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今では梅原先生のこの説を肯定的に読む人はあまりいないかもしれない。それでも、二十数年前の私には衝撃的だったな。読後、聖徳太子について調べたりしたことが懐かしい。
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1300年前の名建築、法隆寺には多くの謎がある。その中から梅原氏が7つの謎を取り上げ、歴史的観点からその謎に迫っています。
実際にはどうなのかわかりませんが、あの素晴らしいお寺が祟り寺というのはなんか悲しい気がします。
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法隆寺・聖徳太子を中心に書かれており、
他の寺院には見られない山門の謎や夢殿はなぜ六角形なのか。といった著者の考えをもとに書かれており非常に興味深く読み終えることができた。
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哲学者として名を馳せている梅原猛氏による法隆寺論。法隆寺は、そもそも聖徳太子の怨霊を鎮魂させるために設立されたことを仮説とし、理論立てて論を述べていく。本書の前半部では、法隆寺に関する七つの謎を提起。建造物の構造を鋭く考察しては古代国家の真実に迫っていく。法隆寺にはこれほど多くの謎が満ちていたのか。様々な発見があると共に恐ろしくも思える。
後半部は、本のタイトルにもなっている隠された十字架、夢殿にある救世観音について言及する。後頭部に釘を打ちつけるなど、手厚く霊を慰めるのではなく、呪われた方法で太子は辱められていると本書では指摘されている。法隆寺に秘められている数々の常識を疑っては謎を読み解いていく過程は、非常に読み応えがある。
三十年経った今も評価高い一つの評論として読み継がれている。法隆寺の正体を探るために、歴史を丹念に読みといていく本書は、良書と言える。
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歴史検証もの。寺社仏閣好きなら、誰もが
通るであろう法隆寺の神秘。
梅原氏の話の概要は今まで把握しつつも
真面目に読んだのは初めて。まぁ相対性理論は
知ってるけど、読んだのは初めてというのと同じ。
そういえば中学時代、大阪に転校して、真っ先に
親に頼んで連れて行ってもらったのが法隆寺。
ちなみに転校直前、最後に連れて行ってもらったのが
鎌倉の大仏と鶴岡八幡宮。今でも当時の満足げな
写真が残っている(笑)。
しかし、奈良と言うと古代史の中でも近代的なイメージが
あるが、飛鳥というと、ものすごく牧歌的なイメージがあるのは、
なぜだろう。奈良時代も嫌いじゃないけど、飛鳥時代の方が
もっと好きと言う人が多いはず…と勝手に思う次第。
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法隆寺は聖徳太子が建てた寺と信じられてきたが,それにしては,太子の子である山背大兄王子が自殺したときに火をかけられ一度焼失しているといった話もあるし,日本書紀には天智天皇九年に大火で焼失しているという記述もあるし,中門に向かって,西側は十間なのに対し,東側は十一間と非対称であることなど,建築様式も何かおかしく,非常になぞの多いお寺である。これらのなぞについて,著者は,法隆寺は聖徳太子の怨霊を鎮める寺だということを,様々な物証や,行事から推理している。怨霊鎮魂の寺ということは,太子自身が建てるわけはないということ。それは,太子子孫を殺害した者が建てたのであろうと。
上古の日本人にとって最大の神はたたり神であった。崇神天皇はなぜオオモノヌシを祭ったか。それは,前王朝の支配者がオオモノヌシであり,それを滅ぼした天孫族側の支配者が崇神天応であり,オオモノヌシは正に前王朝の恨みを代表していると捉えられ,それを丁重に祭ることにより,その恨みを慰め,前王朝の遺民との妥協をはかったのだ。
法隆寺とは,太子の子孫が殺害された場所。殺害した側で,帝の地位を後に得ることになった孝徳帝は仏教信者でああり,因果応報の原理を信じていたため,自分たちの行動に対し,報いが来ることを恐れたのではないだろうか。そこで,ここに対し鎮魂の寺を建てたということだ。
法隆寺にある夢殿の建築については,太子の子孫を殺害する側に回った中臣鎌足の子孫である,藤原不比等の子供四人が相次いで死んだことがきっかけになったとされている。藤原氏は,四兄弟の死を太子のたたりと捉えたのである。
古代の日本人の生活を知るにつけ,彼らが死者に対しもっていた恐怖が想像も出来ないほど大きなものであったのだろう。おおきな古墳も権威の大きさを現すだけでなく,大きな古墳にうずめられている巨大な石棺とその土山を壊して,まさか死者がこの世には現れまいと考えていたのではないか。特に偉大な人と恨みをのんで死んでいった人の霊は,よけいに手厚く葬られる必要があった。偉大な人間は,死後も偉大な力を持っていると考えられ,また,恨みをのんで死んでいった人は怨恨ゆえにしばしば人間世界に現れやすいと考えられていたからである。古墳の大きさは,その人の偉大さと,怨恨の大きさに正比例する。聖徳太子は,偉大にして最も深い恨みを持つ霊なのである。しかし,太子は日本固有の神より,異国の神(仏)を信じていたから,もはや古墳では鎮められない。ということで仏が太子の鎮魂を引き受けねばならない。四天王寺,橘寺,法起寺,広隆寺,法輪寺,法隆寺と,太子の霊に対する鎮魂寺が続々と建てられてゆく。奈良時代の仏教に対する人間の意識は,平安時代の意識と違っており,極楽浄土を行くのは自分自身ではなく,むしろ,自分の敵どもを極楽浄土へ無事送り届けることによって自分の政治的権力を安泰化しようとしたのである。
法隆寺には建築様式としてあまりそぐわない原理で建てられている。それは,偶数の原理である。というより四の原理である。中門の一階と二階,金堂の二階,それは寺院の建物としては異例の四間であった。偶数の原理では,正面がとれず,子孫断絶の���であると言われる。また塔の高さをみると,十六丈である。四カケル四である。死の二乗である。これを我々は笑うことが出来ない。今現在でも,日本の病院やホテルは四の番号がないところが多い。西洋では十三番がない。人間はそういう数字の持つ不気味な暗示に平気でいられない動物なのである。科学が発達した現代でもそうであるのに,古代において,死と言うことばがどんなに人々の心に響いたことだろうか。
また,法隆寺には聖霊会という祭りが行われ,その中で,大会式は50年ごとに行われる。そこでは,お神輿という,葬儀のお棺担ぎのような行列がねり歩く。全国にある,お神輿も元を正せば,この棺担ぎから来ているのではないか。死者の弔いの儀式はやがて怨霊鎮めの儀式となり,ついに祭りの儀式になったのではないか。おそらく古代神道において,死の儀式は最も重要であったに違いないが,それが,仏教の輸入によりとってかわられた。そして,神道は死の儀式をすっかり仏教に任せてしまい,もっぱら生に,結婚や誕生などの儀式にたずさわるようになってきたのではないか。著者は,そういう形は神道の堕落形態であるに違いないと言う。死に対して何らかの視点をもたいない宗教がすぐれた宗教ではないはずだからである。死の意味を見出し,死の儀式を復活させない限り,神道が日本人を指導してゆくことはないだろうと。
本書は600ページ近い内容であるが,言わんとすることは,法隆寺は太子鎮魂の寺だということ。かなりの部分に,私見が入り, んっ と思うところも多いが,上述の感想部分は,私がなるほどなと,本書を読むことで今までと違った視点で物が見れるようになった箇所である。
井沢氏と似たような感じの(歳からすると,井沢氏が梅原氏と似たようにと言った方が良いのかわからないが。。。)怨霊信仰をベースに話が進むが,井沢氏よりは,あくは少ないので読みやすいかも。でも,ページは多すぎ。この内容なら,半分で説明出来そうな気がした。
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井沢元彦の著作に言及されていたので触発されて読んでみた。
発表された当時は、因習に染まった学者たちに批判されたようだが、大概の人は常識・通説に囚われているので仕方ない。
時を経てようやく認められてきたように思う。
「なるほど」と思いつつ興味深く読んだ。
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梅原猛の『水底の歌』の分析が面白かったので、ついでに。
法隆寺は聖徳太子一家の怨念を怖れて、後年にふたたび建てられた寺、というのが主旨。多くの文献を渉猟し、仮説を組み立てていく。
山背大兄の入鹿による惨殺は、そもそも蘇我一族の内紛であり、藤原氏と舒明(天智天武)天皇系の陰謀であった。天平期に藤原四兄弟の突然死を太子の祟りではないかと怖れた光明皇后に、僧行信が発案したのが原因。
トンデモ学説といえばそうなのだが、高村光太郎などの著述を敷衍しつつも、救世観音に関する考察のくだりが面白く圧巻。するどい美術作品分析としても読める。
オカルト的ではあるが、ほんとうに太子の怨念がこの学舎に取り憑いて書かせたのではないか、と背筋が寒くなった。
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「怒れ、太子よ。・・・・太子よ和の道徳を捨てよ。」
梅原さんの、この真実の言葉に出会えただけでも読んでよかった。
1972年といえば僕がちょうど小学校の修学旅行で法隆寺に行って、金色にペイントされた五重塔の置物を買って喜んでいた頃だ。
実はあの五重塔は金色でなくて、太子の血と怒りで真っ赤に塗られるべきだったのかも知れない。
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梅原日本学の発端となった一冊。聖徳太子像を一新し、なぜにかくも歴史上の人物が神格化されたのかを考えるうえで、道しるべとなる1冊。
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「むき出しの権力より隠された権力」「隠された支配の背後には血の粛清がある」、そんな藤原氏が怖れた怨霊・聖徳太子。
政治的敗者を信仰しようとする感覚は、同じ日本人ながら不思議で興味深い。
ただ、梅原氏は「和をもって貴しとなす」を唱えた聖徳太子が怨霊として封じ込められ祀られることに「和の道徳を捨てよ、怒れ」とその境遇に対して憤りを述べていたが、『逆説の日本史』の「和の思想があるからこそ日本人は怨霊の祟りを恐れる」という井沢氏の考え方のほうがすんなり纏まるなぁと思った。ともあれ、救世観音はもう普通に拝観できまい。
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法隆寺に隠された「怨霊鎮め」の秘密。あくまで梅原論ですが、納得いくところが多々。
特に気になったのは「救世観音」。聖徳太子等身大のこの像にまつわるお話はとても興味深い。
フェノロサがこの像を見るまで、秘仏とされ隠され続けた像。
布でぐるぐる巻きにされ、その頭部には釘が打たれていた・・・。
写真を見てもその表情はどこが空恐ろしい感じがする。
笑みが不自然だなと・・。
そしてその背面は抉られて中空となっている。
横から見ると、なるほど梅原氏の仰っている通り、不自然でまるで亡霊のように見える。
日本古来から、人は怨霊を恐れ、その原因を作った加害者はその報復をより恐れた。そのため、沢山の罪もない血を流した権力者はその怨霊を鎮めるために、神社を建て霊を神として祀りその神社に閉じ込め、出ないようにと祈った。
そう言われると、北野天満宮などもそうですね。
天皇の諡号(しごう)に「神」「徳」がつく場合、非業の死を迎えているという話も興味をひきます。
素晴らしい諡(おくりな)をつけることで、彼らを死に追いやった権力者(勝者)は、災厄を押さえ込もうとした。
これらのことを踏まえて歴史に登場する人物を見ていくと、面白いのではないかと思った一冊。
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なぜ聖徳太子がここまで礼賛され続けてきたのか、法隆寺の構成、本尊とされる仏像の数々にまつわる謎。
法隆寺は偉大なる怨霊となった太子一族の鎮魂装置であり、怨霊化の犯人である藤原氏とその縁戚にある皇族たちによる巧妙で手厚い魂鎮めの手法の痕跡を記紀をはじめとする歴史資料から洗い出していく内容に、途中なかなか頭に入りづらいところもありつつも、楽しく読めた。
井沢元彦氏の逆説シリーズを先に読んでいたので、驚きというよりも、ふむふむ、納得って感じ。
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梅原猛の金字塔。高校生だったときは夢中になって貪り読みました。脳内変換は山岸凉子のキャラたち。しびれるほど面白く、恐ろしく、目眩がしたものです。
大人になって読むともっと冷静だし(笑)、主張の粗も見えてくる。情熱が暴走してる描写に苦笑することもある。だけど、この本のインパクトは失われてはいない。読む度に何か、新しい発見をします。
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「世界で最も古い木造建築群」として世界遺産に登録されている法隆寺が実はありがた~い教えを実践するお寺ではなく、聖徳太子の怨霊を鎮めるための「たたり寺」であった…。
著者の大胆な仮説に基づいて、法隆寺のなぞ解きを著者の仮説に沿ったロジックで進めていく強引さが小説より面白い。
歴史とはその時に実際何が起こったかだけではなく、どうしてそのようなことが起こったかを想像する=妄想するのが面白い。
一人ひとりが好き勝手な視点から妄想を膨らませ、仮説を立て、検証済みの事実と自分の妄想にあう推測を混ぜ合わせてストーリーを作る。
その最たるものがこの一冊か。
著者のロジックは強引ながらも、「そうかもしれない」と思わせる事実もあり、また法隆寺に行ってみたくなる。