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恋愛に経済学のエッセンスをのっけた小説です。高校の経済学の先生サムと文学の先生ローラの恋愛小説みたいな内容になっていますが、内容は馬鹿に出来ないほど良いモノとなっています。サムが資本主義の誤解を解くという形で物語りは進んできます。かなり面白い内容でした。内容的にはミルトン・フーリドマンの「選択の自由」をやさしくわかりやすくした本です。量もほどほどでたのしい。おすすめの本です。
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小説中の登場人物らの議論を通じて、法学者とエコノミストの視点の違いが分かるようになっています。普通の小説として読む分にも面白いと思います☆どんどん読み進められます。本の最後には小説中に登場する例や分野それぞれの文献リストも有り。(G山)
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久々に小説を読みました(テーマは「経済学」ですが)。エドワーズ・スクールの教諭である経済学者サム・ゴードンと、同高校の文学の教諭のローラ・シルバーの恋物語ですが、二人の議論が経済学に関するものばかりで、物語を読みすすめていくと自然に経済学的思考が身につくという代物です。サムは資本主義信者で、資本主義経済をとことん肯定していき、いかにもアメリカの小説といった感じがします。でも、サムの言葉には重みがあり、感銘を受けるような名セリフも多々あります。ちょっと紹介すると…「良い人生とはリアルなものである。そこにはたくさんの浮き沈みがある。成功も失敗もある。谷から這い上がるからこそ、山頂からの眺めは爽快なんだ。…。自分自身を知り、正しいことをやる方法を見つけることが人生ではないだろうか。選択肢を狭めるような法律によって、政府にそれをやってもらって、どんな良いことがある?そんなのは人生じゃない。」サムは古典派経済学の塊のような人ですね。
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経済学の思考を学べる。だからと言って、堅苦しいわけではなく、恋の話もあるのでさらっと読める。経済学者と弁護士の考え方や視点の違いもわかった。主人公サムが結構いいことを言っている。
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カテゴリが難しいか(笑)
舞台はある私立高校。風変わりで熱血漢な経済学教師サムの議論と、文学を教え、将来はロースクールに通おうと志す女性高校教師ローラの愛の物語。
この本を読んで言えることは、善悪・正邪・公平と不公平を分ける基準などどこにあるのか、そして、それを一方的に政府のような権威が押し付けることはできないのではないか、人びとの生活とは「選択」の繰り返しであり、それを奪う事は誰にもできないのではないか、、、と言ったところでしょうか。
主人公サムのそうした問いかけに、同僚ローラが反発しつつも魅かれていく・・・。そんなストーリーになっています。
シカゴでph.Dを取られた方の小説、というと日本人には不思議に見えるのですが、小説の中の登場人物を見ても博士号を取りに大学院に行くことがさも当然であるかのように出てきますから、このへんはお国柄の違いなのでしょう。
それ以上に、「経済学的な見方」というものへの偏見はどの国にもあるのだな、というのをアメリカ人の筆で確認できるという点でもよいのかもしれません。ま、解説の一部に出てきたように、ここまで極端な見方は「フリードマン的」と呼ぶのだそうですから(笑p290)、経済学者は主人公のサムさんほど極端な資本主義信奉者(本文では「市場至上主義者」と出てきました。自由至上主義、と訳さなかったあたり、訳者も苦労されたのでしょう)ではないものと思います。
現実は、主人公サムと政府の役割に期待を持つ恋人ローラがやり取りしたような議論を「頭の中で闘わせている」のが経済学者の現実の行動パターンではないかという気がします。「私たちは水と油ではなくて、酢と油。混ぜ合わせるのに時間がかかるだけよ」というのは、なかなか面白い発想でしたね。さすがアングロサクソンの議論好きは違うね。
ただ一つだけ読んで改めて思ったことは、サムとローラの議論を乗り越える力が「愛」だということです。サムは工場の海外移転や未成年労働ですら、「それがなかりせば」という議論を用いて正当化します。これに対して、ローラやその兄は「今現実に困っている人」を例に出して反論します。サムは「いや僕だってナイ●は嫌いだ(p146からの引用です、強調しておきます)」とか後で言い訳したり、こうした二人の議論は平行線もいいところ。
「愛」が介在しないサムとローラの兄の間の和解が描かれることは、続編があったとしてもなさそうです。そして、私たち自身が直面している問題は、まさに個人的な「愛」の介在できない問題なのです。
経済学者の解決法(市場にゆだねる)と、弁護士の解決法(法律と司法による管理)。そんな書き方も出てきました。現実の世界で、この二つのバランスは、民主主義における投票と、政治家同士による討議に委ねられています。日本においては、このバランスをとるためには、もう少し経済学的な見方が一般に普及する必要があるのではないかと思います。
僕個人は、「経済学的な見方」を金科玉条のようにして他者を罵倒するような考えは持ち合わせておりません。今、経済学的に見て非効率な政策にも、過去に何らかの意味があったと考えます。しかし、それを承知の上で、サムのような見方が今の日本には必要であるように思います。日本で正義を押し付ける人たちの中に正義があるとは思えません。なぜか「9条擁護」の旗を立てて派遣村を主導する人も、酔っ払って神聖なるバチカンを汚す日本国某国務大臣も、私には同じ穴の狢に見えます。
サムに魅かれたローラの気持ちが、なんとなくわかる人がこの国に増えていくといいなと思っています。
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経済学×恋愛という新しい切り口あまりない組み合わせの本。大学の講義で使用されることもあり(自分自身がそうだった)経済学についてもしっかり学ぶことができる。自分の場合、主人公への感情移入がじんわりと経済学への興味につながっていった。おすすめです。
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読みやすいさらさらとした文章で、二つのストーリーが並行して展開していきます。その中に経済学のいろろな概念がちりばめられていて、経済学入門にもなっているようです。普通に読んでも経済学についてちょっとふれられて、おもしろい本だと思います。
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この本からは、数ある選択肢の中で「自分」が選択し、失敗し、改善しようとすることが重要であるということと、違う意見をぶくけ合いすり合わせていくことが大事であるというメッセージを受け取った。
この本を読んでいるとき、よく頭の中に上ったフレーズが「機会の平等と結果の平等」だった。ヒロインであるローラをはじめ、主人公であるサム以外の登場人物は基本的に「結果の平等」を重視しているように感じた。しかし主人公であるサム(そして彼の父親とおじさん)は「機会の平等」を尊び、与えられた機会の中で取捨選択することが人生である、ということを伝えてくれている風に感じた。
たとえば福祉制度に関して、登場人物のほとんどが政府の介入による平等な福祉の保障を推奨しているのに対し、政府が国民全体に均一な福祉制度をかけるのではなく、必要な人は利用すればいいし、コストをかけるほどのメリットを感じない人は利用しなくてもいいという選択肢を与えるべきだ、というのがサムの主張だったように思う。
ではサムの言う「機会の平等」とは何か。それは最後の章に少し出てくる「平等なルール」のことだと思った。そして彼にとっての平等なルールとは何かというと、それが「資本主義」なのである。
また本文中には様々な対比構造が出てくる、男性と女性、経営者と労働者、現実とヴァーチャル(TV)、金を恵む側と金を受け取る側、生徒と先生。その中で(少し回りくどく聞こえるかもしれないが)自分の中で特に印象に残った対比構造の対比構造がある。それは「理想と現実」と「マクロとミクロ」である。サムは理想主義で、ローラは現実主義である。サムは、資本主義が完璧なルールとは言っていないにしても、世の中が「金銭面だけではない健全な資本主義」によって回れば皆が幸せになると主張している。それに対しローラは実際に資本主義の中で起きている問題一つ一つに焦点を当て、それを無くすためにはどうしたらいいかを考えている。こう見るとサムはマクロ的に、ローラはミクロ的に物事をとらえているように見える。しかしそれに対する具体的な行動が、サムはミクロ的でローラはマクロ的なのである。
サムは物乞いの子供に1ドルを与えたり、慈善活動を行ったり、あえて教師という職業で勝負しようとしていたりする。これはミクロ的だと思う。それに対しローラは問題に対する政府の介入を主張したり、法律面から問題を解決しようとしている。これは完璧マクロだと感じる。本文中に何度も起きる2人の間での論争は、お互いに持つ「理想と現実のギャップ」をお互いにすり合わせている作業のように、読み終わったあと思えた。
サムは最後にこう書いている。「(ローラとサムは)水と油じゃなくて酢と油だと思うな」と。つまり全く違う意見を持った人々でも、しっかりと熟議すれば、互いの考えが混ざった結論が出るということであり、それが大事だということだ。