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薔薇の葬儀 みんなのレビュー
- アンドレ・ピエール・ド・マンディアルグ (著), 田中 義広 (訳)
- 税込価格:1,045円(9pt)
- 出版社:白水社
- 発行年月:2001.7
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新書
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紙の本
死・エロス・死・エロス・死・・・
2007/10/28 17:55
2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:SlowBird - この投稿者のレビュー一覧を見る
パリのど真ん中でニンジャのような若い日本人女に掠取される男。謎の館に連れ込まれ、奇妙な儀式を体験させられる。とりあえずちょっと笑っちゃいますけどね、でもそのエキゾチズムの衣を纏って新鮮なエロスが主人公を魅了する。舞うような所作の女達、そして死の香り。作者の性はゴージャスで貪欲だ。表題作の他の作品でも、どれも死の幻想がエロスを醸し出す。死こそがもっともエロスを掻き立てるのか、死でさえも喜びの予感に変えるのか、そしてそこにしか生の喜びを反映できないのか。だけどなぜかインモラルな印象は受けないんだなあ。作品に登場する男達は、少年から老人まで様々。これから訪れる予感への震え、失いつつある、あるいは既に失ってしまったものへの執着、どれも正直そうなんだと言われれば、それは誠実だし、他にどうしようもないのだとなれば(実際どうしようもないだろう)、自然の摂理だ。
なぜ彼らは終着点を見るのか。望んだわけではなく、ただ訪れるだけだ。しかし
その要因は多様だ。そのエキゾチズムの象徴としての死もあれば、喪失としての死、破滅としての死、責任として、ファシズムの象徴として、ただそれらは人間として畏れるべき存在であることにより、それが細胞を震わせる煽動として働くのだろう。
それらの考察は、老境に至っていたという作者が必然的に見つめるに至った(そして書いた)ことではあるのだろう。老醜の開陳ってやつ。それを美しく、あるいは崇高なように飾らないところにはシンパシーを感じる。「パリのコブラ」では、主人公の老人は突如現れるコブラの幻想による死の予感には上の空で、少女に話しかける空想に夢中だ。お達者で何よりというよりない。忍び寄るコブラが読者の目に留まっているとしても。
紙の本
老いの一徹、骨の髄までの幻想作家最後の短編集
2001/09/20 18:15
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:野崎歓 - この投稿者のレビュー一覧を見る
マンディアルグはおそらく、フランス以上に日本で偏愛された作家ではないだろうか。澁澤龍彦、生田耕作といった翻訳者たちのカリスマ性にも支えられ、彼の小説はそのほとんどが邦訳されるほどの支持を集めてきた。鮮やかなイメージの美に支えられた短編の名人だったことも、短編小説がフランス以上に市民権を得ているわが国の読者に強くアピールしたのかもしれない。
本書はそのマンディアルグが残した、生前最後の短編集である。刊行当時著者は七十四歳に達していたが、その作品には依然衰えないエロティックな夢と、エキゾティシズムへの憧憬とがあふれかえっており、生涯おのれの資質に忠実に、特異な小世界を深め続けた作家の面目躍如といっていい。
日本の読者にとっては、巻頭に収められた表題作や、「谷崎潤一郎の記憶に」捧げられた「ムーヴィング・ウォーク」といった作品がまず気にかかるところだ。いずれにおいても奇妙な謎の日本人たちが出現し、主人公を夢魔の世界にいざなうのである。少々とんちんかんな日本通ぶりもほほえましい。他方、「クラッシュフー号」や「影の反乱」といった短編は、女体の凌辱、幻影への耽溺といったこの作家の最も得意とする主題を扱ったもので、手だれの技を堪能することができる。そしてとりわけ深い感銘を残すのが「パリのコブラ」と題された一編である。ここでマンディアルグは、自らの老いを見つめ、老いの悲しみをかみしめている。しかもなおいささか皮肉なひねりをきかせることを忘れないところが、知的な冷静さを常に捨てることのなかったこの美文家らしい。後継者を持たなかった稀有な個性が失われたことを悼みながら味わいたい一冊である。 (bk1ブックナビゲーター:野崎歓/フランス文学者・東京大学助教授 2001.09.21)
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