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読んでて少し苦しくなる。
このエッセイは死の印象が強い。
イタリアのゲットに生きたユダヤ人、早くして亡くした夫、祖母の死に重篤の母。
辛かった…
でも読むことは辞められなかった…
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「世界は分けてもわからない」で話題に挙がってて、それ以来読みたいなーと思っていながらも本屋に行ってもつい忘れてしまっていましたが、恵文社一乗寺店でやっと見かけたので購入。地に足がついたというか、身に染み付いたものが自然と溢れ出てきたような、そんな印象を受けました。特にトルチェッロでの滞在の下りが素晴らしかった。読了した今、コルティジャーネの絵の下りだけもう一度「世界は分けてもわからない」を再読したいです。
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「地図のない道」が地図にない道ではないことに、好奇心を持ち読み始める
ご主人と祖母がなくなった頃に訪れたヴェネチア
友人からもらった1冊の本をきっかけに訪れたヴェネチア
知らなかったヴェネチアのゲットーを訪ねる
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イタリアの空気が伝わってくるよう。
筆者の記憶の引き出しが次々とひらかれて、時間も場所もいったりきたり、冷静でいてこだわりのある筆者ならではの追想の道筋を疑似体験できる心地よさがなんともいえない。
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1冊の本から様々な場所、様々な人との思い出、旅での出会いから感じたことが綴られているエッセイ。
2編の短編が収録されている。
後半の「ザッテレの河岸で」では、ヴェネチアの娼婦の歴史を追う中で、1つの答えにたどり着く。
このすとーんと落ちる感覚はなかなか味わえないなぁと思う。
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ヴェネツィアをテーマにしたエッセイ集。著者は書き手である前に、まず読み手として優れたわざを持つ人で、ああ、いいなあ...としみじみ。
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福岡伸一さんが推薦していたのがきっかけでしたか。本当に美しい描写、どこまでも清澄な日本語。イタリアに長く長く暮らし、生きた時間があっての作。想像させていただく作者の視点、思考空間は私が今までに見た、少しは感じた何かとは全く違う。作者のエゴ、欲が1mgもない紀行文。こんな所に到達できるように生きられたら、どんなに素晴らしいでしょう。遠い
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2015.10/1 『コルシア書店の仲間たち』『ヴェネチアの宿』以来の須賀作品。夫の急逝によって深い喪失感に囚われている30年前の自分を、やっと整理したかのように周囲の物事を客観的に捉え表現し逡巡しているのが、古くからのヴェネチアという観光地の空気と相まって奥行きを感じさせる。須賀さんが取り込まれるデジャビュ感、それに真摯に向き合うところが学術的で素晴らしいと思う。
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ほれぼれする文章ですね!主にヴェネツィアに関する著者の思い出から話を展開し、ヴェネツィアやユダヤ人の問題、自己の祖母の記憶などなどに展開していく筆力は見事です。
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1994年に雑誌掲載された原稿を亡くなって1年後の1999年に出版したもの。「著者が加筆・訂正中だった原稿を著作権継承者の了解を得て、編集部で整理したもの」とある。
須賀敦子のエッセイはいつも唐突に終わるのだが、「加筆・訂正中」だったせいなのか、未完の感は否めない。
たんなる旅行記ではなく、ヴェネチアへの旅を通して、急に夫を亡くし、イタリアからも日本からも宙ぶらりんだった著者自身の過去、祖母の思い出へと展開されていくあたりはあいかわらず見事。
河岸の表札と、時間に追われつつ見た展示会、人からもらった一冊の本がヴェネチアの娼婦をめぐる物語へとひとつにつながっていく『ザッテレの海岸で』はなかなかにスリリング。
いずれにせよ彼女の早すぎる死が残念。エッセイの唐突な終わりかたとともに物足りなさが残る。
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「トリエステの坂」の文章力に魅せられ、続いて手に取った。歴史ある運河の都市ベネツィアに何度か立ち寄ってその風土、生活する人たち、刻まれた歴史の名残りを全身で感じるようだ。差別の暗い歴史も重々しく澱む街の空気を感じる。2021.5.20
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晩年、日本とヴェネツィアを行き来してなおイタリアへの思いいれ、情熱を静かに語る。亡くなったイタリア人の夫への哀切、一緒に働いたイタリア人の友たちのこと、ヴェネツィアの裏道をたどるように追憶し、あやなす。書物を愛する須賀敦子彷彿。
他「ザッテレの川岸で」