紙の本
「リンク」の哲学──現代のアルス・コンビナトリア
2003/03/30 15:38
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投稿者:オリオン - この投稿者のレビュー一覧を見る
希代のネットワーカー、ライプニッツ。その射程は、千年に一人とも言われる哲学者にして数学者、法学者、歴史家、等々の諸学の「編集」から外交官として活躍、さらには本書第3章「発明術と実践術」で詳細に論じられる計算機の発明家にして図書館員、鉱山開発者といった実用面に至るまで、およそ森羅万象、人知の至るかぎりの広範な圏域に及ぶものであった。しかしライプニッツの創造性の秘密は、「ネットワーク」というどこか神の視点を思わせるところがある言葉よりもむしろ「リンク」(現代版アルス・コンビナトリアとしての)というキーワードでもってとらえる方がよりアクチュアルに解明できる。
「ライプニッツの思想に本質的とも言えるような表現手法がある。これを「リンク」と呼んでみよう」。『モナドロジー』はライプニッツのリンク集なのではないか。──本書はこの斬新かつ刺激的な着想に導かれて、まず第1章「発想術」でライプニッツの考え方の基本とも言える連続律や、類比の方法(図と地の絶えざる反転としての)を一瞥し、続く第2章「私の存在術」では、個体(モナド)と世界(予定調和)との往還運動(相互リンク)としてのライプニッツ哲学と、その往還がもたらす緊張関係に対するリスク・マネジメントとしての保険論に説き及び、第4章「情報ネットワーク術」で、リンクの哲学としてライプニッツの活動を「裏から」覗き見る。
《リンクを張るという営みは、あるものとあるものとを結びつけるということだけではなく、「結びつける」という働きそのものを生み出している。(略)リンクは新しいネットワークを築くことによって新しい空間と時間とを生み出すのである。まさに、事象の新たな秩序がそこには見いだされる。そしてそれは新しい事物を生み出すことでもあるのだ。/情報はその場所を固定してしまうと産出能力を失ってしまう。たえず揺り動かすことが必要だ。ライプニッツが書物に対してとったさまざまな試みは、情報の沈殿物である書物を掻き乱すことによって情報を浮き上がらせようとするものであった。(略)ライプニッツはあらゆる場で情報の掘り起こしに努めていた。それは新しい意味を探り、新しい世界を生み出そうとする試みであった。》
フォイエルバッハは、スピノザの哲学は望遠鏡でライプニッツのそれは顕微鏡だ──《スピノザの世界は、神性という無色なガラスであり、われわれがそれを通して一つの実体が放つ無職の〈天の光〉以外の何物をも見つけないような媒体である。ライプニッツの世界は、多角形の結晶体であり、自分に特有な本質を通して実体が放つ単純な光を無限に雑多な〈光の富〉の中で多様化し且つ暗くするようなダイアモンドである。》(『ライプニッツの哲学』)──と述べた。この二つの世界が相互にリンクを張ること(もしくは類比=図地反転の継続)こそ、スピノザやライプニッツの同時代とも言える(ただし、何かが反転している)現代の課題なのではないか。
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哲学者、数学者にとどまらず、法学者、歴史家、外交官、図書館司書、といった多様な顔をもつライプニッツの活動の現場に迫り、彼の哲学的な姿勢や「世界の見方」の特徴を解明しようとする、ユニークな本。
著者がまず注目するのは、ライプニッツの思索の中核にある考え方とも言うべき「連続律」である。この考え方は、もともとは力学の問題を考察する中で提出された。すなわち、静止を運動の無限小と理解することで、デカルトの力学が孕んでいた物体の衝突に関する問題を解決を図ったのである。だがライプニッツはこの発想を、形而上学的な原理としての自然の多様性と存在の無数性に拡張する。
こうした世界観を後押ししたのが、レーウェンフックの顕微鏡による細胞の発見だった。ライプニッツは、どんなに微小な生物のうちにも生命が宿っていて、その中にもさらに生命体があって……という仕方でどこまでも続いてゆくような世界観を提出する。しかも、それぞれの生命体はあらゆる他の生命体との関係の中に置かれているとされる。こうした発想が、「どの単純実体にも、……宇宙を映す永遠の生きた鏡なのである」という『モナドロジー』の言葉の背景にあることを著者は論じる。こうして、微小なモナドから宇宙の全体までを、互いに関連しあう視座の中で考察するのが、ライプニッツの思索の特徴をなしている。
こうした発想に基づきつつあらゆる領域を横断して展開されてゆくライプニッツの思索は、複雑なネットワークを形成することになる。著者は、「類比」という方法や、保険論、計算機の製作、図書館活動、ハルツ鉱山開発などの具体例を取り上げながら、ライプニッツが思索を展開してゆく仕方に迫っている。
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古書店にて2500円で発見。著作集には手が届かないが、これは買って読まねばなるまいと購入。従来と違う切り口でライプニッツに迫ったとあとがきにある通り、主に業績面からの分析で理論と実践の侵犯者ライプニッツの特異性を浮き彫りにしている。取り分け気に入ったのがこの記述→"(ヴォルテールの『カンディード』に関して)主人公カンディードとパングロス博士の惨めな人生を描いて「最善」を否定したはずだったが、その落ち着いた結末はむしろライプニッツの真意に沿うという皮肉なものとなっている。これこそが真のオプティミズムだ"(P148註1より抜粋)
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正直、ところどころ、著者のスタンスに疑問を感じるところはある
まぁこの分量でライプニッツを語ること、ライプニッツのように読者に合わせた書き方をしていること、などは考えられるものの、え、それを自明のこととして良いんだっけ?というような
とはいえ、ライプニッツの一冊目として、とても面白かった
例えば巻頭の地図
ライプニッツの移動がわかる
スピノザとあったこととか、その距離感とか、そういう周辺から見えてくるのは面白い
あと、おまけ的についてるライプニッツ 1702年密着、が面白い
全部読む必要はないけども、その膨大さには驚く
遺されたもの、の項も面白い
これまた膨大
そのあたりでライプニッツの姿を素描しつつ、入る
発想術が一番面白かった
多様性を保つこと
静と動を考えるときに、静ではなく無限小の動とする、顕微鏡的な感覚からマンデルブロな感覚への接続など、自分のもやもや頭の中で考えてる感覚と同じかよ、と思うものが多々ある
存在術、というのは、そのタイトルの言葉からしてよくわからないこともあり、頭に入ってこなかった
発明術と実践術、というのも面白い
図書館の構想など、とても参考になる
情報ネットワーク術、ここに関しては確かに重要と思うが著者が書き切れてないのでは。
中途半端。
スピノザ離れてライプニッツの1発目。
途中、ダレ気味のところもあって読むのにかなりかかってしまう。
さてさて、ところで僕はデカルトは割と好きだ。
西洋哲学史はプラトンへの注釈だ、というように、近代哲学とはデカルトをどう批判するか、というところがある(と思ってる)
スピノザからして、デカルトには一定の共感をしつつ批判的だし、ライプニッツだってそう。
デカルトの過ちは、暗闇を一人歩く個としての自分をまず思索のはじめにおいたことだと思う。そうするとあぁいう結論になるだろう。
でも、自分というのは、暗闇を一人歩く個なんかではない、というのがデカルトへの決定的批判だろう(と僕は思ってる)。
スピノザは、聖書への歴史的批判的解釈が根本にあって(多分)、聖書の言ってることってほとんど、預言者の想像力やん、モーセには法がとかれ、キリストは道徳を伝えたけども、今の時代にはもう一歩進んで、倫理学がいるでしょう。聖書みたいな物語を方法にするんでなく、幾何学を方法にすべきでしょう。それはいかに、というのでエチカを説いてるんでは。と思ってる。
で、その根本にあるのは、多分、ケプラーによって宇宙の数学的な完成度がみえてきたこととか、レンズ磨きとかでとらえたんじゃないかと妄想してるけども、世界はものすごく幾何学的で完璧だ、奇跡なんかよりも世界がこのようにあることのほうが凄くて、その調和を乱す奇跡なんかはむしろ預言者の想像力程度のつまらんもの、自然即神。なのかなと。
ライプニッツは、無限小とかの連続律が根本にあるのでは。と感じてる。あらゆる中間があるてことでは。だから、全ての学問にも、その中間領域がある、で、そ���を埋めていくことで満遍なくしていくこと、そんなとこにあるのでは。
と思うと、ライプニッツには目的がないのかな、とも思う。スピノザにはエチカに至る幸福についての問いと発展がある。デカルトは、第一原理から世界を全て構築しなおす。ではライプニッツは何をしてたのか?どちらかというと、実務的な仕事に忙殺されてただろうことも含めて、そこにはそういう目的よりも、ひたすら拡大し多様化していくこと、少しアリストテレス的な欲望への近似なんかも感じる
まぁ、まだ読み始め。頑張ろ。
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