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梶井の書く文章はあまりに扇情的すぎる。病人ゆえか病的な陰鬱さがたゆたっているが、深夜に朗読したくなるような文だ。美しい。顔はブサイクだが。文だけ読んで彼を慕っていた女学生が写真を見て卒倒したという伝説があるらしいが本当だろうか?ブラックフランシスとともに反比例の体現者だろう。
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丸善にレモンおいてくるあれです。国語の授業で読んだときは「ふーん」て感じだったけど、改めて読んだら梶井基次郎の魅力にはまりました。「Kの昇天」「泥濘」「冬の日」あたりがすばらしいと思う。じわじわと沁み入ってくる文章、という感じ。「冬の日」とかほんとにもう、読み終えると心が1キロくらい重くなってるような気がします。
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夭折の作家、梶井基次郎の一冊。その文章の持つ独特の感覚、言葉、不安を楽しんでください。ちなみに、著者の外見と文章がここまで違う作家を私は知りません(笑)。
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表現が独特で惹かれるものがあります。あえて言えば「散文詩」といえるかもしれません。作者の写真からはこのような文章をかけるとは想像できませんがw。
ちなみにこの人、自分が吐血した血をグラスに入れて「葡萄酒」といってしまうような人です。
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『檸檬』『筧の話』がすごく好き。梶井さんはとても繊細で、少しのズレも感じてしまう可哀そうな人だったのかもしれないとも思う。
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一つ一つの言葉が集まって作る文章は完成されていて素晴らしい。しかし文章から退廃的な、鬱屈した精神を感じるのもまた事実だ。それは登場人物たちの病んでいる心が文章を通じて伝わったのだろうし、梶井自身の感情が文字の一つ一つに込められていたからかもしれない。表題作の「檸檬」は勿論のこと、「冬の日」が特に素晴らしい。死ぬのを分かっているからこその醜さや美しさが今作に包まれている。
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国語の教科書。本を積み上げたり檸檬を放置して爆発する様を思い浮かべたり、そういう所が凄くアートっぽくて素敵。
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(2005.09.06読了)(2004.08.20購入)
父の転勤に伴って、東京へ、大阪へと転校して歩いたようです。母が教養ある賢夫人で、若い頃から明治、大正の作家を読み、特に漱石・藤村を愛読した。新しい作家をもよく読み、康成・利一・国士から久野豊彦にまで及んだ。(残念ながら国士、久野豊彦とかは知らない。) 理系の才能もあったようだが、作家になったのは、母親の影響が大きかったのでしょう。
20篇の短編が収められていますが、現代作家を読みなれてしまうと、かなり読みにくく感じます。普段見慣れない漢字が使われています。これは、振り仮名がつけてあるので何とかなります。内容が私小説的なので、気持ちが暗くなりがちだし、ついてゆけない面があります。楽しいとか、面白いとか、ぞくぞく、わくわくというものを求めてもこの本にはありません。戦前の本にはそういうのが多かったので、いわゆる古典、名作的なものを読んでいる中でこの本を読めば、そんなに違和感がないと思うのですが、しばらくぶりで、この時代の本を読むと、ちょっと疲れます。
作者自身病気がちだったので、病気の話がよく出てきます。クラシック音楽が好きだったようで、クラシック音楽の話もよく出てきます。
●桜の樹の下には
「桜の樹の下には屍体が埋まっている!
これは信じていいことなんだよ。何故って、桜の花があんなにも見事に咲くなんて信じられないことじゃないか。俺はあの美しさが信じられないので、このニ三日不安だった。しかしいま、やっとわかるときが来た。桜の樹の下には屍体が埋まっている。これは信じていいことだ。」
(「桜の樹の下には屍体が埋まっている」という台詞は誰が言い出したのか、よく聴く言葉だ。)
●器楽的幻覚
「読者は幼時こんな悪戯をしたことはないか。それは人々の喧騒のなかに囲まれている時、両方の耳に指で栓をしてそれを開けたり閉じたりするのである。するとグヮウッ―グヮウッという喧騒の断続とともに人々の顔がみな無意味に見えてゆく。人々は誰もそんなことを知らず、またそんななかに陥っている自分に気がつかない。」(演奏会を聴いている時に突然孤独感に襲われた時の表現です。)
●のんきな患者
「吉田は肺が悪い。寒になって少し寒い日が来たと思ったら、すぐその翌日から高い熱を出してひどい咳になってしまった。胸の臓器を全部押し上げて出してしまおうとしているかのような咳をする。四五日経つともうすっかり痩せてしまった。咳も余りしない。しかしこれは咳が癒ったのではなくて、咳をするための腹の筋肉がすっかり疲れ切ってしまったからで、彼等が咳をするのを肯んじなくなってしまったかららしい。」(肺の病の実体験でしょうか?)
●置きレモン(2005年10月1日朝日新聞夕刊)
このレビューを書いているときに、夕刊を見たら、小説「檸檬」の舞台となった、京都河原町の丸善が10日で閉店するのを惜しみ、店員から見えないところにこっそり檸檬を置いて、立ち去る客が増えている、という記事が出ています。愛読者が多いんですね。
本も一日60冊売れるということです。
著者 梶井 基次郎
1901年(明治34年)2月 大阪市生まれ
1908年 東京へ
1911年5月 三重県鳥羽町へ
1914年 大阪へ
1919年3月 府立高等工業学校電気科受験失敗
1919年7月 第三高等学校の試験に合格
1919年9月 理科甲類に入学
1920年(大正9年)春 肋膜炎に罹って休学
1924年 東大英吉利文学科に入学
1932年(昭和7年)3月24日 死去、享年31歳
(「BOOK」データベースより)amazon
肺に病をかかえ、何か憂鬱なものに心を押しつぶされそうになる私は、追い立てられるように、街から街へと彷徨い歩く。果物屋で目にとまった檸檬を手に入れると、その冷たさと香りに心が弾んだ私は、思いがけない行動に出る。今もなお色褪せることのない、梶井基次郎の名作『檸檬』。
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「檸檬」の作品に登場する丸善京都河原町店が、先週の10月10日閉店した。閉店イベントかわからないけど、「檸檬」の文庫を1000冊(?)積んだ平積みタワーや、本の上に置かれた檸檬のモチーフの店名入りスタンプが、閉店を惜しむ客に用意された、とメディアでも話題になっていた。かくいう私も、運良く京都に所用で行く知り合いに頼んで、スタンプを押した「檸檬」の文庫を手に入れてもらった。でも本当は自分で行ってみたかったな。。。
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飛行機に乗る前にそうだ文庫本がいるなと思い、成田空港の売店で売ってる本の中から選んで買ってフランス旅行中ひまができるたびに読んでて、売店の人のチョイスは素晴らしいなと思った本。旅行終盤のパリの夜、バスティーユ広場近くのイビス・ホテルの部屋でひとりこの本を読んでいて、ふと窓から向かいの建物を覗いてみたり(学校だったので真っ暗)。
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中学生だか高校生だかの頃に読んだときにはもっと文章がシャープに感じられたのだが、今読んでみるとそれほどでもなかった。しかし丸善に檸檬を置いてくる最後の場面は何度読んでもよい。
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己の大好きな梶井基次郎さんの檸檬。
教科書で「檸檬」を読んでから読み始めました。
少し暗めな感じの色合い。
2006/1/17 再読 読めば読むほど、良いね。鬱さ加減が堪らなく好き(何
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何度も何度も読み返す、信頼している作品。漢字の檸檬はコレで覚えました。暗い中に、ハッとするほどに鮮やかな感情が目に飛び込んでくるような、不思議な感覚に襲われます。
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度も何度も読み返す、信頼している作品。漢字の檸檬はコレで覚えました。暗い中に、ハッとするほどに鮮やかな感情が目に飛び込んでくるような、不思議な感覚に襲われます。
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教科書に載ってた檸檬が読みたくて買った。けど、実際檸檬は短編で教科書に載ってるのと変わらなかった・・・
現代にはない雰囲気で逆に面白いです。