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紙の本
「興亜讃美歌」の作詞者が「戦争に反対していた」?
2023/05/12 13:08
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投稿者:オタク。 - この投稿者のレビュー一覧を見る
清水安三は昭和18年にキリスト教業界では「天皇制国家の侵略戦争を礼賛した」と「悪名高い」という「興亜讃美歌」に収録された讃美歌を作詞しているのだが、そういう人物を「戦争に反対した」と言えるのだろうか?だから内務官僚で満洲国に出向した時の回想を「ラスト・エンペラー」ブームに合わせて本を出したり情報局の部長だったりした男が「キリスト教業界の名士」として大きな顔をしていられるわけだ。
連載はたまたま二代目が「日本人拉致」を認めた時に1回だけ買った「世界」で読んだ時に清水安三が経営していた学校に英王李垠が訪ねた時の事を書いていた。英王が北支那方面軍付だった昭和13年から14年のどこかなのだろう。張赫宙の「秘苑の花」に出てくる京城の淑明女学校の生徒達が修学旅行で赤坂の李王家東京邸を訪問した時の光景に似ているような感じ。
「北京」は当時の正式名称は「北平」であって、「北京」は日本軍占領下で改名された名称なので朝鮮時代に「京城」とも呼ばれていた漢城に意味合いが近いだろう。「京城」を忌み嫌う版元なのに何故、「北京」はいいのだろうか?
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