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紙の本
日本のバブルと後遺症を振りかえる歴史書として。
2003/07/12 22:13
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投稿者:aguni - この投稿者のレビュー一覧を見る
残念なことに、私は直接的にはバブルの恩恵には預かっていない。大学に浪人して入ってみれば、入学前と後ではバイト情報誌の厚さは約半分になり、ポルシェで大学に来るような友人もいなかった。ジュリアナ東京も既になくなっており、株や土地といえば、下がって当たり前という時代。先輩世代の就職体験記がまったく役に立たない時代に社会に出た。
だから逆に、バブルとは何だったのか、その後遺症にはどんなものがあったのか、についてはあまり知らなかった。だから不景気と言われてもそれが当たり前の時代に生きてきた。そういう私にとってこの本を読むことには、自らの生きてきた社会を振りかえって、非常に意味があった。
この本は日経新聞取材班がその組織力とネットワークを生かし、バブルの発生と崩壊、そして長引く不況の中で、政府・日銀・経営者がどのように行動したのかを再構成したものである。
始まりは1985年のプラザ合意。1990年からのバブル潰しはやりすぎた。1992年に宮沢喜一は思いきった施策を打てなかった。誰もが大きな崩壊が来るのを予測しながら問題を先送りにしてきた。対処療法を重ねた結果、経済や社会、政府や官僚の体質は腐り、誰も責任が取れない状況になってしまった。これがこの本を通して得た、バブル以前以降の日本に対する私の認識だ。
それにしてもなぜ、国民にはこの国家破産と資産崩壊の情報が伝わらなかったのだろう。もちろん政府に危機感が薄かったのもあるだろう。ただ、危機に対応するにはちょっと勇気と想像力が足りなかった。少なくともバブル対策については、もっと政府が各企業に情報だけでも流すべきだった。事勿れ主義。正義感やバランス感覚の欠如といったものが治療を遅らせた。
だから今、行われている小泉改革なるものを見るときに、既視感に襲われる。それはかつて果たせなかった改革をやっと実現に踏み出しているような道程にあるように見える。だから皆、反対はできるけれども否定は出来ない。そんな状況なのではないだろうか。
ただ、改革が遅すぎなかったかどうか。それは今はわからない。未来の歴史家達がまた書物に著してくれることだろう。
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