紙の本
4つの中篇それぞれにくっきりと生々しいまでに描き切られた男性たち。個人の像を丹念に彫塑することで、向こうに透けて見えてくるアメリカ社会。
2003/08/12 23:45
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投稿者:中村びわ(JPIC読書アドバイザー) - この投稿者のレビュー一覧を見る
カバーの装画が非常にユニークで、割れた卵の殻様のかぶり物の下に、どんな目が隠されているのか気になる。内容を暗喩する絵だと思うが、読み進めていて私が思い浮かべた絵は、アンドリュー・ワイエスである。
ワイエスは、アメリカ中西部にある自宅のわずか数キロ四方の風景、そしてそこに暮らす人びとを描きつづけた。モデル女性の髪のほつれ1本1本、風になびく草の葉1つひとつを写真で切り取ったように写実的に描くのだが、本人は自分は抽象画家的だと言っているらしい。確かに、絵を眺めていると分かる気がする。モデルの深い内奥や、その場に漂う雰囲気など、形にならないものを封じ込めている。
小説には、絵では抽象的に留まらざるを得ない人物の内奥に、言葉で肉迫していこうという側面がある。たとえば、それが憧れか嫉妬か憎しみか、作者が何であるのかと明確にしなくても、読者は登場人物の内なるつぶやきを読ませてもらうことで、自分なりに解釈していける。
髪の柔らかさや目のけわしさ、骨格の具合などが文章には書かれていないなら、絵画よりもリアリティという面でひけを取るが、逆に絵画には表れない感情のうねりや推移が書かれることで、絵画以上のリアリティを獲得することができる。
今、私は安易にリアリティという言葉を使ったが、それは「こういう人が確かに世のなかには生きている」という存在感のことで、割に漠とした意味のつもりだ。
ワイエスの絵はごく細部まで丹念に描かれていて、モデルの内奥を読み取り、それに感応した画家が絵のなかの対象に魂を吹き込んでいる。イーサン・ケイニンの文章は、ある人物の性格を想定し、それをごく細部まで丹念に描きながら、それに感応した作家が登場人物としての対象にやはり魂を吹き込んでいる。すっきりとまとめられないのだが、存在感ある人物、もっと言うなら、鑑賞者に肉迫してくる人物像を表現することにおいて、両者は似通っているなと思えたのである。
4つの中篇それぞれに描かれた主人公は、どれも対照的な人物像の副主人公を配すことにより、効果的にその生活や人生、信条や運命を浮き彫りにされている。というか、ペアの人物を描くことで、それぞれの背景である一定の価値に基づいた社会も描く。さらに、その二つの社会を接触させることで、二つの社会を包括するアメリカ社会を描くことができているのだと思う。
たとえば表題作「宮殿泥棒」は、半世紀にわたり高校教師として生真面目に勤め上げてきた老人の話。歴史教師として、一方で人類の気高い理想を目途とすることを少年たちに吹き込もうとし、同時に、人間の成す営みの儚さを認識させたいとも考えていた。お気に入りのローマ史で、教育機関の果たすべきモラルの植付けを実践してきたのだ。彼に相対されるのはワルながらにカリスマ性のあった教え子で、卒業後、産業界のリーダーに出世している。物語は、教え子の在学中と40年ぶりに再会したときに共通するイベントを通じて展開されるが、教育界という教師が背負って立つものに対し、教え子が背負って立つものは政治的な駆け引きの世界だ。元高校教師は、在職中すでに教育を担う学校であれ政治力で動くことを知るが、教え子との再会により、社会や国を動かすものの正体を改めて知る。
主人公たちにはユダヤ系という設定があるものもあり、それゆえ勤勉実直という性格づけがなされている。民族と社会のコンフリクトという読みもできるが、すべての人に普遍的な人生の「ほろ苦さ」でまとめられている点が魅力だ。
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努力家タイプの謹厳実直な中年会計士、天才的な兄と比較される凡庸な弟、かつては劣等生でいまや産業界の大立者になった元教え子に翻弄される老いた高校教師…。普段あまり脚光をあびることのない優等生たちのほろ苦人生を、親身にやさしく、絶妙な筆運びで描き、単行本発表時に絶賛された珠玉の中篇集。
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『優等生』の引け目を、いじけることなく、開き直ることなく
(訳者あとがきのまんまですが)小説の中心に書いてあってなんだか救われます。翻訳夜話以降、訳:柴田元幸とあると気になります。
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こりゃヤバイ。読書人生の中で俺が本を読んで泣いたことは思い出せる限りでは一回もないはず(小さい頃とかにはあるかもしれない)。泣いた。三番目の「傷心の街」で。率直に言って、別に文学的にすごいことをしている作品ではない。あまりこういう作品を読んだことがないので日本で誰とは例えられないんだけど、とにかく前衛的なことは一切なく、しかも全て1人称だし、構成も文体もごくごく普通。普通すぎる。しかし柴田元幸の解説を踏まえて「優等生文学」というジャンルを作らせてもらうと、これはめちゃくちゃうまいよ。そのジャンルをもしかしたら確立した人なのかもしれないけど、誰かがマネしようったってこれはなかなか書けないよ。変人を書くのは簡単だし、弱者も書けるし、庶民を書くのも結構簡単なはずだが、しかし、優等生、それも普通の優等生をこんなにも巧く、しかも4つとも巧く書けているのはすごい。偽装された少年小説であるのも俺がやられた理由の一つなんだけど、優等生ってのはある意味偽装された少年なんだよなあ。俺も結局はかなりの(かなりの、は枠から外れられないということに関して)優等生だから、「宮殿泥棒」の主人公の描き方とかはすげえ分かる。一人の特殊なキャラクターじゃなくて、普遍性を持った一人をこんなにも巧く描き出すのは至難の業であるはず。世界の果てのビートルズから全然時間経ってないけど、今年のベストの可能性が非常に高い。もちろん、今年は読みまくるので激戦になるはずだが(そうそう、ついに、三人が舞踏会に向かってしまったし)、少なくとも中篇でこんなにやられたのは初だし、長編はともかく、こんなにもシンプルで心を打つ中篇にはそうそう出会わないと思う。
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これは面白い。
派手しか売りがないハリウッド映画が嫌いな人は、絶対にこの本好きなはず。
先ず表紙に弾かれた。
本当の目は一体どうなってるんだろう・・・。
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ポール・オースターの訳者であり、私がアメリカ文学を読む際のガイドラインでもある柴田氏が翻訳、ということで手に取ったが。これが大当たり。ここ最近読んだ短編/中編の中では傑出した出来。というか、私の波長に合った。短編/中編ってわりといつも「物足りなさ」が残って、印象に残る物語ってあんまりないんだけど。この「宮殿泥棒」の収録作はどれも素晴らしい余韻。特に私が好きだったのは、「バートルシャーグとセレレム」。これは是非映画にして欲しい(「宮殿泥棒」は映画化されたらしいが)。青春映画として秀作になるような気がする。どの物語も派手さはないし、特別に凝った作りでも、驚きがあるわけでもないのだが。でも、なんとなく味わい深く、懐かしいようで、物悲しく。かなり好印象。(2003 Apr)
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愚鈍な教え子に翻弄される高校教師、天才の兄をもつ弟、努力家タイプの会計士──
優等生のほろ苦人生を親身に描いた傑作中篇集
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努力家タイプの謹厳実直な中年会計士、天才的な兄と比較される凡庸な弟、かつては劣等生でいまや産業界の大立者になった元教え子に翻弄される老いた高校教師…。普段あまり脚光をあびることのない優等生たちのほろ苦人生を、親身にやさしく、絶妙な筆運びで描き、単行本発表時に絶賛された珠玉の中篇集。
「会計士」「バートルシャーグとセレレム」「傷心の街」「宮殿泥棒」
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内容(「BOOK」データベースより)
努力家タイプの謹厳実直な中年会計士、天才的な兄と比較される凡庸な弟、かつては劣等生でいまや産業界の大立者になった元教え子に翻弄される老いた高校教師…。普段あまり脚光をあびることのない優等生たちのほろ苦人生を、親身にやさしく、絶妙な筆運びで描き、単行本発表時に絶賛された珠玉の中篇集。
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頭のいい人は、下手すると鼻持ちならない存在になりがち(僕みたいな劣等生は、ということですけど…)ですけど、このイーサン・ケイニンにしろ、柴田元幸にしろ、頭のいいことが人を心地よくする、という人が世の中には存在していて、この作家にしろ、この翻訳家にしろ、僕をとても心地よくしてくれる。だから、この作家が好きだし、この翻訳家の本についつい手が伸びる。要するに面白い本です。
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優等生の儚くほろ苦い人生の物語が4つ。
自分もいわゆる「グッド・グッド・ボーイ」タイプなので、
なんとなく分かるような気がした。
おもしろいところを突いてる本なのだけど、
ちょっと退屈。
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すごく良かった。一篇一篇読み終わるたび、切ない想いで胸がいっぱいになり、余韻に浸ってしまった。
世の中で基本的に物語の主人公になり得るのは「バッド・ボーイ」ばかり。そりゃそうだ。どうせフィクションの世界に遊ぶなら、社会通念に捉われず、痛快な振る舞いをしてくれる人物の方がいいに決まっている。
一方、「グッド・ボーイ」は物語では常に脇役だ。それも主人公のよき理解者の役として登場すればかなりましな方で、大抵の場合、鼻持ちならない嫌な奴として描かれることが多い。そういう物語に触れると、嫌味な敵役が主人公にやりこめられる様に胸がすくような気持ちになる一方で、何となくもやもやした違和感を覚えていた。現実問題、「グッド・ボーイ=優等生」ってそんなに嫌な奴か?と。
この本は、フィクション世界でいつもヒーローの引き立て役にされる、「優等生」達を主人公にした中篇小説集。どの作品の主人公も日々を真面目に過ごし、こつこつと努力する人ばかり。周囲から見るとそれなりに成功もして、冷静に考えればそれなりに羨まれる立場にいる。
だが、身近には必ず魅力あふれる「バッド・ボーイ」達がいて、彼らが放つ光の眩さの前に、主人公のささやかな光は簡単に飲みこまれてしまう。そのことを自覚しながらも、彼らは自分らしく、堅実に生きていく。
どの作品も主人公の性格そのままに、あまり強烈な事件は起きず、はっきり言って地味な筋だ。でも不思議なことに先が気になって読み進めてしまう。それは主人公達が卑屈になることはなく、地味ながらも背筋を伸ばして自分なりに生きている姿が好感を持てるからだと思う。そして読み手である私が、基本的な価値観について、彼ら「グッド・ボーイ」寄りの人間だからだろう。
どれもよかったが、中でも気に入ったのは「バートルシャーグとセレレム」、「傷心の街」。
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柴田元幸さん訳ものです。柴田さんの訳者あとがきにも書かれていますが、この本の主人公たちは子供の頃、トムソーヤでも、ハックルベリー・フィンでもなく、シド・ソーヤ(トムソーヤの弟。あの眼鏡をかけた真面目そうな子)タイプだった人たちです。