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著者は、懐疑主義協会の理事で、懐疑主義の雑誌「スケプティック」の発行人でもあります。
若かりし頃、神学を勉強し、さまざまな健康法を試したり、啓発セミナーに参加した経験を持っているためか、「ニセ科学」を信じる人々を頭ごなしに否定するのではなく、なぜそれを信じるのか理解しようと努めているようです。
また、科学は絶対不変のものではなく、その時点で一番論理的整合性のある可能性の集積であるという姿勢を崩さないので、大変公平な態度で執筆しているという印象を受けました。
文庫版一巻にある臨死体験や異星人による誘拐の事例はよくわかりましたが、二巻の創造論者(聖書の天地創造)やホロコースト否定論者(ナチスによるユダヤ人虐殺が誇張されていると主張)などは、馴染みが薄いため、読むのに少し努力がいりました。
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2007/07 「『社会調査』のウソ」の参考図書にあがっていたので、図書館から借りて読む。長らく考えていた、世界のおしはかりかたに、とっくに名前がつけられていたことに驚く。知ってる人は知っているのだろうけれど、知らなかった。そのこと自体が面白い。(p.76「パーシグのパラドックス」あたり)この本は、いんちきをやっつけてやるぞと決心し、ディベートをする構えなので仕方ないけれど「科学だって絶対とはいえないけど」といちおう言いこそすれ、その態度はしぶしぶである。それを「誠実でない」とまでは言わないけれど。マリノフスキーの引用が冒頭に出てくることもあり、最近読んだ「野生の思考」のこともあり、文句なしに肯くことはできない。☆3.5くらい。(2)も読むつもり。
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この文章は辛い。
内容はマーティン・ガードナーの「奇妙な論理」に似た疑似科学批判本なのだが、あれと同じように笑いながらスラスラ読めるものを期待していると、少し辛いかと思う。
一巻の序盤はこの本で取り扱う疑似科学とはどういうものか、どうしてこのような本を書くに至ったか、なぜ人はそのような勘違いを犯すのか、といった内容なのだが、この序盤の、一巻の役半分ぐらいにあたる部分までが、もの凄く退屈な内容になっている。筆者の個人的な体験談が繰り返し語られ、それが大して面白くない(面白いと思うかどうかは個人差があるだろうが、せっかちな人間としては早く本題に入ってくれと思う)。
いや、もう少し文章がまともであれば面白く感じられそうなエピソードもあるのだが、このゴチャゴチャとして何を言わんとしているのか分かりにくい文章では酷く退屈なだけである。
一巻後半ではようやく待ちに待った疑似科学関連の具体例が入ってきて、どうにか面白くなってくるのだが、それでも文章がよくなるわけではない。原書を読んだことはないので、筆者の書き方が問題なのか訳が悪いのか不明だが、読むのに多少の忍耐は要する。
マーティン・ガードナーの「奇妙な論理」よりは刊行が新しいので、より新しい話を求めているのであれば、こちらも読んでみる価値はある。
サラッと読めて気楽に楽しみちょっと笑える、というのを期待しているとなると、少し辛い。
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「なぜ人はニセ科学を信じるのかI」
著者 マイクル・シャーマー 訳 岡田靖史
出版 早川書房
p140より引用(アルフレッド・マンダー「民衆のための論理」)
”思考は熟練の技である”
懐疑主義者である著者のエッセイ集の上巻。
自身が自転車レース参加中に、
色々怪しい物に触れる事によって懐疑的になった様子が、
p44から48前後に書かれています。
そのため一度騙された人の言葉となっていて、
大変説得力が高くなっています。
重点的に読んだのは第三章。
引用もこの章の23・努力の不足と・・・から。
今後自分がそうならないようにしたいと思います。
世の中の胡散臭い物を疑っている人に。
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「簡単な整理術」を期待して読むも、完全な誤選択。副題「風水浄化術入門」が示す通り、ニューエイジや風水を好む人向け自己啓発本。
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以前カール・セーガンの遺稿「ひとはなぜエセ科学に騙されるのか」を読んで感銘を受けたので類書として読む。著者もセーガン博士と面識があるようだ。序文はこれも又著名な進化生物学者であるS・J・グールドが書いている。表紙だけ見ると<と学会>本のようであるが疑似科学への冷やかし(それとも愛^^)等は少しもない生真面目な本。第一部は懐疑主義を定義しているがやや冗長。二部から具体例が取り上げられ興味が増す。既知の内容であったが「記憶回復運動」は将に現代の魔女狩り。この運動によって崩壊した家庭を思うと哀惜の念に堪えない。
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うーん、引用も含めてもっとスリムに読みやすくできたのでは?
タイトルで買ってしまったが、ほぼ進化論vs創造論のみな印象で、興味を持って読める部分が少なすぎた。
後編もこの調子だと辛いな。
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序文 「懐疑主義の実証力」 (スティーブン・ジェイ・グールド)
プロローグ
第1~2部 (第1~8章)
文献目録
『なぜ人はニセ科学を信じるのか UFO、カルト、心霊、超能力のウソ』 1999.2 早川書房刊 文庫化
『Why People Believe Weird Things: Pseudoscience, Superstition, and Other Confusions of Our Time』 1997.5 W. H. Freeman and Company 原著
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「 ショーペンハウアーの言葉の引用は、「まちがいであるはずがありません」などと言っては、世間の嘲笑をあびたり、はげしい反論にあうような人々が、自分達を正当化する手法でしかない。事実まちがっているのだから」
疑似科学に関する議論は多分科学哲学の領域でも盛んに行われていて、もちろん他の人文社会科学においてもかなり行われていることでもある。
本書の主張はおそらく、ポストモダン系の科学論をそこそこでも読んだことのある人にとってはやや「古い」印象を持つかもしれない。ただ、有用性という意味ではこのくらいの認識に落ち着くのが結局のところ妥当だと思うし、これが科学者の中で共有されている「常識」であり、そうあるべきなのではないかなと(結局のところ)思う。
もちろんその際に「科学」というものが権威性を高め過ぎないことは重要で、それはなぜかというと、よく言われるような「科学で測れないものの価値を見失うことになる」ということに加え、「科学が権威を持ちすぎると人はその見かけをしたものに簡単に騙されるようになる」からである。
とはいえ、ポストモダンを少しかじった身としては、「疑似科学」として断罪される魔術の「効力」に関しては、心理的にはそれなりに把握されるべきではないかなと思う。
「倫理性」やらなにやらまで考えればそれは科学の体裁を取るべきではなく、むしろ「魔術」として開き直るべきであるというのが僕の考えだが、いずれにせよ「非科学的=効果がない=やっているやつはバカ」と安直に考えてしまうと、なぜそれが人びとの支持を得ているのか、どのような影響を及ぼすのかという心理的、社会的側面を見落としてしまうことに繋がるわけで、そのレベルまで汲み取った上で疑似科学(あるいは魔術)というものに接していくべきなのだろうと思う。
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懐疑主義者の著者がいろんな超常現象を主張する人たちと対抗する。
いくら理路整然と論破しても結局相手を変える事は難しいようだ。
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占星術、超能力、「私は宇宙人に誘拐された」、心霊体験、ダウジング、祈祷療法…科学的根拠はまったくないのに、科学が認めたかのように装い人を欺くのが「ニセ科学」である。しかし、実はその「騙しのメカニズム」は驚くほど共通したもの。本書が豊富な実例で説く