKUから見直す俳句」は、要は俳句は英訳しにくいという話。 第5章「日本語は、おいしい!」は、著者がひっかかる日本語の表現についての話。第6章は「“小津映画”の日本文学度」だが、もう読む気が失せた。
 これらの内容に統一感はまるでなく、『日本人の英語』にあったような示唆はまるでない。すべてが浅く平板。“ちょっと面白い話”の域を超えていない。著者の責任というよりは編集者の責任だと思う。やはり光文社が出来るのはこれぐらいのことか。

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紙の本

テレビに登場する加賀まりこを見て人生の無常を感じること、など。

2001/04/06 18:16

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:服部滋 - この投稿者のレビュー一覧を見る

 「加賀まりこさんの異常な魅力を、私が初めて知ったのは、映画『乾いた花』を見た時であった」
 問題です。こう書いたのは、誰でしょう? ヒント。それは高名な作家です。作家はまた、こうも書いています。
 「映画『美しさと哀しみと』は、原作にないことは一つもなく、原作にない会話は一つもないが、私がまるで加賀まりこさんのために書いたような、ほかの女優は考えられないような、主演のまりこがそこに現れた」

 そう、正解は川端康成。ぼくはこの文章を本書で初めて知ったのだけれど、『美しさと哀しみと』『雪国』の二作に出演した加賀まりこを見た川端は「私は加賀さんのために、美しい夢と現(うつつ)、天界と魔界とに生きる、幻の妖精を書いてみたい欲望にとらえられている」とまで書いている。
著者は、上記の文章を引用したあとに、こう感想を漏らす。「最近のテレビに登場する加賀まりこしか知らない私は、この文をたまたま見かけ、思いがけないところで人生の無常に出会ったような気がしたものだ」

 ——ゆく河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず……
 マーク・ピーターセンさんは加賀まりこの映画を見たのだろうか。今の若い人たちも著者と同じく最近の加賀まりこしか知らないだろうが、当時の加賀まりこの映画を——『乾いた花』でも『月曜日のユカ』でも——1本でも見たなら、川端の文章が決して誇張でないことを納得するだろう(でも「異常な魅力」って、すごいですね)。
 じっさい、いまどきのアイドルが束になっても敵わないくらい、あの頃の加賀まりこは超イケてた。むろんリズ(エリザベス・テーラー)にしたって、中村玉緒やあの扇千景にしたって、しっかりと世の無常を感じさせはするけれども。君は昔の君ならず、って奴ですね。

 さて本書は、川端の『山の音』を英訳で読んで日本文学にのめり込み、学位論文を書くために来日したところが、ついに20年滞在するはめになってしまった著者(現在は明治大学教授)の日本語・日本文学にまつわるエッセイである。
 20年も日本にいれば、当然学生よりずっと日本語が達者だ。語彙も多い。学生に「つばめ」(鳥じゃない方ね)を知らないと言われてショックを受けたりするほどにも。でも近代文学を研究しているからといって、昨今の日本語の「乱れ」を嘆いてみせたりはしない。逆に、女子高生の「シャカリキむかついた!」という表現に嬉しくなってしまったりするぐらいだ。
 
 志賀直哉の『城の崎にて』を一節ごとに英訳したり、俳句とHAIKUを比較して考察したりするときの著者の言語感覚は鋭い。ぜんたいに肩肘の張らない読み物ではあるけれど、たとえば村上春樹に対する「彼が才能をまるで“ユーミンみたいに”使うのをやめて、心底、彼自身が愛せるような作品を書けば、そうとうな文学が生まれるかもしれない」とか「きわめてうまい文のところどころに、コピーライターのような計算が入っている表現があって、少し気になってしまう」といったようなハッとする指摘に出合ったりもする。

 著者の『日本人の英語 続』『心にとどく英語』(岩波新書)は、ぼくのような英語の不得意なものには、目からウロコのポロポロ落ちる本だった。だって「〜に挑戦する」って「I challenge〜」だって思うじゃないですか、ねえ。
 本書もまた、ぼくの多くの蒙を啓いてくれた。『城の崎にて』の英訳は、まるで志賀の文章を虫眼鏡で仔細に点検するようで、タイトルどおり少なからぬ発見をもたらしてくれた。漱石、荷風、谷崎、川端、志賀から、村上春樹、清水義範、筒井康隆、多和田葉子、宮部みゆき、そして小津安二郎にいたるまで、著者の興味の範囲はすこぶる広い。楽しみながら読んで益するところの多い本として、とりわけ若い読者にお奬めしたい。 (bk1ブックナビゲーター:服部滋 2001.04.09)

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