投稿元:
レビューを見る
この『峠』、河井継之助の魅力に参ってしまう前に、こうした細部の社会が描かれているので、その日本の精神文化のレベルの高さにメロメロになってしまう小説なのだった。それから司馬氏の小説(クセなのだろうが)、「女」がカッコイイ。凛として立つ、というか、颯として在る、というか――ウーン「歩く姿は百合の花」で内面はもう、緋桜お龍さんである。
投稿元:
レビューを見る
幕末時代に生きた、長岡藩家老河井継之助の生涯。結構読むのに時間がかかったけど、生き様に脱帽!絶対に1回は読むべき作品です。
投稿元:
レビューを見る
上巻より続く。
とにかく面白い。
武士とは何か。時代とは何か。
独りよがりな中に侍を感じる。
男性は特に読むべし。
投稿元:
レビューを見る
1861(文久元)年、福沢諭吉はヨーロッパへ渡った。ドイツのプロシャが力を持ち、ウィルヘルム1世がドイツを連邦を統一して帝国へ。日本も倒幕して不合理な連邦政府(共和政体)から立君政体へ変わる必要がある。
「西洋事情」からもわかるように思想は尊王ではなく勤王であり、大名同盟では貿易がわずらわしくなり、戦になる。これでは世界についていけなくなるので、文明を吸収するなら封建制を廃して立君しなければならない。西洋の先進文明を成り立たせているのは「free]と「right]であった。福沢はこれを自由と権利と訳した。
投稿元:
レビューを見る
時代が音を立てて震動するような状況になっていく訳だが、本作の継之助は「だからこそ」とばかりに色々な人と交わる“自分探し”を行い、それを通じて「自らの立場、または進めべき方向」を定めようとしている。彼が交わるのは、地元長岡の幼馴染である親友の良運さん、乗り込んだ幕府軍艦の士官、横浜で親しくなった福地源一郎、その年上の同僚である福沢諭吉、身の回りの世話をする忠僕の松蔵、横浜の女郎、外国商人のスネルなどなど実に多彩である。こうした多彩な人達と出会い、言葉を交わす都度に本作の継之助は自らの考え方を“確信”に高めていくのである。
投稿元:
レビューを見る
言わずと知れた長岡藩家老・河井継之助のお話です。
もともとは河井さんの友人・大野右仲が出ているってんで読みはじめたんですが、内容が濃くて面白くて、面白くて、長岡藩を調べたくなっちゃいましたよ!!
そして私、長岡にホントに行っちゃいましたvvv河井さんに本当に惚れてしまいました。
勤王でも佐幕でも無く、中立を理想とした河井の考えが、切なかったです。
ガトリング砲や近代兵器を買い求めて独立国の為に兵の強化を進めたり、産業をするべきであると藩の財政を立て直したり、そういう意味では現実を理解していたのに、戦の駆け引きでは、理想は無力でしたよね。
奥羽列藩同盟に長岡藩が最初っからいたら、仙台もあんな決定(恭順のこと)はしなかったんじゃないかなぁ。会津の戦いも変わっていたでしょうね。
なにはともあれ、長岡藩はキーマンだったと思います。
あ、最後になりますが、大野さんの台詞は格好良すぎて、男前でした!!
大野さん好きには堪らない、そんな大野さんが見られますよvvv
そして、全編通して、河井さんの魅力に参りました。
投稿元:
レビューを見る
実はこの本、今回で5回目(6回目だったかもしれない)というくらい、定期的に読み返している作品である。(これに似たポジションを占めているのは、他には「ノルウェーの森」位しかないかな)
頭脳、胆力、行動力の全てにおいて傑出したものを持っていた、主人公の河井継之助。継之助は解明論者であり、武士の時代が終わり商人の時代が到来することを見通していた。幕末の人物で彼ほど日本の将来がどこへ向かっていくのかを見極めていた人物はいなかったろうと思う。
そして彼は政治の目的は経世済民であることも理解していた。
しかし、彼は自藩を戊辰戦争の真っただ中にたたき込み、結果藩士だけでなく一般民衆を巻き込み、ぼろぼろにしてしまう。もしこの藩に河井が生まれてこなければ、きっとこうはならず、無難な結末(新政府に恭順)となっていたに違いない。(この作品では、器の合わない英雄を持ってしまったがために引き起こされた小藩の悲劇が描かれている。)
しかし、このような、いわば「ごまめの歯ぎしり」のような継之助の「愚行」「暴走」に、読者は、ある種の「美しさ」を感じずにはいられないのではないかと思う。
なぜだろう。
継之助に「志」あるいは「凛とした生き方」を感じさせてくれるからではないか。日々を怠惰と多くの妥協にまみれて生きている人々に、彼の生き方は、「何か」を指し示してくれているような気がするのだと思う。(ただし、自分の大事な「志」を貫くために、彼は罪なき民を犠牲にしてしまう。この事についてもまた考えさせられるのであるが。)
ところで、シリアスな事ばかり書いたが、この作品には継之助の人となりが醸し出すユーモラスな場面(例:河井はコスプレマニアであったとか、無類の女好きであったとか)も沢山あり、エンターテイメントとしても、しっかりと成立している。
「志」とか、「生き方の美学」とか、そういう難しいものを追っかけたい人も、そうではなく、面白い話を読んでみたいという人にも、幕末に散ったこの稀有な存在、「継さ」(河井のニックネーム)の物語に触れてもらいたいと、切に思う。
投稿元:
レビューを見る
Kodama's review
中巻終了。
いざ、下巻へ!
(08.5.17)
お勧め度
★★★★★
投稿元:
レビューを見る
幕末の越前長岡藩に、河井継乃助という男があった。
独特な癖をもち、一匹狼のようであるため、人々から敬遠されていたが、幕末という激動の時代において、彼の持つ鋭い先見の明と、行動力が買われた。
彼は、一介の藩士にも関わらず、長岡藩家老として登用された。
幕府の時代、武士の時代はじきに終焉を迎え、全員町人の時代が訪れると、いち早く見抜き、徹底的な合理主義、西洋近代技術を取り込んでゆき、藩政の改革に挑んでゆく。
武士という感傷的な過去を潔く切り捨ててゆくその冷徹な姿勢は、周囲の人々からの誤解を招く結果となり、命を危険にさらすことが往々にしてあるのだが、自らの命も捨てる覚悟で、ただ長岡藩のために奔走をする。
河井は、ご先祖代々の宝物を後生大事にしたり、帯刀にこだわる武士の姿、という形式的な武士道精神を何より嫌悪したが、崇高な武士道精神にはこだわった。
日本は大きく変わると強烈に意識しつつも、結果、長岡藩を捨てることはなく、その藩のためだけに命を注いだ姿勢は、そこからくるのか。
「峠」に登場する人物たちは、みな生きている。
中巻では、慶応義塾の福沢諭吉や、福地源一郎(東京日日新聞の社長)などと、河井が対面する場面などもあり、高い見識と教養を持った人物たちが、それぞれの立場で、日本の将来をどう捉えていたのか、を垣間見ることができ面白い。皆、個性的で癖のある人物として描写されている。
もちろん、歴史小説である限り、史実として捉えるべきではないが、司馬遼太郎さんの本は、歴史への入り口としては最適。
どちらかといえば、読者への啓発の要素が強い。
「覚悟とは、元来ひとりぼっちのものだ。人に強要するものではない。」
という、河井継乃助の言葉が深く響いた。
下巻に期待。
投稿元:
レビューを見る
ペリー来航に際して藩から広く求められた意見提出で目に留まった継之助は、御目付格評定方随役に任命され帰藩するが、旧態依然の体質に拒まれ活躍の場をえることはできない。その後2度目の遊学に出た継之助は江戸、備中松山、長崎、横浜を遊歴し帰藩。
この後藩主牧野忠恭と共に京都詰、老中公用人と活躍を始める。
郡奉行に任じられた継之助は藩政改革に着手し成功させる。これが後年の歴史に残る越後長岡藩の慶応改革である...
【開催案内や作品のあらすじ等はこちら↓】
http://www.prosecute.jp/keikan/063.htm
【読後の感想や読書会当日の様子などはこちら↓】
http://prosecute.way-nifty.com/blog/2010/06/63-e91a.html
投稿元:
レビューを見る
幕末の越後長岡藩執政、河井継之助の生涯を描いた歴史小説。なにしろ幕末には英雄・豪傑が多いので、地元ではともかく全国的にはそれほど知名度がない河井継之助だが、なかなかユニークな人物だったようだ。そんな人物を発掘してきて、ここまで面白い読み物に仕立て上げる司馬遼太郎の眼力と筆力には感服する。
史料や史実を踏まえながらも、人物描写がとても活き活きとしていて、かなり書き込んでいる。実際の河井継之助がどういう人物だったのかは知るすべもないが、読者にはまさにここに描かれているような人物が実在していたかのような錯覚を覚えさせる。多分この辺が歴史小説の醍醐味なんだろうと思う。
実はこの作品を読むのは、数回目くらいになる。数年ごとに読みたくなる深く印象に残る作品だ。こういうのを愛読書というんだろう。読む側も年月を経るうちに様々な経験を積み、読み方も受取り方も変わってくるものだが、この作品は毎回いろんな示唆を与えてくれる。
http://fionfion.seesaa.net/article/185510123.html
投稿元:
レビューを見る
侍、武士道。
いやー、幕末はおもしろい。
「いかに美しく生きるか」という倫理の結晶において、
人間の芸術品とまでいえる域に達する。
私にもできるか。
投稿元:
レビューを見る
・8/14 読了.読み始めると止まらなくなるのが司馬遼太郎の本だ.いよいよ幕末に向けてどうなるか楽しみだ.
投稿元:
レビューを見る
巻末の「解説」で、本作が『竜馬がゆく』、『坂の上の雲』といった作品と前後連続して書かれたことを知った。自身、30歳を前に連続してー立て続けにー読んだ。
上巻ともども四半世紀ぶりに再読したのだが、やはり、おもしろい。時間が取れれば一気読みしてしまう筆致だ。河井継之助の美しさ、儚さ、不幸、時代性、いろいろ考えさせられる。
ただ、初読から再読まで敢えて時間を空けたのは、上巻を読んだ時に感じた違和感を予想したからだった。司馬作品には中毒性がある。読者の行動を迫る勢いがある。この違和感は、本作が書かれた昭和と令和の時代、初読の20代と50代となった今という世代が関係しているのかもしれない。
投稿元:
レビューを見る
藩主・牧野忠恭に取り立てられてゆく。
でも、おもねるわけではない。
こういった君臣の関係は異常事態ならではなのだろうか。