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一号線を北上せよ みんなのレビュー

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みんなのレビュー29件

みんなの評価4.0

評価内訳

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27 件中 1 件~ 15 件を表示

紙の本

『深夜特急』と一線を画する紀行文、そしてどこを旅しても沢木耕太郎は沢木耕太郎。

2010/05/14 01:18

4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:風紋 - この投稿者のレビュー一覧を見る

 『深夜特急』と本書とを区別するものは、前者は「ある時期の『私』を描こうとしたもので、『旅』そのものを描こうとしたものではない」(本書あとがき)のに対し、本書は紀行文、つまり「旅」について書いている点だ。
 この違いは大きい。『深夜特急』の主役は、マカオにいようとインドにいようと、あくまで「私」つまり沢木耕太郎である。他方、本書の場合、主役は旅先の土地なのだ。
 この点は、本書のさいごに置かれた『記憶の樽』を読めば明らかだ。「私」は、スペインのマラガを訪れ、二十年前に立ち寄った酒場をさがす。フラッシュバックのようによみがえる記憶を懐かしむ一方、失われた記憶のほうが多大である悲哀をあじわう。・・・・この紀行文の主役をなすのは土地である。『深夜特急』の旅の二十年後の今、マラガにおいて目にするもの、味わうもの、そして風物に触発されて湧きおこるさまざまな思い、つまり旅情である。

 とはいえ、どこを訪れても沢木耕太郎は沢木耕太郎だ、と思う。本書の舞台はヴェトナム、パリ、ポルトガル、スペイン、米国、オーストリア・・・・とさまざまだが、どの紀行文も文章は軽快で、抵抗なく入っていくことができる。そのくせ、読み捨てるには惜しい質実さがあって、噛みつづけても味が薄れないチューインガムのような感じなのだ。
 これは、細部の事実からなにかを発見する眼がたしかであり、記述が堅実だからだ。

 たとえば、紀行文として本書の冒頭におかれた『メコンの光』は、「バスの乗り方がわかり、食事の値段がわかり、ヴェトナムの言葉でありがとうのひとことが自然に出てくるようになって、私はホーチミンで少しずつ自由になっていた・・・・」といった調子で、じつに軽やかに現地に適応している。そして、適応ぶりを報告する文章も軽やかなのだ。
 また、おなじ『メコンの光』から引くと、「ハッとさせられたのは、英文のパンフレットに記されていたひとつの単語を眼にしたときだった。その中に『ヴェトナム戦争中』とあるはずのところに『アメリカ戦争中』とあったのだ」という発見があり、「よく考えてみれば、ヴェトナムの人々にとってあの戦争は『ヴェトナム戦争』などではなかった。少なくとも北ヴェトナムとヴェトナム解放戦線にとっては、アメリカとの戦争、つまり『アメリカ戦争』だったのだ」という省察がある。この発見は、著者のみならず日本人全体の・・・・おそらくは「アメリカ」及びその盟邦の人々の固定観念をひっくり返す発見でもある。
 文章の軽快、著者なりの発見、そしてそのもとになる微細な事実は、本書にあまねく見いだすことができる。

 評者にとって、集中もっとも楽しめたのは、さきに挙げた『メコンの光』、そして『ヴェトナム縦断』だ。つまりアジアの旅である。自分の旅をふりかえってみても、「石の文化」の西欧を旅するより「木の文化」のアジアを旅するほうが気楽だったような気がする。
 『ヴェトナム縦断』は、ホーチミンからハノイまで、国道一号線を北上する旅を記す。妙味を逐一あげて、これから読者となるかもしれない方々の興を削いでもつまらない。本書でいう「一号線」には二重の意味がある、とだけ付記しておこう。第一は具体的な、ヴェトナムの国道一号線である。第二は象徴的な、沢木耕太郎が「夢見た旅」である。
 「もしかしたら、誰にも『北上』したいと思う『一号線』はあるのかもしれない。もちろん、それが『三号線』でも『』66号線』でもいいし、『南下』や『東上』であってもかまわない。/たぶん、『北上』すべき『一号線』はどこにもある。ここにもあるし、あそこにもある。この国にもあれば、あそこの国にもある。私にもあれば、そう、あなたにもある」(本書『一号線はどこにある?』)。

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紙の本

センチメンタルジャーニー

2003/03/09 17:20

2人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:夏の雨 - この投稿者のレビュー一覧を見る

 「中年も過ぎた年代になると、誰にもたくさんの持ち物があります。持ち物が少なければ少ないほど思い決めることは簡単ですから、思い決めるにはみんな持ち物が多すぎるのでしょうね。でも、本当に大事なものというのは、実はそういくつもない。旅に出ると、そのことが本当によくわかります」。

 沢木耕太郎はこの「一号線を北上せよ」という新刊の刊行に合わせた「週刊現代」(3月1日号)のインタビュー記事でそう語っている。檀一雄のポルトガルの生活をなぞろうとして旅に出た「鬼火」、写真家キャパの青春の日々を訪ねてパリの街を歩く「キャパのパリ、あるいは長い一日」、そしてあの「深夜特急」の旅から二〇年後の地中海に面した港町を旅する「記憶の樽」など八つの旅行記を収めたこの本は、沢木耕太郎の魅力を存分に味わえる紀行文集である。

 沢木の魅力。それは彼の「感傷」的な物事の捉え方の魅力と云っていいだろう。この本の中の一篇「象が飛んだ」は、一九九一年アメリカ東海岸の古いリゾート地で行われたヘビー級タイトルマッチを描いた、とりわけその「感傷」が濃い作品である。終わらない日々に決着をつけようとする元世界ヘビー級王者ジョージ・フォアマンを描きながら、沢木は自身の「感傷」を描いたともいえる。沢木は書く。「『感傷』が『論理』を打ち砕かないとも限らない」(106頁)と。私にはそんな沢木が自分自身の「感傷」性に気がついているように思えてならない。そして、沢木の作品を読み続けてきた私自身もまた自分の「感傷」を捨てきれないでいる。

 沢木耕太郎は常に「ここではない場所」「今ではないいつか」「あなたではない誰か」を書き続けてきた。考えてみれば、それらは「論理」ではない。結論が導きだせない「感傷」でしかない。閉じることのない、永遠のメビウスの輪だ。たくさんの持ち物を持ちすぎた私たちは、多くの荷物を抱える一方でそんな柔な「感傷」を否定し続けてきたともいえる。しかし、閉塞した時代にあって「感傷」もまた明日を夢見る原動力になるかもしれないと、沢木の作品を読みながら思った。なぜなら、私たちもいつか「ここではない場所」を求めてそれぞれの一号線を歩き始めなければならないのだから。

 冒頭の週刊誌のインタビュー記事で、沢木耕太郎は最後にこう語る。
 「もう歳だとあきらめる必要はない。間に合わないときはない−僕はそう思うのです」。

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2004/10/29 12:18

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