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主婦と、働く女性についての日本の近代史、ともいうべき大作。しかもそれが大変カジュアルな口調&視点で語られているので、読んでいて面白いことこの上無い。
専業主婦や働く女性についての言論は今だってそりゃあもう百花繚乱で、拾いきれないほどあるだろうけど、そのほとんどが実はここ100年間くらいの日本でもう語られつくしてるんじゃないか、と思ってしまった。
それにして、進歩的な女性こそ当時戦争に真っ先に飛びついたというのは恐ろしい話だなあ・・・。
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古い読書記録より。
女の子だって、出世したい!
明治大正昭和の乙女たちが、彼女たち「女性」の地位向上の為にどんな努力をしてきたのかを
まとめた新書。
「乙女」という存在には甘ったるい夢のようなはかなさが美徳として必要だったのと同じくらい、
しっかりと自分を持ち生きようとする「張り」のようなものもまた必要な意識として求められてたのだということを教わった一冊。
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斎藤美奈子さんの「モダンガール論」を読んだ。
彼女の視点というのはなぜこんなに俯瞰的でユニークなのだろう。
そしてユニークだと思うその視点、論点が、「言われてみればなんでそんなことに気がつかなかったのだろう」という当然の考え方のように思えてしまうことが多い。
彼女にかかるとどんな著名な学者も作家も、その著作も、芸能人もまるでまな板の上で調理されるのを待つ食材のようだ。
その調理の仕方がそれぞれの食材の食べにくいところ、普通は食べないところをあまさず食卓にのせてしまう素晴らしいテクニック満載。
ただ困るのは、彼女のまな板の上に乗った本はどんなにベストセラーであろうが、名著であろうが読むのがバカらしくなってしまう事である。
モダンガール論では女性、女性を取り巻く男、時代、政治など戦前からの世の中すべてが俎上にあがって彼女の包丁にかかってしまった感がある。
巻末の「戦前戦後の女性の動き・対照表」が面白い。
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女の道というのは、いつの時代もどういう道を歩んでも険しいものなのだなぁ〜、選択肢があってもなくても悩ましいのだと分かる。
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くだけた文体の割に(失礼)非常にしっかりした内容の、民衆女性史ともいうべきもの。昔々女性史論争っていうのがあって、ヒーロー的女性史を書くべきか、悲劇的女性史を書くべきか、みたいな話もあったけど、この本は多数派としての女性みんなにスポットを当てて書いている。彼女らがなにを感じなにをもくろみどのように生きたのか、ということを、明治後期あたりからずっとたどっていく力作だ。短い割に充実してる。モダンガール、というタイトルは、それぞれの時代をそれぞれの立場で切り拓き生きてきた若き女性たちが、いつもその時代の「モダンガール」だから、ということだろう。
女性、というカテゴリすら解体されつつある今日、専業主婦への回帰とか新しい生きかたとか、いろいろなことが言われている。そこで一つの手がかりとして、この本に綴られている今までの歴史を踏まえて、若き私たちの……と言いたいところだけど僕は男だ……女性たちのライフデザインをプランニングしてみてはどうだろうか。
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面白かった!自分が漠然と抱いている、結婚・出産、働くということ、社会の仕組みと女性の位置づけ、それに対する自分の考え(無意識の共感や反発も含め)が、どこからやってきているのかを歴史を追って確認するような論考だった。
10年以上前に書かれた本なので、今後どうあるべきかについてはほとんど触れられていない。しかし、10年たってもほとんど状況が変わっていないことを考えると、この10数年の混迷した社会の中で、女性の生き方もまたあるべき姿を規定できずにさまよってきたのだと思う。
ちょうど先日、政府が女性を活用した経済の立て直しについて言及していたが、これがきちんと実行されると、この本に新たな章が追加されるような大きな動きになると感じている。
私個人としては、もはや女性の生き方をどうするかという議論ではなくて、性別を超えて日本人としてどう生きどう働き何に幸せを求めるかを問い直さなければ、日本という社会システムが立ちいかなくなっていると考えている。先日の政府の発表は、そこまで踏み込めるかどうかが成功のカギだと言っても過言ではない。
どうやら、私の感じていること・やりたいと思っていることは、社会や政府がやりたいと思っていることとそう遠くはないらしい。しかし制度として成立するにはまだまだ時間がかかる。それを待っている時間はないので、自分のできる範囲で、欲望に素直に、信じた道をやりたいようにやってやる。それが私の新しいモダンガールとしてのあるべき姿だ。
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若い子が新しい言葉遣いやファッションを開発し、大人がそれを世も末となげく。そんなことをずっとやってます。大正時代から。
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祖母やその母の時代。女は何を考え、育ってきたんだろう? そんな疑問から手に取った本。
一般的にいう「民俗学」の本らしいけど、ガチガチの小難しい本ではなく、
「現代の女子も、昔の女子もそう変わらないのよ」
と教えてくれる。
石原理沙さんの
「くたばれ専業主婦!」「ふざけるな専業主婦!」「さらば専業主婦」にも通じる部分があり、ちょっとビックリ!
でも、面白く読めました。
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日本近代史の中で女性たちが自分たちの人生をどのように切り開いてきたのかを、鋭い批評眼とユーモアを交えて論じた本です。
女学校の登場、職業婦人の生活、そして主婦という生き方への憧れと、それに対する批判などを、女性誌などを広く渉猟しながら明らかにしています。著者は本書のスタンスを「欲望史観」と呼んでおり、「彼女たちは性別役割分業イデオロギーに屈して、いやいやOLや主婦になったのではない。望んでそのコースに乗り、行けるところまで行ったのだ」と言い、「憧れの的だった中流夫人の暮らしが平民レベルに引きずりおろされ」たことをもって、「欲望に忠実なモダンガールは、(途中までは)けっこう上手くやったのである」と結論づけています。
となると、上手くいっていた「途中」よりも後の時代にはどうなったのか、ということが気になるのですが、脱OL・脱専業主婦の生き方を模索したバブル以後、男も女も、「ふつう」に仕事を探して「ふつう」に働くことが求められると語られます。そして、この当たり前のことが分かっただけでも、この100年の歴史は無駄ではなかったと、著者は述べています。どうにも希望のない結論に思えてしまいますが、確かにその通りだと感じてしまいます。もっとも、その後日本の男たちは、またぞろ「もう一つ上」をめざし始めているようではありますが。
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モダンガール「論」なのかはともかく、明治以降の女性の社会的位置付けの移り変わりが、非常にわかりやすく、納得的に整理されている。
文献に当たると同時に、女性週刊誌にも注目し、本音ベースの女性の嗜好を掘り起している部分が秀逸。
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女にも学問が必要だ、に変わったのが20世紀初頭。この百年間、職業人と家庭人の二つの出世の道で、女の子たちの奮闘努力の足跡を辿ってみよう。欲するままに万事を振る舞うモダンガールとしての。
20世紀は、性別闘争ではなく、階級闘争だったと。
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大正だか昭和だかのモガのポスターを見るたびに女性を抑圧する近代的な空気と晴れやかで軽やかな装いとに幾分相違があって妙に感じるところがあったけれど、この本を読んでかなり視界が良くなりました。
ただやられっぱなしでもないってことね。単純にそう決めつけてしまっても「女は道具や人形じゃない」と尻をけられてしまいますがね。
強固な制度の網目を潜り抜けて、俗にいう女の狡さで立身出世を果たした人もいたし、理想と現実との違いに気づいてまた新たに自分の姿を模索した人もいたし。簡単に言ってしまえばね。
逆に女中奉公などに対しては『台所太平記』などのイメージが強いもんだからあまりの救われなさに心が沈みました。男の救わなさ、か。いやねぇ男って。と、そういう風に悪態を垂れながらいざ女中や嫁には「だらしがないね、それで奉公が務まるのかい」「暇とありゃあ口ばかり動かして、ちっとも家事がはかどらないじゃないか」「こんなまずいおまんまが食えるかい、この子ぁあたしらを殺す気でいるよ」「何だい近頃の若い子は、そろってメリケンとおそろいのかっこうなんかして、ええ?ごらんよあんなビロビロした裾、わんぴぃすってぇのかい?ちょっと足を上げりゃあけっぴろげになっちまうじゃないか。あんなのが一緒の墓に入ってくると思うとあたしゃあご先祖様に顔向けできないよ」などと今までのうっ憤を晴らすかのようにねちねち小言を言う姑ポジションの女もいるもとかって考えてくると…。フェミニストでも喧嘩するわけです。
女性誌・「女性誌」史から見た女性史、というか丸々近代史です。教科書にしちゃわない?
現代に向けてのオチがあまり明るくないけどぜひご一読を。
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2015年3月27日読了。
いやー、おもしろかった!女の生き方を書いてるのに「女はこうすべき!」みたいな主張がほとんどないというのが素晴らしい。驚異の公平論理力。
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2003年(底本2000年)刊行。明治からバブル崩壊の頃までの女性社会史を、「欲望史観」という挑発的な切り口で読み解こうとする。欲望、というフレーム設定が、「キモチいいことしたい」というバブル期若年女性層の心性を現していて、こちらが苦笑してしまう。しかしながら、戦前期の女学校に進学可能な層という限定つきではあるが、内容は面白い。特に軍国婦人がモダンガールの帰着点だった、というあたりは、膝を打つ納得の説明。「女工哀史」とは異質の近代女性論が展開されている。
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明治末期から百年のあいだの「モダンガール」をお手本に、現代の女の子の生き方を考察した一冊。
僕は本題に加え、消費者と生産者の関係の移り変わりを分析した章を興味深く読みました。
第4章 高度成長の逆襲「あなたも私も専業主婦~恋愛結婚というオプション」
僕には「手作り」をありがたがる人が謎だったのですが、
それは、僕が「手作り」と「既製品」の価値観が逆転する時期を生きたからだ、とわかりました。
案外、家庭も「生産者」であった時代から、「消費者」でしかなくなる移り変わりが昭和の後半にあった。と理解しました。
サザエさんは、ミシンで自分が着る洋服を縫っていたけれど、今じゃ既製品を買う方が安い。
僕の父親は秋葉原のジャンク部品屋を回ってテレビを組み立ててたけれど、今じゃ不可能。
家庭が生産の場でもあった時代は、当たり前に手作りをしていて、それは他の家族から「ありがとう」といわれる類いではなく「お疲れ様。」か「ご苦労様」と言われるたぐい。
家庭内の役割果たして「俺に感謝しないとは何事か」と怒る父親や「人にものをもらったらありがとうといいなさい。」と自分が作った食事に対して説教する母親では困ります。
う、本の感想から逸脱しましたね(^_^;