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聖人周公旦の生涯
2007/03/22 20:30
5人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ピエロ - この投稿者のレビュー一覧を見る
古代中国、殷王朝を滅ぼし、周を建国した武王の弟で、太公望呂尚、召公奭らと並ぶ最大の功労者にして、常に兄の傍に侍して補佐し、当時の儀式儀礼について書かれた『周礼』、『儀式』をまとめたとされ、かの孔子がもっとも敬愛したという人物、周公旦の姿を描いた小説です。
古い時代の人物にはよくわかっていないことも多いのですが、周公旦もそういった不明なところが多い人物の一人、その謎の部分をどう料理するかが作者の腕の見せ所なワケですが、そこは『後宮小説』や『陋巷に在り』などの名作を発表してきた作者のこと、ファンタジー風の味付けをしたとてもおもしろい歴史小説に仕上がっています。
先に挙げた二作と比べてかなり短いのが残念です。
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礼は霊力
2003/11/08 09:48
2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:SlowBird - この投稿者のレビュー一覧を見る
実は中国史は詳しくないのだけど、授業で丸暗記した殷周秦漢隋唐宗元明清の10王朝ぐらいはかろうじて覚えてる。その最初に出てくる殷を滅ぼした周の話だから、もう相当に昔も昔の紀元前10世紀のこと。
周を治める者としての周公という呼び名を得た旦という男。殷を滅ぼした武王の弟であり、後には成王の摂政となる、とんでもなく優秀な文官ということになるだろうか。この時に軍事面の英雄は大公望。この辺りの設定は、「封神演義」で最近は有名らしいので説明不要なのかな。とにかく神話に近い時代の人物であり、どの程度の真実を含んでいるかは極めて怪しいのだろう。史記でも旦についての記述は僅かとのこと。
500年後の孔子が仁義礼智忠信孝悌としてまとめた道徳体系は、古くは礼
という一つの体系だったのを分化させたものであって、旦はその礼をまとめあげた思想家にして呪術者(シャーマン)であったと作者はする。
そして、あまねく天地の理に基づき、社会、人心を動かす論理体系が礼だと言うのだ。
儀式(占術、禊ぎ)には農耕民族として必要な天文学や、言語の効用は当然既に適用されている。礼は、その時代の最先端の科学でもあった。これを操れる者は、当代一流の知者・秀才でありながら、同時にシャーマンであることが条件だった、いやこれらはこの時代には一つのことだったわけだ。
旦は、太公望の密かなライバルという位置付けかな。太公望もとんでもない傑物として描かれているが、また彼らは国=中華世界を平穏に治めるべく奮闘する一群である。
ただこの時代の中国は、いかに広いとはいえ黄河流域が中心であり、長江すなわち揚子江周辺以南は楚と呼ばれていて、交流は少なく、まだ(北方から見ると)未知の多い地域であったようだ。政変で旦は楚に関わるが、旦の礼と楚国の交わりがこの物語の肝であり、礼の魔術的な力が圧倒的に発揮される場面が白眉。
楚もそうだが、周も元は西方の部族であり、太公望は後に東方に封じられ、中国世界はまさに多民族世界だった。この物語は単に魔術的かつ知的な冒険の物語にとどまらず、その世界を平和に導こうと苦闘する人々を描くものでもある。聖人というものかくありき。
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古代中国の歴史小説
2023/11/17 10:08
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投稿者:トマト - この投稿者のレビュー一覧を見る
周の国ができて間もない頃のお話です。まだ、まだ、国は安定していない時に幼い子が王となり周りの者が支えるという図式の中、周公旦が活躍が描かれている。なんとも神の力を借りた政治が行われていた時代なので神秘的な要素がいっぱいです。田植えにしても呪術的な儀式が執り行われている様子が興味深い。想像力が掻き立てられます。
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これを、「時代小説だ」とは断言できない。確かに時代小説の王道的な「人生の教え」のようなものも作品の中には出てくる。たしかに、漫画の「封神演義」のようなSF的ファンタジーな作品ではない。
野心に満ちあふれる太公望は生々しく、また、若さゆえの苦しみを抱く武王などや周の側近たちも人間味あふれるように描かれている。一見、時代小説の王道的作品である。
しかし扱っているテーマは術(作品中では「礼」)であり、文章の合間にサラッと何気なく、至極当然だと言わんばかりに「超」能力的な言動が書き記されている。
主人公は武王の弟「周公旦」、光と影で言えば、歴史(小説)的には影の側の人間である。著者は冒頭で、なぜそんな彼に興味を抱いたのかを書き記している。動機のそれとは違い、作品の中では中国史の核心を描いた作品に仕上がっている。
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周公旦が主人公ですがライバル的な存在である太公望がブラックジジィでかっこいい!
ちょっと周公旦が超人的な描かれ方をしています。
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古代中国、殷代末期から周代初期にかけて「周公旦(しゅうこうたん)」と呼ばれる人物がいた。紀元前十一世紀頃のことである。姓は姫(き)、名は旦。殷の紂王を滅ぼし、周王朝を立てた「文王」(西伯・姫昌(きしょう))の子にして、「文王」の遺業を継いだ「武王」(姫発(きはつ))の弟として夙に知られている。若い方や漫画好きの方ならば藤崎竜氏の『封神演義』で、中国史や中国文学が好きな方ならば、読み物の『封神演義』でおなじみの人物でもある。しかし、『封神演義』は歴史をベースにした神仙譚の色が強い作品でもあり、ここに登場する「周公旦」のイメージを、そのまま史的存在としての「周公旦」に当てはめてはいけない。
本書で描かれる周公旦は、史的存在として一体どのような人物であったのか、また、どのような業績を残したのか、彼が生きていた殷周時代とはどんな時代であったのかなど、彼の実像に迫ろうとする作者の姿勢のもと、我々の前に立ち現れてくる。とは云え、歴史的に見て間違いのないように書こうとか、周公旦や殷周時代についての学説・研究結果に沿って優等生的に書こうといった、ガチガチの歴史作品なのでは決してない。
むしろ、歴史の遥かかなた、紀元前十一世紀頃の中華世界を扱うにあたって、史料に乏しい部分においては作者は大いに想像し、推量し、残された記録を分析し、そういった頭脳作業によって結晶となった、独創的な周公旦の人物像を提示してくれている。そういう点で、本書は歴史小説であり、ファンタジー小説でもあり、冒険小説ですらあるように思える作品となっている。そして作者・酒見賢一氏は、周公旦に対して彼が抱いていた一つの疑問から、この物語を説き起こしていくのである。
即ち、周公旦は兄である武王の息子・成王(周公旦から見れば甥)に疎まれ、疑惑の目を向けられた際に、何故、自分の領地である魯(ろ)ではなく、敵対国である楚(そ)に亡命したのか。この一点である。
周公旦は父と兄である文王・武王と共に殷王朝を倒し周王朝を建てたのだが、建国後、武王の治世がすんなりと受け入れられたわけではない。周王朝の支配領域周辺では、中原国家の支配にまつろわぬ夷族がまだまだ多くいた時代であり、なおかつ殷王朝の遺民の中には前王朝の再興を期して、紂王の遺児、武庚禄父(ぶこうろくほ)を担ぎ出し、一戦仕掛けてやろうと目論む者も存在したからである。新王朝建国と聞くと、華々しいイメージが先行しがちであるけれども、周の建国当時は屋台骨がいまだしっかりと組み上がっていないような脆弱さがあったのである。したがって周公旦は、兄・武王の補佐役として内憂外患の情勢を取りまとめる重要なポストにあって、叛乱の火種が大きくならないように外交戦術を策したり、論功行賞に不満が出ないように諸侯達に対して心を砕いたりと、重責の中、こつこつと実務を執り行わねばならない立場にあった。
そんな折、周王である兄・武王が突如崩御してしまうのである。嫡男である太子・誦(よう)を残して。
太子・誦…のちに諡名(おくりな)されて「成王」と呼ばれる人物であるが、この周公旦にとっては甥となる太子はこの時まだおしめも取れていない赤ん坊であ���た。当然、太子が成長し政事(まつりごと)をとれるようになるまでは後見人を立てねばならない。文武百官は、周公旦こそその後見人にふさわしいと推挙する。それは、彼の実務能力を高く評価したからでもあるが、それと同時に、彼の祭祀者・シャーマン・文字を取り扱う者としての異能を認めたからでもあった。
周を取り巻く情勢は未だ安定しない。成王の傅育(ふいく)と政事の執行とを一手に引き受けて数年を経たのち、周公旦は甥の成王と必ずしも良好な関係を築けていないことに悩まされる。成王が若き少年王となり、自我が芽生え始めた時期に当たっていたことも原因の一つであったろう。王といえども子供である。周が置かれている環境を楽観視することは出来ない。経験を持った大人が国家の舵を取ってやらねばならない時期だ。しかし成王は自分で政事をとれると思い始めている。周公旦は成王が賢主として後の周を率いていけるように、時に苦言を呈しながら教育を施す。だが、成王にとっては小うるさい叔父が、また自分を説教しているとしか思えなかったのである。そういう状況の中で、成王は周公旦の様な賢臣を遠ざけて、甘言を弄する邪佞の臣にばかり耳を傾けるようになっていく。
成王の七年、周公旦は政事に関する権力を全て王に奉還し、成王親政が始まった。この時、成王は七、八歳頃であろう。周の体制に不安要素がないわけではないが、周辺諸部族の平定も進み、王朝は一応の安定を迎えるに至った。周公旦は一臣下として引退し、あとは新しい顔ぶれの者達に成王を託すだけのように思われた。だがここで思わぬ事態が起こるのである。心身の保養に務めていた周公旦のもとに、ある日、成王からの問責状が届くことになるのだ。問責状には、周公旦が成王が幼いのを利用して政事を壟断し、私利私欲を図った上、成王を侮辱したと記されていた。成王自らが糾弾しているとは云いがたいが、彼の周囲にあって、周公旦を良く思わない者達の策動に成王自身も乗せられていることは明白であった。悪意に満ちた問責状は、周公旦の誅殺まで匂わせている。考えを巡らせた周公旦は亡命を決断するに至る。
その亡命地として選ばれたのが楚であった。自分の息子が宰領している魯に逃げることも出来たし、共に周建国の為に戦った太公望・呂尚が封じられている斉へ行き、幕僚として迎え入れて貰うことも可能であったろうに、彼は何故、未開の地として中原国家から恐れられ、まつろわぬ民の最たるものである楚へ赴いたのか。それは、楚が「巫祝(ふしゅく)」の土地だったからである。「巫祝」とは日本でいうところの「はふり」や「かんなぎ」「みこ」に相当するものだ。殷周もそうであったが、楚は神々や祖霊、地霊との結びつきが非常に密接な土地で、巫祝階級を通じてのそういった見えざる力との対話によって農耕が進められたり、他部族との戦が行われたり、あるいは子々孫々の繁栄が祈られたりしていたのである。周公旦が政治家・実務家と言われる時、そこには見えざる様々な祖霊や神霊に対して「在(いま)すが如くに仕える」巫祝・シャーマン・おとこみこの側面があったことを我々は理解しておかねばならないのだが、要するに周公旦もまた、周という祭祀国家の能力者であったわけだ。彼は祭祀者としての自分の能力がどこまで通用するかは分からないが、同じく巫祝階級が多数存在する楚に赴いて、楚を実地に見聞し、理解し、そして周との国交が将来的に可能となるように布石を打とうと決意したのである。それもこれも、成王の治世が磐石のものとなるようにという親心にも似た気持ちから出た決死行であった。
周公旦が楚において、どのような経験・折衝をしたかについては未読の方の為にお楽しみとしておきたい。というよりも、字数制限の関係で読み取ったことや思考したことを全て書ききることが難しい。周公旦は後世、「礼」を再編成した聖人として、儒教の祖・孔子から多大な尊崇を受けることになるが、その礼についても、酒見氏が考える礼もあれば私が考える礼もあり、はたまた専門家が考える礼もあったりと実に幅広く、礼について書くだけで一冊の思想書が完成するくらい遠大なテーマなので、別の機会に改めて書く必要を感じる。私としては、貝塚茂樹先生の『諸子百家』に関して記事を書く時が来たら、そこへ自分なりの解釈を述べておきたいと考えている。ここでは簡単に、礼とは単なる礼儀とか作法とかいったことに限定されるものではなく、古代においては天神地祇に祈りを捧げ、人心を収攬し、共同体や国家を運営する上で欠くべからざる社会システムであったことを書き添えておきたい。
私の好きな現代作家に、今回取り上げた酒見賢一氏と宇月原晴明氏がいる。宇月原氏はその作風から、山田風太郎と澁澤龍彦をミックスしたような伝奇作家と評価されることが多い。一見、関連があるとは思えないような歴史上の出来事を、独自の筆致と推理、舞台設定でもってグイッと巧みに引き寄せ、万華鏡のような世界を構築するのである。では、酒見氏はどういう作家なのかというと、これは私の見解だが、司馬遼太郎のような歴史作家へと大変身する可能性が非常に高い人と云えるのである。物語を説き起こしていく際の着眼点や切り口が面白く独創的で、しかもベースとなる歴史事項には殆ど改変を加えない。読者は、自分にとっては既におなじみの、好きな時代や歴史上の人物について読む時でさえ、(こういう見方や解釈があったのか)と感心させられることになるのだ。いわゆる「司馬史観」というものによって、我々が妙に納得させられてきたように、今後は「酒見史観」というものによって歴史小説を愉しむことが出来る気がするのである。
ゆくゆくは酒見賢一という作家に『三国志』を書いてもらいたい。私は本気で期待している。
平成二十一年十月二十四日 再読了
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漫画の封神演義を読んでいた世代なので、
もう登場人物があの絵のイメージ。
この酒見さんの周公旦でも、そのイメージのまま読んでしまいましたが、
生真面目な感じがとてもあってるような気がします(勝手に思ってますがw)
最初のほうは、読み進めるのがちょっと大変だったのですが、
周公旦のあの真面目っぷり、頑張りっぷりが出てきてからは、
さくさくと読めました。
(太公望はギラギラしていましたwでもやっぱり頼もしい!)
良い経験ができた!って思える作品でした。
そしてまたもや、すごく読みやすかった。
今までも興味はあったが好きというほどではなかった中国史。
酒見さんの文章のおかげで、すごい好きになってきてる自分がいます。
(ほとんど孔明のせい)
「陋巷に在り」が早く読みたい。。。
(本屋においてほしい、切実に…!!)
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印象の薄い本。陋巷に在りや泣き虫弱虫諸葛孔明のような突き抜けている感がしない。
分かりやすいことは分かりやすい。そうなのだけど、もっと遊んでくれても良かったようには思う。
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周公旦といえば「バナナをお食べ」でお馴染み、封神演義に出てくる生真面目な政治家…なのですが、こちらは多分もっとちゃんと史実の周公旦の話。
酒見さんといえば、『後宮小説』にて「歴史物だとおもったらファンタジー」という不思議小説を書いていましたが、こちらはどちらかというと「ファンタジックな歴史物」。
歴史の波を流される周公旦の、政治家・宗教家・巫・叔父・摂関など様々な面を見せつつ、激動の太古中国史を面白く描いています。当時の「礼」や「言葉」や「神」などの物の見方が面白いなぁと思いました。
言葉が難しいこともあり、後宮小説よりはとっつきにくかったです。なんとなしで読んでしまった感もありつつ。
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酒見賢一さんお得意の史実に呪術的要素をうまく融合させた話になっています。周公旦という人をこれまで知らなかったのですが、私利私欲に走らずひたすら国家の安寧のために奔走する姿がとても魅力的です。
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礼楽思想と、言葉としては知っていても、イメージが湧かなかった。
政治思想でもあり、宗教でもあり、芸能の要素もあり・・・と言われても、それらが渾然一体となってどう働いたのか、さっぱりイメージできなかった。
さらに言えば、周公旦は伝説的な聖人とされているけれど、何がすごいのか、なぜそんなに尊ばれているのか、ピンと来なかった。
それが、この小説を読むと、何となく分かったような気になる。
小説の力だなあ、と感心してしまった。
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古代中国を舞台にした、伝説めいた歴史物語。
周の建国に貢献した周公旦って、死者の魂と交信できる能力を持っていた?
まぁ、諸葛孔明が風向きを変える話もあることだし、お話としては、ありかも。
って、酒見さんの作品のレビューで諸葛孔明を出すのは、まずいか・・・。
だけど、大勢の前で読み上げられる文章には、人を動かし、人を変える力があるのかも。ならば、本当は、文字を操ることは、秘術を行うのに等しいのか。
遠い歴史のかなたにいる周公旦の姿をおぼろげに想像してみるのも、悪くない。
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3千年以上も昔、紀元前千百年に文化がすでにあり、歴史として記録が残っているのが中国のすごいところ。周公旦は日本においては知らない人の方がはるかに多い気がする。封神演義と比べながら読むと面白かった。
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ゲ―ニウス・ロキの人が、このど毛唐のいろいろへ目をつぶるとか、なので周公旦は外交官として有能ないろいろをやってるらしいとか、主人公が倒れた際、そこの習俗である、薬としての「同胞の肉」が出て、それを喰った処癒されるとか、いい感じ。
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世の中が混迷を極める今のような時代にこそ、周公旦のように落ち着いて「礼」を重んじる政治家が必要である。
書かれている時代は古代の話ですが、非常に示唆に富んだ物語でした。