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紙の本
300年前に実際にあった富士山噴火災害の実像に迫る
2003/09/16 00:57
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投稿者:良書普及人 - この投稿者のレビュー一覧を見る
今から296年前に実際にあった「宝永・富士大噴火」を題材にした小説です。今では廃刊になっている新田次郎の「怒る富士」を彷彿とさせる小説です。富士山クラスの火山が大噴火するとどうなるのか、江戸時代長期にわたり住民、藩、幕府を悩まし続けた災害復旧の実態を分かりやすく読み物としたもので、現在想定されている富士山ハザードマップ作りにも、少なからぬインパクトを与える内容となっています。
以下印象に残った内容を掻い摘んで紹介します。
・降灰処理に苦労した江戸幕府・地元の苦心がよく書かれている。
・降灰で江戸町民が軒並み風邪をひき、「これやこの行くも帰るも風ひきて知るも知らぬも大方は咳」という狂歌がはやった。
・吸い込んだ灰にコンニャクがよいということで、江戸でコンニャク需要が増した。
・降灰の厚さにより、「砂退け」と「砂掃き」という言葉の使い分けがあった。
・降灰被害の大きい小田原藩などの領地の一部が、「上知」され天領となり、幕府の責任で復興事業がなされ、何十年もたって復旧後、旧藩に復帰した。
・幕府が、復旧が困難とした地域は、「亡所」とし何もしないという判断をしかけたこと、それに対して、何とかしたいという努力を傾注した幕府官僚もいた。
・降灰処理作業、河川事業などのために、当時幕府は各藩から石高百石につき2両、十万石であれば二千両、全国ベースで四十八万両もの徴収を行った。
・当時の幕府の歳入は例年七十六から七十七万両であった。そして、当時の幕府役人のはじいた噴火事後対策経費は五十五万両と積算された。
・幕府は実際には、集めた金の数分の一しか富士山対策に使わなっかった。
・河川改修の事業は、幕府が「大名普請」により各藩に担わせた。
・結局、その工事は川の氾濫を防ぎ得ず、何十年もかけて酒匂川から海に砂が排出されることを待つしかなかった。
・この工事の責任者は、伊奈半左衛門忠順であり、利根川河川改修をした人物で、幕府の土木工事の責任者であった。
・この伊奈半左衛門が対峙した相手は、勘定奉行荻原重秀で、半左衛門は復旧に金を惜しむこの幕府金庫番に苦しめられた。
小説ですから、事の真偽は分かりませんが、灰の処理に苦労した江戸時代の当時の状況がよく分かります。南九州の火山が爆発するモデルを描いた「死都日本」という本がベストセラーになっていますが、そう遠くない昔に実際にあった噴火災害を偲んでみるのも、勉強になります。
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