投稿元:![ブクログ](//image.honto.jp/library/img/pc/logo_booklog.png)
レビューを見る
性欲とは何か、肉体が衰えたとしても、性欲というものは衰えることはない。誰しもが、老人になってみて納得する性感覚があるそうです。若いころに読んでみてもいいですし、30代、40代になってから読んでみても、読みごたえはあるのではないでしょうか。ただし、カタカナの文章構成が、大変読みづらいです。無理して理解しながら読んでいこうとすると、ストーリーに入っていけないので、あらすじを先に知っておいてから、適当に読み進めていったら良いのではないでしょうか。もう、ホント読みにくいですから。。
投稿元:![ブクログ](//image.honto.jp/library/img/pc/logo_booklog.png)
レビューを見る
谷崎は手法にこだわる作家だなあ、と思うことがあります。「フウテン老人日記」はカナと漢字だけで描かれ、「鍵」は夫婦の日記形式です。でも読みにくいときもしばしば。やっぱり日本語ってちゃんと考えられて漢字とカタカナと平仮名なんだなあ、と思うのです。
投稿元:![ブクログ](//image.honto.jp/library/img/pc/logo_booklog.png)
レビューを見る
谷崎潤一郎、大好きです。うまく言えませんが、性描写が美しいです。
『鍵』は女性の足へのフェチシズムが描写されています。初めは読むことに抵抗がありましたが、今は大好きですね。人によって好き嫌いが分かれるかもしれませんが。
投稿元:![ブクログ](//image.honto.jp/library/img/pc/logo_booklog.png)
レビューを見る
「鍵」は夫婦の日記をお互いが盗み見るという形で物語が進んでいきます。お互いに見られているかも知れないと薄々感じつつも、顔をあわせるとそ知らぬ顔をしています。とてもよく練られた構成で、最後まで読み終わったときに思わず唸ってしまいます。一方「瘋癲老人日記」は一人の老人の日記です。構成としては一件「鍵」よりも単純ですが、最後に看護婦や医師の診察記録が掲げられ、本人の目線と、周りがそれをどう捉えていたかということが浮かび上がるようになっています。
どちらも、ある種異様な世界を描いてはいますが、不快感を感じることはなく、興味深く読むことが出来ます。
投稿元:![ブクログ](//image.honto.jp/library/img/pc/logo_booklog.png)
レビューを見る
秘密にする為にではなく、秘密を暴いてもらう為に鍵をかける。老いてなお衰えぬ性欲。所々、本文が全てカタカナで書かれているので、ちょっと読みにくいです。でも、読んでいくうちに慣れていくと思います。
谷崎らしい、色気のある怪しげな作品です。女性が身に纏う衣装の描写なんかも、お洒落です。
投稿元:![ブクログ](//image.honto.jp/library/img/pc/logo_booklog.png)
レビューを見る
http://coco6calcio.blog96.fc2.com/blog-entry-15.html
投稿元:![ブクログ](//image.honto.jp/library/img/pc/logo_booklog.png)
レビューを見る
老いてなおあいかわらずエロ&ドM趣味全開の谷崎先生。
「瘋癲老人日記」は70過ぎてからの作品だって言うからしびれるぜ
投稿元:![ブクログ](//image.honto.jp/library/img/pc/logo_booklog.png)
レビューを見る
谷崎の新潮文庫にしてはちょっと厚めで中編が2篇収録されています。
「鍵」は未完なのかな?
テーマはもちろん性癖。第三者ならほほ笑みながら読める感じです。
投稿元:![ブクログ](//image.honto.jp/library/img/pc/logo_booklog.png)
レビューを見る
ブランデーで妻をベロベロに酔わせて、
寝ているうちに身包みを剥いで裸体をポラで撮る教授に
「ヤー、ずいぶんな変態ですなあ」と感心しましたが、
好みの腕や手を持つ男子を酔わせてつぶして
袖を勝手に捲り上げて写メを撮りまくる自分も
大差ない変態ぶりだと気づき、ちょっとブルーになりました。
投稿元:![ブクログ](//image.honto.jp/library/img/pc/logo_booklog.png)
レビューを見る
谷崎さんは細雪、痴人の愛、春琴抄あたりが好きなのですがこれは微妙。
『鍵』は最初この夫婦二人がまわりくどいバカップルで娘と木村に呆れられている話かと思ったら、どんどん雲行きがあやしくなっていきます。
結論は4人とも馬鹿だった。ってか、黒幕は誰? という話。
寝とられ系の話が苦手な私にはきつかった。
奥さんは、谷崎さん好みのあるいは妄想の結晶した女性なのかもしれないけれど、まったく共感できない。エロスってそういうこととじゃないだろ、とどん引きです。
最初の方の、旦那への愛憎入り混じる描写が良かっただけになんだかなあ。ただの男好きじゃん、としか思えなかった。
ラストもよくわからない。結局なにがしたかったのか。救いもなければ答えもない。もやもやする話。
好色爺の話がハマらなかったのとカタカナ文で、瘋癲老人記は挫折。
いつか理解できるようになる日が来るのでしょうか。
とりあえず今の私にはちんぷんかんぷんだった一冊。
投稿元:![ブクログ](//image.honto.jp/library/img/pc/logo_booklog.png)
レビューを見る
「瘋癲老人日記」のお爺ちゃんが気持ち悪すぎて吹いた。以後、オススメの本を聞かれた際にはこれを薦めようと思う。
投稿元:![ブクログ](//image.honto.jp/library/img/pc/logo_booklog.png)
レビューを見る
僕の初めての谷崎が「鍵」だったンだけども、駅のホームで読み始めていきなりウワチャーとなった。冒頭から夫の日記で、「最近性生活が充実してない」「妻は類稀なる名器で絶倫なのに自分は満足させることができなくてくやしい」とかそういうのが頻出する。
「鍵」は夫と妻の日記が交互に提示され、地の文が存在しない日記体の作品。夫は自分の日記で自分の衰え始めた性能力がどうやったら盛り上がって妻を満足させることができるかを書いていて、その日記を妻に読ませようとあれこれ仕掛ける。でも妻もそんな夫の浅い作戦なんてとうに見破っていて、そんな日記読むもんか、ということを自分の日記に書く。お互いの日記の内容が呼応して、その両者の日記の積み重ねで物語が展開していくところが実に巧妙。
夫は自分の性欲がどうしたら盛り上がるか考えて閃く。己の性欲を燃え上がらせるもの、それは「嫉妬」!! んで、娘の結婚相手にしようかなと考えている若い大学教授を妻に接近させる。できるかぎり接近させる。関係を持ってしまうギリッギリのところまで近づけて妻を淫蕩にする。自分は嫉妬で燃え上がっちゃう、という計画を立てて実行する。
妻は妻で、自分は貞淑な女性で、夫の妙な計画には乗るまいと、日記に書く。満更じゃないけれど最後の一線は越えないと、日記に書く。この日記に書くというのが基本的な仕掛けで、夫も妻も日記に書いているだけで、それがイコール作品内の真実とは限らない。そう考えて読んでいくと終盤が近づくにつれどんどん推理小説の体を成していく。
読むまで谷崎は官能小説というか、事件や策謀といった、推理小説犯罪小説とは関係ないと思っていたけど、それは誤りで、実は非常に推理小説らしいところが沢山ある。実際推理小説も書いているようで。
「鍵」の見事なところは、主要な登場人物の動機は全員性欲、性衝動であるにもかかわらず、性行為という具体性を伴うはずの題材にかかわらず、作品全体は抽象的に仕上げられているところにある。ただエロいだけではなく、計算されて、演出の一部としてのエロティックなのです。エロティックはリアリズムとも重なる。谷崎のエロスはあくまでリアリズムの一環だったりする。リアリスティックなのに抽象。谷崎は計算ずくで作品を構築していて、実に構造的なのに、それを鼻にかけないところがかっこいい。惚れる。でも女好きすぎて引くわ。
「鍵」は連載中に大いにその過激な描写(読むと単なる過激ではないことがわかる)が話題になり、国会でまで取り上げられた。それらの騒ぎへの対応なのか、結末が、推理小説やサスペンス小説としてならありえるものだけれど、全体としては不自然な出来となっている。これは本人も不完全燃焼を認めているらしい。このリベンジは「瘋癲老人日記」にてされる。
「瘋癲老人日記」は、老人が嫁(息子の妻ってことね)の首をれろれろ舐めたり、足の指をちゅばちゅばしゃぶって、嫁に殴られたりする日常を、日記体で綴った作品である!! 谷崎じいさん元気!!(執筆時もう70歳過ぎてたかな?)
嫁は颯子というのだけれど、この颯子がとにかく魅力的。一方じいさんは寄���歳波で不能ではあるが、性欲はある。なお盛ん。もう嫁が好きすぎて好きすぎて、嫁にちょっかい出しまくる。嫁は嫁でじいさんをあしらいつつ、個人的なお願いなどのためにじいさんを利用してる。マア嫁は家の仕切りに関しては有能なので単なるわがまま奥さんではなく、むしろやり手なところが素敵。
じいさんは嫁にあしらわれてもウヒヒ、ものねだられればウヒョヒョてな感じで、老人扱いでうざがられるのすら楽しんでる。ジジイ・テリブル!!
颯子がシャワー浴びてて、じいさんに背中拭いてと頼むシーンがもう爆笑必至。
背中拭いてと頼まれたのに、じいさん何を思ったか颯子の首をペロリと舐める。
颯子、じいさんの頬をバシィーッ!! ヘラヘラするじいさん。
おい、ジジイ!!!
僕と代われ!!!!
その後、タイガーアイを買ってやることを条件に颯子様から首とか足ペロペロし放題の権利をいただくのですが、最後までキスはお許しいただけないあたり、ドMにはたまらないんじゃないでしょうか。
体調の悪化で、墓を撰ぶことになったじいさんは、颯子の足形で仏足石を作り、自分の墓石に刻むことで、死んでも颯子に踏みしめられ続けることを望む。ここらへんにくると、じいさんの日記だから彼の一人称なんだけど、ちょっとボケてきたのかなと思わせる。お墓選ぶ旅行中に颯子は我慢できなくなって逃げ出して、じいさんも追いかけて急いで東京帰ってきたら駅にストレッチャーが待ち構えていて、そのまま入院させられちゃう。颯っちゃ~ん。
「鍵」に似た部分があるので、じいさんも最後死ぬのかなーと思ったら、じいさんは結局最後まで死なない。死なないのがこの作品を明るくしているし、逆に薄気味悪くもしている。じいさんの大いなる夢は凡人にはちょっと理解するのは難しいのであった。
「鍵」も「瘋癲老人日記」も日記体という地の文が存在しないスタイルで、それでも物語が成り立つところに、地の文が存在するよりもリアリティが迫ってくるところに、谷崎の巧妙さを感じることができる。
ちょっとマゾかも、美女に罵られたいかも、という男子にはお勧めの作品。
投稿元:![ブクログ](//image.honto.jp/library/img/pc/logo_booklog.png)
レビューを見る
田中さん所有
→10/08/01 浦野レンタル→11/02/27返却
田中さんの本、落丁本でしたよ(^^;;;
というわけで、浦野買いました。
浦野所有
→11/07/30 稲葉さんレンタル
→12/10/20 返却
浦野レビュー◆ネタバレあり - - - - - - - - - - - - - - -
何ともいいようのない怪作ですね~。
「鍵」の精神崩壊としか思えない夫婦の日記。
「瘋癲(ふうてん)老人日記」の救いようのない変態っぷり。
開いた口がふさがらないというか、何というか。でも、どちらも超オススメです。
個人的には、「本の会」女性陣の感想を聞いてみたい(^^ゞ
ぜひ読んで!!
ちなみに「瘋癲老人日記」のほうは、大学生がよむ50冊に選ばれていますが、なぜなんでしょうか??
文学史上、それほどすごい作品なんですかね。内容の奇怪さにばかり気をとられて、文学的価値がよくわかりませんでした(^^;;;
話が進むにつれ、77歳の老人・卯木(うつぎ)督助の壊れっぷりが激しくなり、有名なクライマックスの場面では笑いをこらえるのに必死でしたよ。
崩壊の果てに、静かに日記が閉じられる結末もいいですね。
<瘋癲老人日記・第二節より>
「殴ルワヨ、ホントニ。コナイダハ手加減シタゲタノヨ」
「ソンナ御遠慮ニハ及バンヨ」
「アタシノ掌ハヨク撓(しな)ウノヨ、ホントニ打(ぶ)ッタラ眼ガ飛ビ出ルホド痛クッテヨ」
「ソレハ寧(むし)ロ望ムトコロ」
「始末ニ悪イ不良老年、ジジイ・テリブル!」
<同・第六節より>
「コレニ墨や朱を滲(し)マセテ、石ノ表面ヲパタパタ叩イテ拓本ヲ作ルノサ、僕ハ朱色デ拓本ヲ作ルノガトテモ好キナンダ」
「石ナンカナイジャナイノ」
「今日ハ石ハ使ワナイ、石ノ代リニ或ル物ヲ使ウ」
「何ヲ使ウノ?」
「君ノ足ノ裏ヲ叩カセテ貰ウ。ソウシテコノ白唐紙ノ色紙ノ上ニ朱デ足ノ裏ノ拓本ヲ作ル」
「ソンナモノガ何ニナルノ」
「ソノ拓本ニモトヅイテ、颯(さっ)チャンノ足ノ仏足跡ヲ作ル。僕ガ死ンダラ骨ヲソノ石ノ下ニ埋メテ貰ウ。コレガホントノ大往生ダ」
…始末に悪いどころか、どうしようもない老人の独り言が、200ページにわたって続きます。
ある意味、非常に読み応えのある作品です。
投稿元:![ブクログ](//image.honto.jp/library/img/pc/logo_booklog.png)
レビューを見る
二作品ともぎりぎりのところでもがいている感じがいい。
「鍵」のほうはちょっとした叙述トリックみたいになっていて、信頼して素敵だなーなんて思いながら読んでいた気分が裏切られます。
瘋癲老人日記のさつこへの曲がった欲望を読むとなんとなく歳をとる希望を感じる。
投稿元:![ブクログ](//image.honto.jp/library/img/pc/logo_booklog.png)
レビューを見る
やられた。墓石に颯子の立像を、や、颯子の仏足石を、か。その発想、これにはやられた。脚好きな谷崎氏、足の拓本をこの老人に取らせるとは。
そしてこの思想。仏足石あるがゆえに、「アタシハ今アノ老耄レ爺ノ骨ヲコノ地面ノ下デ踏ンデイル」などと颯子の記憶から拭い去れぬようにし、死後も颯子の中で生きよう、彼女の全身の重みを感じ、痛さを感じ、足の裏の肌理のつるつるした滑らかさをまでを、死んでも感じようとするこの思想。