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知覚の呪縛 みんなのレビュー

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みんなのレビュー6件

みんなの評価4.0

評価内訳

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6 件中 1 件~ 6 件を表示

紙の本

これはひどい本だ。読んではいけない。

2002/03/28 21:58

3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:yama-a - この投稿者のレビュー一覧を見る

 これはひどい本だ。我々のような素人筋はこんな本に手を出してはならない。
 そもそも田口ランディが激賞しなければ、こんな本が大書店で平積みになることもなかったはずだ。田口ランディは15歳の時に「分裂病の少女の手記」という本を読んで激しい衝撃を覚えたという人物であり、彼女の実兄はひきこもりの末に餓死している。いわば彼女は古武士(ふるつわもの)なのである。我々のようなヤワな素人筋ではない。
 なのに我々ヤワな素人は「分裂病」と聞くとちょっと惹かれてしまう。どんなものなのかちょっと知りたくなる。我々が読みたいなと思うのは、「分裂病とは、ほら、こんなものですよ」と簡潔に法則化して、明快に例示してくれる書物である。「だから、こういう風にすると、ほら、治るんですよ」と書いてあればなおのこと救われる。ところが、現実の治療の現場はそんな生易しいものであるはずがない。しかし、往々にして売れるのは、そういう極端に単純化された書物である。
 まず、「知覚の呪縛」という本はそのような本ではない。「なるほどね」と明るく頷きながら読めるような本ではない。そして、何にもまして、書いてあることが、表現も内容も、あまりに難しすぎる。電車の中で読んでいて何度眠りに落ちてしまったことだろう。1行1行読み進むのに本当に難渋する。それに加えて、主治医である作者の苦悩が行間から随所に滲み出していて、読んでいても痛々しい感がある。それでいて、小説のように最後まで読むと何かが解決するかと言えば、とんでもない。解決も解消もしない。それどころか解決への暗示すらなく終わってしまう。
 「こんなにしんどい目をしながら最後まで読ませて、これか!」と毒づきたくもなってしまう。現実の分裂病の重みの前に、わずかでも解決を期待した自分に罪悪感さえ覚えてしまう。それほど重い本である。だから素人は決して読んではいけない。
 さて、私のこの文章をここまで読んでもなお、「それでも覚悟を決めて読んでみたい」という人だけに、私はこの本を薦めることにしよう。上にも書いたとおり、読み終えた時そこには解決も解消もない。だが不思議なことに、かそけき救いがあり、確かに大きな余韻は残る。

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紙の本

ディオニュソスとアリアドネ

2002/02/24 23:08

1人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:オリオン - この投稿者のレビュー一覧を見る

 精神病理学者として、分裂病者Sの主治医として、著者は没落したSの世界を理解しようとする。そこは「ワラ地球」(Sが「入れられた」世界──知覚世界)と「オトチ」(お土地=本当のモトの地球・オヤグニ[親国]=原物・起源の世界──非知覚的想起世界)という「瓜二つ」の世界に二重化されていた。

 著者はまず「オトチに戻りたい、オトチに帰りたい、オトチに変えたい」とSの欲望が向かう対象を、大森(荘蔵)哲学のキーワードを借りて「実体的思い」と名づける。知覚は常に実体的(vivid physical)で現在形の経験であり、思い(非知覚的経験=想起)は常に非実体的で過去形の経験である。だから「実体的思い」とは矛盾した概念なのであって、「常に必ず知覚現場の実体性と交錯し合い、遂には知覚の実体性を浸蝕し破壊してしまう。要するに知覚から自然な実体性を剥奪しこれを「ワラ」にしてしまう」のである。

 著者は次に「S・ワラ・オトチ」の三項の意味内容をカフカの短編「掟の門前」の構図を利用してトポロジカルに眺める。オトチは掟・法のように原初的に抑圧された始源=起源などではない。「非知覚的な既知性をおびた実体的思いという模擬物として、Sの世界に現前し続ける」オトチは、「「掟」のような絶対的不可知性や神秘性をおびることなく露骨な強度で現前する」。

 ワラがオトチの模擬物であるのと同様に、オトチはワラの模擬物でしかない。オトチ=原物・実物=起源・始源と呼びうるものなどないのだ。「オリジンのない世界、隠れ続ける限りにおいてその存在を告知するオリジンが欠落してしまった世界、…模擬物同士が相互に二重化しているだけの世界、これがSの世界なのである」。

 そこでは他人は分割され消去され「死人」化され、他所は「死所」化されている。途方もない破壊衝動の産物としてのオトチ。「実体的思い」とは「死の欲動」にほかならない。そして他人・他所が消去されたところでは「私は今・ここにいる」という「他ならざる経験」は不可能である。他人という「鏡」を介して、つまり他人の欲望に曝されることで、肉体はまとまったゲシュタルトになり得るのであって、自我は誰の欲望対象にもなり得ない。

 しかしSにとってその自我と肉体は端的に同じもの、すなわち「肉体自我」(他者)と化している。こうしてSの実体的思い=死の欲動は彼女自身の肉体自我に向かう。皮膚粘膜や体性諸感覚はすべてワラ(反‐有機物)化し、皮膚粘膜につつまれた肉体の内部空間は崩壊していくのである。この「死の欲動」が露呈し「主[あるじ]S」が排除された世界との「人間的交流」をめざして、著者はテオリア的に観ることから「治療」へと向けた一歩を踏みだす。

 それは、著者自身のメタモルフォーゼに賭けることである。Sによって呪縛され禁止された「私」が、そしてSを「分裂病者」と名づけた立法者である「私」が、Sにとって「真の絶対的な他人」へと変身していくことに賭けた、その感動的ともいえる「交流」の記録が本書である。

 ──ニーチェの遺された断章やニーチェの思考をめぐるいくつかの論考(とりわけドゥルーズ)と同時並行的に本書を読み進めていって、驚くべき(と私には思えた)平行関係に気づかされた。Sは観られる・見られる対象から聴かれる対象へ、そして触れられる対象へと変容するアリアドネであり、著者は観る・見る主体から聴く主体へ、仮面(ワラ)を被った哲学者から生理学者・医者としての哲学者へ、そして創造者・立法者としての哲学者へと変身するディオニュソス=ニーチェである。

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紙の本

2002/03/24朝刊

2002/04/12 03:15

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:日本経済新聞 - この投稿者のレビュー一覧を見る

 日本精神神経学会が「精神分裂病」という呼び方を「統合失調症」に変更するという。長年患者に向けられてきた差別や偏見をなくすための動きだ。本書は精神科医の著者がこの病の本質に迫ろうと一人の患者に向き合った記録だ。科学者としての観察眼を失うことなく、患者にぎりぎりまで寄り添い、その世界観を読み解き、治癒しようとする姿勢がすさまじい。世間に漂う安易な「病理」感が吹き飛ぶ。
(C) 日本経済新聞社 1997-2001

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2007/08/07 12:26

投稿元:ブクログ

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2013/02/03 00:32

投稿元:ブクログ

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2019/01/07 10:17

投稿元:ブクログ

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