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紙の本
Emilyの宝物の発掘
2005/12/07 01:34
3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:wildcat - この投稿者のレビュー一覧を見る
この本を、いや、この「論文」を読んだのは、約2年前のことである。実はまだ全体を読み終わってはいないのだが、読んだ1篇がどうしても気になるので、反則かもしれないが、その作品、泉忠司の「19世紀中葉の感覚と表現−Emily Bronteの場合」を中心に書きたいと思う。
本書では、共感覚は、「五感の中の、もともと互いに異なる感覚分野に属する語彙の組み合わせによる表現のこと」と説明されている。
英語表現としては・・・
loud colors(はでな色:聴覚+視覚)
soft colors(落ち着いた色:触覚+視覚)
sweet colors(柔らかな色:味覚+視覚)
日本語表現としては・・・
甘い香、黄色い声、渋い色、澄んだ声
などが例として挙がっていた。
こういった例を見てみると、私達は、これは「共感覚表現だ」とわざわざ意識はしないけれども、結構使っているということがわかる。
「共感覚」にはアウトプットだけでなく、インプットもある。最初、私はインプットの方でイメージしていた。
というのもタイトルに惹かれて『ねこは青、子ねこは黄緑』という本を読んでいたからなのである。
『ねこは青、子ねこは黄緑』は、「文字に色が見える、音に手ざわりを感じる、痛みから不思議な映像が浮かぶなど、五感のうち二つの感覚が同時に働く」感覚の持ち主、「共感覚者」についての本で、著者のパトリシア・リン・ダーフィーも、アルファベットに常に色がついているように見えるという共感覚者なのである。
タイトルは、彼女の見え方をそのまま表していて、ねこはCatだから、Cの色を反映した青に見え、子ねこはKittenだから、kの色を反映して黄緑に見えるということなのだ。
共感覚者にとっては、それがもう幼い頃からずっとそうなっているので、周りの人にはそう見えない、そう聞こえないということをあとから気づいたりするのだとか。
共感覚は、驚異の記憶力や独創的な芸術作品の原動力ともなるのだが、その自分の感覚や周りの人からの見方とうまく付き合うことができないと自分が人とは違うということに苦しむことにつながってしまったりと、強力な諸刃の剣となってしまうようなのである。
さて、その本を読んでいた影響で、「共感覚」は不思議な世界だと思っていたのだが、ちょっと意識をしてみると、共感覚者でなくても共感覚を磨くことはできるのだと気づいた。
香水の香りを感じながら、どんな色が見えるか意識すると、頭の中に自分なりの色がイメージできるのだ。
そのイメージする色は、みんな一人一人違う色。
このにおいにはこの色と決まっているわけではない。
「19世紀中葉の感覚と表現」は、探偵による鮮やかな謎解きを見せられたような読後感だった。
論文なのに、これには抄録をつけてしまうともったいない、
最初から順に謎解きを楽しまなければという気になる。
論文なのに、謎解きが楽しい。
論文なのに、詩を読んでいるようだった。
論文なのに、読んだら、恋がしたくなった。
「視覚的」を超えた「嗅覚的」な恋を。
そして、『嵐が丘』を一気読みしないわけにはいかなくなり、
150年の時を超え、Emilyに、恋を、した。
ちょっと個性が強すぎて、両極端な評価を受けがちなEmilyの、おそらくもっとも見てほしかったであろう本質を、彼女の宝物を、掘り出した論文なのではないだろうか。
もう一度、今度は折をみて全篇読みたいと思っている。きっともっと宝物が埋まっているだろうから・・・。
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