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紙の本

ダイナミズムの欠如

2002/05/10 13:17

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:戸波 周 - この投稿者のレビュー一覧を見る

船戸与一と言えば自説の「ハードボイルド=植民地下の文学」論に愚直なまでに忠実な、そして兇暴なほどの直截さで血飛沫と硝煙の冒険小説を書きつづけてきた作家だ。
「帝国主義の断面をえぐりだす」という点で、ラテン・アメリカ、ベトナム、インディアンなど「叛アメリカ史」を生きる分子をこれでもかと言うほどに暴力のるつぼに叩きこんで渾然一体化してみせた『非合法員』から南米三部作、近年ではもっとも有名だった『砂のクロニクル』にいたるまで、その作家性はハッキリとしてる。それこそ兇暴なほどの愚直さ、直截さでそのモチーフは一貫してるのだ。それはアイヌ叛乱をあつかった時代小説、『蝦夷地別件』でもまったく一貫している。そのことを「相も変らぬワンパターン」だとする批判もあったが、当たり前のことだ、その鍛えぬかれた鋼のような「ワンパターン」こそ船戸文学のパワフルさ、兇暴さの源じゃないか。

むろん僕は、船戸文学が「帝国主義下の文学」という原理に則っているからといってその作品を「帝国主義批判」その他、安直な政治プロパガンダで解説しようなんて思わない。どうせ小説は小説じゃないか。しかし、「たかが」冒険小説だという、その「たかが」の虚構性、ウソの部分にこそ船戸文学の圧倒的な凶暴性や熱狂が宿りうるのだ。船戸文学がほとんど叙事詩のような、近代なんぞ無視したバカでかいスケールの想像力を抱えてしまっていることはよく指摘されるが、実際問題、それはコンラッドの「闇の奥」の植民地=フロンティアが人間の限界を壊してしまったあの狂気のスケールのバカでかさと同様、十九世紀の産物が二十世紀に生き残った残滓であって、少なくとも二十一世紀の今日にはほとんど死滅している(植民地的構図が、じゃない。圧倒的な凶暴性とか狂気のスケールがだ)。

そこで最新作『緋色の時代』となる。ソヴィエト崩壊、なし崩し的な市場経済のアンダーグラウンド化に、アフガン植民地戦争の生き残りたる帰還兵がマフィア化して噛んでくる。アメリカ20年代の野放図な資本主義下での犯罪社会を描いたハメット作品の構図に近いところもあり、こりゃ船戸の本領発揮ではないかという気が読む前にはあった。
しかし読後には…失望せざるをえなかった。延々とつづくマフィア間の殺戮。なるほど血飛沫だらけだ、最後にゃ自走砲だのヘリまで動員してる。だがたくさん殺しゃいいってもんじゃないだろう。船戸文学は単なるスプラッタ暴力がウリじゃない、その血飛沫と硝煙の背後にある世界の構図を直撃する「ダイナミズム」があってこそのバイオレンスだったんじゃないのか? そのダイナミズムぬきの殺戮や血飛沫はあまりに単調で眠気をもよおす。いきなりロケットランチャー撃ちゃいいってもんじゃないだろう。

もはや第三世界革命や左翼の図式が無効になったからなのか、この脱力っぷりは? そうじゃないだろう、左翼図式など抜いたところでも、ある状況を規定している社会の、世界の、そして歴史の深い「構図」そのものを見破り、直撃する視線があれば船戸文学のダイナミズムは決して死にはしない。いまのロシアに関しても、その船戸文学の鋭い視線でみぬきうる本質は、必然的に独裁を要求せざるをえないロシア民衆の恐るべきアナーキズム的傾向など、いくらでもあったはずだ。
なるほど、全編にわたって殺戮と血飛沫が展開され、「アナーキー」な状況があったかもしれない。しかしバクーニンなどのロシア・アナキストが体現したようなロシアの本質的要素としてのアナーキーのリアリティを、船戸文学のあのダイナミズムをもって抉りだしただろうか、この殺戮の群れは。それには疑問を呈せざるをえないのだ。コサックなどの歴史的な存在を描こうともしているが、それも不十分だったような気がする。
ダイナミズムの欠如。『緋色の時代』に僕がおぼえてしまった「退屈さ」は結局、それだった。

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2005/08/07 13:59

投稿元:ブクログ

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