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蛇との契約 ロマン主義の感性と美意識 みんなのレビュー

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紙の本

後編:ココシュカにあっては、魂(anima)は狂気(mania)と同義語である

2003/02/21 18:15

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:服部滋 - この投稿者のレビュー一覧を見る

<書評後編>
 ところで、異性との「つらい個人的体験」とは、直接にはアルマ・マーラーとの破局を指す。最初の相手が画家クリムトで、作曲家マーラーと結婚し、やがてココシュカを振って建築家グロピウスのもとへと走った恋多き女アルマ。ココシュカの「嵐」という絵画の、そしてほかならぬくだんの等身大人形のモデルこそ、「ココシュカをその魅力で難破に導いたセックス・セイレーン」アルマ・マーラーである、と滝本誠氏は書いている(「人工陰毛のアルマ・マーラー」、『映画の乳首、絵画の腓』所収)。

「オスカー・ココシュカのスキャンダル」の副題をもつこのエッセイで、滝本氏は「ココシュカの不幸は、クリムトやエゴン・シーレ、リヒャルト・ゲルストルのように、“世紀末ウィーン”という時代風土の中に殉死できなかったことだ」と論じている。ココシュカは1980年、94歳まで長生きした。だが20年代以降のかれの作品は「色彩バランスが崩れた夥しいジャンクである」と滝本氏は斬って捨てている。
 アルマとは似ても似つかぬモンストルムに抱かれながら、幼児のごとく幸せな時を長い長い夢のなかに過ごした敗残の芸術家——。それにしても、プラーツはなぜアルマの名を伏せたのだろう。この稀代のファム・ファタル(宿命の女)の名を。

 プラーツの名についてまわる「みだりがましいまでに博学な」といった評言(若桑みどり、『官能の庭』訳者あとがき)に恐れをなすことはない。本書は、仰々しいまでに重厚な造本とは裏腹に、以上のような読んで愉しいエッセイというに相応しい内容に充ちているのだから。
 綺想、ビザール、マニエリスム、幻想怪奇といったジャンルに興味のある人は手にして裏切られることはないだろう。いささか値が張るが、千頁を超す大著ゆえのこと。決して高くはあるまい。めったな本屋には常備していない。こんな本こそネットで注文するに最適である。重いしね。 (bk1ブックナビゲーター:服部滋/編集者)

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紙の本

ココシュカにあっては、魂(anima)は狂気(mania)と同義語である

2003/02/21 18:12

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:服部滋 - この投稿者のレビュー一覧を見る

<書評前編>
 本書の概要および著者マリオ・プラーツについては、すでに何人もの方が書いていられるので、ここではある一篇のエッセイについてのみ触れておきたい。

 オスカー・ココシュカ。この奇妙な名をもつ画家をご存知だろうか。20世紀初頭、ドイツを中心に起こった表現主義運動——絵画・文学・映画・演劇・音楽、総じて芸術の諸ジャンルにおける革新——の担い手のひとりであったオーストリアの画家。本書第8部「ココシュカの人形」でプラーツは、かれのことをイタリアではあまり馴染みがなく、「その滑稽な響きのせいで、空想上の名であるかのように」思われるかもしれないと書いている。
 しかしココシュカは、文学におけるドストエフスキー、ストリンドベリに匹敵する存在であり、ロートレック、ゴッホの兄弟、「中央ヨーロッパのピカソとも言える画家である」と、プラーツはかれに最大の讃辞を捧げている。ココシュカの作品を「腐った水溜り」と罵倒したオーストリアの美術批評家への憤懣やら、イタリアで正当に評価されていないことへの反動やらを差し引いても、これは特筆にあたいする評価だろう。

 さてそのココシュカだが、第1次大戦末期、戦争やら、異性との「いくつかのつらい個人的体験」やらのために厭世的な気分に陥った。そこでかれはストックホルムのM嬢という芸術家に、人形の製作を依頼したのだという。手紙にデッサンまで添えて指示したその人形とは、等身大の女で、手足は関節をそなえ、「脂肪と筋肉が急に腱に変わるあたりや、脛骨(すね)など骨が表面に浮かびでているところを触って楽しめる」ようでなくてはならない。また、口にはむろん歯も舌もあり、「秘められた女の部分についても完璧に仕上げ、毛が豊かに生い茂っていなくてはならない」。

 つまりはいわゆるダッチワイフを要求したわけだが、服やらハイヒールやら下着やらを用意して到着を待ち焦がれていたココシュカのところへ届いたのは、丹念につくられてはいるものの要するに「グロテスクな怪物」であった。激怒したココシュカは人形を引っつかんで庭に引きずりおろし葬り去った。だがしかし、やがて公衆の面前に、オペラ劇場のボックス席などに、人形を連れたかれの姿が見られるようになった、という。
 プラーツは、「思うに、芸術家は人形に付き添われて、人形を抱く子供さながら、幸せな時を過ごしたことであろう」と書いている。「芸術家の魂は、永遠の『童子』の魂だと言われてこなかったであろうか」と。(後編へ続く)
 (bk1ブックナビゲーター:服部滋/編集者)

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紙の本

ロマン主義とデカダン芸術の「聖典」というべき大著。日本版は世界初の訳注が完備して、読者に届けられる。

2002/05/08 22:15

2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:中条省平 - この投稿者のレビュー一覧を見る

 マリオ・プラーツは、現代のロマン主義およびデカダン芸術にたいする考え方を根本的に変革すると同時に、まったく新たに確立してしまった偉大な学者・批評家である。
 そのもっとも重要な著作は『肉体と死と悪魔』(一九三〇年初版、邦訳・国書刊行会)だが、長いこと『ロマンティック・アゴニー』という英訳書名で知られたこの名著が、澁澤龍彦のデカダン文学紹介の最大のネタ本であったことは、いまや多くの人が知るとおりである。つまり、一九七〇年代の日本における幻想文学の一大ブームは、いわばプラーツが影の立役者として盛り上げたものだといっても過言ではない。
 また、ルキノ・ヴィスコンティの名画『家族の肖像』の主人公の大学教授(バート・ランカスター演)はプラーツをモデルにした人物であり、あの映画の下敷きとして、プラーツの自伝的著作『生の館』が使われたという。本書『蛇との契約』は、ありな書房からの六冊目のプラーツの大著の邦訳であり、こうしたアカデミックな文化事業に真摯に取りくむ出版社に心から敬意と感謝を捧げたい。『生の館』もありな書房から出版してはもらえないものだろうか?
 さて、『蛇との契約』(一九七二年)はプラーツが七五歳の折りにまとめられた批評集であり、「『肉体と死と悪魔』への補遺」という副題が添えられている。しかし、「補遺」という消極的な形容は正しくない。確かに、両者がとり扱う主な対象は、M・G・ルイス、ポー、スウィンバーン、ウォルター・ペイター、ワイルド、バルベー・ドールヴィイなど、かなり重なりあっている。だが、五〇年ほどにわたって書き継がれた論文集である本書は、その量(1000ページを超える!)と守備範囲の広さにおいて、『肉体と死と悪魔』を凌駕するともいえ、とくにラファエル前派とその周辺についての記述がまとめて二百ページほども読めたり、アール・ヌーヴォーについてのプラーツの考えを知ることができたりするのはじつにありがたいことだ。
 ロマン主義とデカダン芸術に興味のある方には必携の名著であるだけでなく、訳者の浦一章氏が巻末にほどこした一一〇ページにも及ぶ訳注は、本書が原書や仏訳をはるかにしのぐ大きな要因であり、訳注に目を走らせているだけでも時を忘れてしまう。日本の読者はつくづく恵まれているものだと思う。 (bk1ブックナビゲーター:中条省平/フランス文学者・学習院大学教授 2002.05.09)

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