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おそらく賛否はわかれるし『煙か〜』よりずっと破綻しているしサリンジャーかといえばサリンジャーでもあるし(いやシーモア家)でもつまりそれが三郎なのよねと理解している。四郎があんまり格好よくて惚れるし、悩んで生きるわたしはつまり三郎なのだな、と。四郎よりずっとウェットでセンチメンタルでやさしすぎて自分に甘すぎる小説家と云う生き物であるところの三郎に同情と憐憫と憎しみを堪えきれない。幼い恋の結末が非常に胸をえぐりました。読めてよかったとおもっている。
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前回ヘタレにしか見えなかった三郎が主役。
流石にこの一家なだけあってやっぱりバイオレンス…と思いきややっぱりヘタレだった。
年の差カポー話好きなんでニヤニヤ。
謎だらけのままこの終わり方。
早く続きー!って感じなのにこのシリーズはあと「世界は~」だけらしいので星4で。
楓の暴飲暴食シーンがとても好き。
※日付は大体。
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舞城作品3作目に読みました。
登場人物の皆が歪んでます。
小説の事なので当然なんですけど、
ちょっとずつ抑えが効かなくなった人がたくさんたくさん。
『煙か土か食い物』の続編なのですが、
前作のようなパーフェクト感もカタルシスも得られません。
止まらない感じも、中盤から。
だけど、謎が上に重なる重なる重なる。
真相は!?
結局どうなったの!?
と、物凄く気にさせる作品です。
過去と現在。
肉体と精神。
記憶。未来。推測。絶望。かすかな希望。かすかだけど大きい?
う〜ん、難しい!!
脳内に残る力はさすが舞城作品だな、と思います。
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前作と変わって語り手は四郎から三郎へ。文章のドライブ感は健在。
ただこの物語、一部または全部は、前作の事件に影響を受けた三郎の創作だと思う。
「本当のことは嘘でしか語れないこともある」。ゼロ円のくだりは笑った。
MVP:なし
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『よしよし。俺はちゃんと俺の知っている世界に含まれたままだな。』
『私の心は擦り減って擦り切れてもうなくなりそうです。私は私の心があるうちに私の体を処分してしまおうと思います。』
『物語というものはそういうものなのだ。誰かの熱意が空にいる誰かに通じたりしてもいいのだ。それが嘘であってもいいのだ。何故なら、誰かの懸命さは必ず他の誰かに見られているものだということは、物語が伝えるべき正しい真実だからだ。』
『君の周りに、君を取り囲むようにして地面に小さな円を描いたとき、その円は果たして本当に、君を内側に閉じ込めているのかい? それともその円は実際のところ、その外側に世界を閉じ込めているんじゃないかな? そもそも球体の表面に存在する円に、内側も外側もあるのかな?』
『お腹痛すぎ。痛いって言うか、ヤバイ。リスくらいの大きさの変な獰猛なちくちくした肌の生き物を七匹くらいお腹の中に飲み込んじゃったような感じ。』
『それからユリオは唇を俺の胸にぎゅうっと押し付ける。俺の胸に顔をうずめて唇を尖らして、俺の心臓に直接キスをするように。』
『阿呆か。今や俺はパーフェクトラブをアテナに与えるパーフェクトボーイフレンドやぞ。悪事もへったくれも、最近俺は人の役にしか立ってねえっつの』
『あんたほんま社会不適合者もええとこやなー世間体とか道徳とか常識とか、あんた何のことか判らんやろ。漢字で書けるか? 漢字で』
『もうきっと会わないけど、元気でやっててね。好きやで、三郎。ずっと好きかも知れんけど、許してね。バイバイ三郎、バイバイ…』
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奈津川家サーガ第2弾。
連続主婦殴打事件は更なる地獄の幕開けに過ぎなかった――。
「おめえら全員これからどんどん酷い目に遭うんやぞ!」
相変わらずの舞城節全開で、結構な分量があるはずなのに
実感としては実際の半分くらいしか読んでる気がしない。
それは内容の薄さによるものではなく、圧倒的スピード感によるもの。
前作以上にとんでもない展開の連続で、
矛盾や齟齬や度を過ぎた荒唐無稽さが目立つが、
「ある種の真実は、嘘でしか語れないのだ」
の言葉がそれらすべての存在を許容する。
一読しただけではこの作品の全体像はおそらくつかめない。
「煙か土か食い物」ほどの爽快な読後感はないものの、
何がなんだかわけはわからないけれどスカッとする。
それだけで舞城王太郎を読む価値はあるだろう。
三郎三郎ふふっふ三郎デュビデュバ。イエー。
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おもしろかった・・・と思う。
普通の小説はラストに向かって物語が収束していくものだけれど、この小説は発散してる。
うーん、発散というのもまた違うか・・・。
とにかくオチはないに等しく、舞城あんま読んでない人だと悪ふざけにしか感じられないオチです。
でも、途中にある「物語」に関する叙述はかなり納得できるものであったし、また、それがこの小説全体に関しての伏線?みたいに感じられた。
ネットではけっこうこの小説に関して考察してる人が多くて、興味深く読ませていただきました。
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スピード感はさすがなんだけど、伏線回収とかオチとかはあって無いようなもので、やはり舞城ワールドが炸裂したまま終わってしまった。
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四兄弟の三男三郎さんのお話。
以下ネタバレ
ユリオちゃん可愛いよ。
福島君、いつの間にというか、大人になっててびっくり。
また、パラレルかなー。
どからどこまでが、三郎の小説と妄想なのかは分からないので、もう一度読んで、また感想を書こう。
でも、
この本だけは二回読んだら、二回分の解釈が産まれてしまう。
とりあえず、
この一文に震えた。
『嘘は俺の唯一の友達なのだ』
四兄弟の残りのお話をいつまでも待ってます。
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『煙か土か食い物』の続編、と言っていいだろう。
評価が難しい作品。これは評価が”わかれる”ことの多い舞城作品では珍しいと思う。
文章自体は”通常”の舞城節で(この時点でかなり異常であるが)、内容についても”書かざるを得ない”衝動に突き動かされて書いている、感触は伝わってくる。
しかし、物語の筋が破綻に破綻を重ねているせいで、逆に”破綻”という筋書きに囚われている感が否めない。
その意味で、舞城王太郎の作品の中では地味。これはこのブクログでの評価が大旨3か4か、というふうに安定している理由でもあるだろう。
つまり、ある程度の舞城フリークでもない限り、現在ではこの作品に手を出さない。彼等はある程度舞城作品についても理解があるため、低い評価はしない。
おそらく一般的な舞城嫌いが読めば、普通に低評価を下すだろうと、僕は思うのだ。
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次から次へと人が死にまくってるのに(それもとんでもなくひどい殺され方で)読んでて少し泣きそうになった。これが多くの人が考察してるように三郎の創作なら、なおのこと悲しい。コンプレックスの塊の三郎と言っちゃあなんだがメンヘラ全開のユリオ。そんな二人が一緒にいることで巻き起こる破滅的な結末。四肢を失ってトゥルーリーハッピー?んなあほな。三郎は高谷クリニックに行った方が良いって。
でもどれだけ無茶苦茶でも私は奈津川家が好きだ。暴力にまみれてるのに光しか感じない。また書いてほしい。
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圧倒的救済はどこからもたらされるのか。偽物の言葉にそれは宿らないのか。「大丈夫大丈夫」とささやき続けた三郎はこれじゃいかん、と自分の身を動かすことで圧倒的救済を求める。というか、そういう風に四郎に言われる。偽物の言葉じゃ駄目なのに、でも「ある種の真実は、嘘でしか語れないのだ」嘘をつき続けるしか、ユリオは救えなかったのか。もっと大きく考えると、これらは全て虚構だったのか。行き場をなくしたユリオへの二次創作的救済なのか。ならばそれは“圧倒的”なのか。全てに疑問がつきまとう。なぜ、最初からフィクションとわかっている小説作品に、(主人公にとっての)現実と虚構が持ち込まれるのか。それらの区別に対してなぜ僕が興味を持ってしまうのか。当たっているかわからないが、この二つに関しては答えを持っている。三郎の抱える問題は可哀想に一生つきまとう問題なのだ。この世ならざる問題を生み出すときに、きっと一生ついて回るのだ。可哀想と思うと同時に、早くそのステージにたどり着きたいものです。
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物語としては破綻しているのだけれど、作者がその後も繰り返し取り組んでいくテーマがほとんど全て示されてもいいと思う。家族、子供、愛、運命、考えること行動すること、精神病、暴力、それぞれが提示されたまま投棄される様は、清涼院流水のジョーカーを彷彿とさせる。一つ一つのエピソードの破天荒さと面白さは本作の方が圧倒的に上ではあるけれど。虚構然としていることが却って現実味を帯びるという著者の言葉は、まったくその通りに作用していて、三郎はスーパーヒーローにはなれず、ユリオにも相手にされず、カエデは三郎がぼうっとしているから何度も妊娠して中絶して、本当に日常的に繰り返されていく救いのない現実がありありと描かれていくのは、読んでいてとてもつらい気持ちになる。狂ったような殺人者たちも社会の一員で、笑ってしまうようなトリックを次々に開陳してくれるのだけが唯一の救いなのだ。悪いことが起これば、どんどん悪くなっていくというのは本当にそうなのだなと思う。
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長門有希の100冊より、舞城王太郎。デビュー作「煙か土か食い物 Smoke, Soil or Sacrifices」(未読)の続編。最近、まわりには舞城王太郎のファンだと言う人がいて、一度は読んでみたいと思っていたのだが、しかし、その独自の文体にはどうにも馴染めず、もう読まないと思う。
物語自体は、謎の少女マリオとの邂逅、謎の連続殺人事件の解決、二郎らしき人物との対決の 3部構成。しかし、相互の関連は薄く、全体的に筆の赴くままに書き散らしたといった印象で、小説としての完成度はかなり低い。まあ、個人的にはこういう若気の至ったオナニー小説は嫌いじゃないし、あの文体にしては十分に読みごたえがあるし、好きだという人がいるのは理解できる。
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破綻して破綻して破綻して肯定する。本当を書け本当を書け本当を書けと言って「だから俺は嘘を書く」。
救いがないことが救い、という小説だと私は思っているが、人によってはこの結末は本を投げたくなるかもしれない。そういう本である。
舞城さんは物語=虚構という問題の闇を、もうこの段階で書いてたんだな……。
↓↓↓ 以下、ネタバレ ↓↓↓
この本の主人公・三郎は自分の価値を稼ごうとするが、結局のところそれはあり得ない形での「肯定」によって、全て台無しになる。あるいは、全てが成就されてしまう。
それは絶望でありながら救いで、同時にどん底の孤独だ。自分の主観が全てを決定し、そこに他者の価値観はない。だから自分以外の意思は存在しないし、ゆえに否定も存在しない。
「俺は生きていると思うので生きているのだ。愛していると思うので愛しているのと同じように」。
舞城作品の主観的・感情的な作品世界の闇がここにあり、舞城さんはこの作品でそれを非常に自覚的に書いたのだと私は思う。三郎は孤独のまま、自分はハッピーだという。しかしそれは嘘なのだ。しかしそれは、嘘による彼のリアルなのだ。そんなわけない、という形の現実。それを三郎は生きているのだ。
「それらの物語に含まれていた真実とはつまりコミットすることとデタッチすることの同時性についての問題に関する何かだっただろう。誰かと一緒にいながら本当の意味では一緒にはいないということ。他人との隔たりと密着が同時に起こるということ。」
他者は存在するが、同時に存在しない。しかし、存在しないからこそ、存在する。
それは三郎が自身を肯定「してしまう」ことによって他者から切り離されるパラドックスそのものである。主観を肯定し他者を必要としなくなった時点で、逆に彼は世界から否定されてしまうのである。
「ある特定の物事は、際限なくどんどん悪くなるんや。そういうのには、最悪の状況とか果てとか底とかはないんや。どんどんどんどん悪くなって、さらに悪くなり続けるんや」
自分を肯定するための世界を、それでも必要とするか否か。虚構を生きるというテーマは、村上春樹作品に通ずるものがあると思う。