紙の本
ドイツの児童文学者が
2017/01/02 18:52
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投稿者:igashy - この投稿者のレビュー一覧を見る
戦争、社会の不公平、人種差別、全体主義国家、両親の離婚、アルコール依存症の母親などを取り扱った児童文学。今の時代だと題材として取り上げる作家も多そうだが、発表時(1970年)は異色だったとのこと。片側に入れ込みすぎることがなく扱われている作品もあり興味深い。『通りを三つあがる』で、主人公一家が戻ったときの近所の態度、そう来たか、という感じ。
紙の本
この世にある戦いや貧困や悪意と、それにさらされる子どもたち。
2005/03/12 10:01
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投稿者:うっちー - この投稿者のレビュー一覧を見る
児童書でありながら、こんなに厳しい状況に置かれている子どもたちを描いている意味について考えてしまう。世界のさまざまな国の話として14の短編が載っているが、どの話も解決のないままに終わる。「ああ、よかった!」ではなく、「どうなるんだろう。どうすればいいんだろう」と自分に問いかけずにはいられなくなる。
話の中には、貧乏な子、戦争で肉親を亡くす子、アルコール中毒の母を持つ子、老いたり、皮膚の色が違うなどということで弱いものいじめをする子が出てくる。人間はどうしてそうなんだろう…と考えさせずにはいない物語なのである。読んで楽しい物語ではない。心のあちこちにひっかかり、そのひっかかったところを掘っていくことで、心が深くなるにちがいない…そういう意味で、今の子どもたちに必要な本といえる。(もっとも、子どもたちが手にとるとは思えない装丁で残念であるが。)
この本が、1974年に書かれたものだということに驚く。ハッピーエンドでない、このような児童書が、その時代にどの程度、受け止められたのであろう。そして、今の子どもには、どのように受け止められるだろうか。
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この本はね、「知っている人は知っている、知らない人は知らない」典型的な本だと思うんですよね~。 KiKi もずいぶん長い間、この本のタイトルは知っていたし、問題作ということである分野の方々の間では色々議論されていた本であることは知っていたけれど、正直なところこれまで手にとってみる機会がありませんでした。
ここに収録されている14編のお話は決して長いお話ではありません。 同時に1つ1つの文章もきわめて簡潔で比較的大きめな活字で印刷されているものの1つの文章が2行以上になることもありません。 ある種淡々と事象を語っているのみの文章で、「言葉を味わう」というような世界とは一線を画しています。 でも、ここで描かれるできごとの何と生々しいことか。 そして、「無邪気な悪意」の本質を赤裸々に表現しています。
(全文はブログにて)
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このところ、ぱらぱらと岩波少年文庫を読んでいて、久しぶりにこれが読みたくなって借りてきた。前に読んだのは2年前の夏。
▼ほんとうの話はめでたく終わるとは限らない。そういう話は人に多くの問いをかける。答えはめいめいが自分で出さなくてはならない。
これらの話が示している世界は、必ずしもよいとはいえないが、しかし変えることができる。(p.9)
ウルズラ・ヴェルフェルはこの本で、差別、偏見、貧困などの現実を、「人間がいっしょに生きることのむずかしさ」を14の短編として描いている。こうあってほしいという理想的な世の中ではなく、むしろ、そうした願いがふみにじられるような現実の一端を、子どもたちの経験として書いているのだ。
だから、読んでいると、どの話にも思い当たることがある。自分が見聞きしたかぎられた経験にてらしても、残念だけれど、こういう現実はある、という思いにさせられる。
まえがきでヴェルフェルが書くように「そういう話は人に多くの問いをかける」。そして「答えはめいめいが自分で出さなくてはならない」。
子どもが厳しい現実を経験する世界、それは大人にとっても同じで、その世界のなかで、自分はどう生きるのかと、しずかに問いをかけられていると思う。問いの答えは誰かがもっていたり、どこかから降ってくるのではなくて、自分で考えて出す。わからないことは、わからないままで、問いをもちつづけようと思う。
(2012/7/12 再読)
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こないだ、なんか「おはなし」を読みたいなーと思って、図書館で、"子どもの本"エリアの読みものコーナーをうろうろしていた。岩波少年文庫をいくつか抜いてみたりして、そういえば、この本は『本の虫ではないのだけれど』に出てたっけなと思って、久しぶりに読みたくなったシンガーの『よろこびの日―ワルシャワの少年時代』とあわせて借りてきた。
清水眞砂子がなんと書いていたかは忘れてしまったが、このヴェルフェルの短編集は「人間がいっしょに生きることのむずかしさについて語っている」本だった。
著者はまえがきにこう書いている。
▼ここに書かれているのはほんとうの話である。だからあまり愉快ではない。これらの話は人間がいっしょに生きることのむずかしさについて語っている。…
ほんとうの話はめでたく終わるとは限らない。そういう話は人に多くの問いをかける。答えはめいめいが自分で出さなくてはならない。
これらの話が示している世界は、必ずしもよいとはいえないが、しかし変えることができる。(p.9)
この本に書かれているお話は、貧しさ、貧富の差、真実を語ることが許されない国、親の不和、戦争、人種の差別、老人の孤独、アルコール依存の親… など、社会のさまざまな問題のこと。どれもめでたく終わるとは限らない、必ずしもよいとはいえない世界。
訳者があとがきで、この本を読んだ娘と息子の感想を書いている。
▼…私がこの本を訳しておりました頃、中学三年の娘と小学校六年の息子が、「変な気持ちにさせられる。」とか、「あんまり本当のことを書きすぎている。」とかいいながら、一篇訳すごとに待ちかねて聞いてくれました。あとで中学三年生が、「これは道徳的な本だ。中学三年生にちょうどいい。」といいました。小学校六年生は、「ああ面白かった、という本じゃない。あとで考えずにはいられなくさせられる。こんな本は読んだことがない。」といいました。… (p.157)
「必ずしもよいとはいえないが、しかし変えることができる」世界。そのことを知って、「答えはめいめいが自分で出さなくてはならない」。言葉で、そして行動で。
(2010/7/10了)
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これも図書室で見かけて何となく借りてみました。
子供だって現実の世界がめでたしめでたしのハッピーエンドで終わることばかりじゃあ無いと知っていると思うんです。それでもあえてめでたしめでたしのお話を読ませたいのは大人たちの方なのかなあなんて思いました。
この本を読んで結局大人だって全ての問題に対してきちんとした答えや解決法を持っているわけじゃあないんだよ、ということを子供に伝える本なのかなあなんて思いました。
こういう本、必要だよなあ。何で子供の頃に出会わなかったんだろうと色々と後悔。(笑)
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短編集。世の中の不条理の場面を切り取ったようなお話ばかりだけれど、不思議と暗い気持にはならない。目が覚めて頭がすっきりするような、暗いところを照らしてくれるような短編集です。
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今から40年以上前の作品ですが、ここに書かれていることは今に通じるものも多いでしょう。子どもたちを中心として人々の生活をスパッと切り取って描写されています。その結果として貧困や差別などが表出しているように感じました。つまり世の中のことを描こうとすると、そういう問題となるできごとを書かざるを得ないかのように。
1編1編は短くスッキリと書かれています。そのため問題となるものが色濃く見えます。問題は提示されるだけで解決する訳ではありません。虐げられている人が救われる訳でもありません。悲劇的に煽っているというよりも、それもまた人々の営みをそのまま切り取っているが故に見えるのです。
しかしそれだけでなく、遠足でいなくなった少年が遅れてやってくる話や、恐怖心から夜の鳥を生み出してしまう少年の話や、別れた父親に会うもぎくしゃくしてしまう話など、物悲しさの中に妙な諧謔的な面白さを感じる物語もあります。
そして最後に収録されているのが、貧村から飛び出して学校に入り教師となって故郷に戻ろうとする若者の物語。希望を感じながら幕を閉じるのです。
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「岩波少年文庫のあゆみ」で紹介されていたので読んだ。
児童文学なのに大半はハッピーエンドではない、世界のどこかで繰り返されているであろう物語たち。ことさらつらさをきわだたせる描写でもなく、大人向け小説でのハードさとも違う鈍い後味。
年齢、経験、知識によって印象的な話は異なりそう。人種差別系やいじめについては他にも物語や歴史・事実に触れる機会があるので個人的にはそこまでショッキングでもなく、老人の孤独について考えたことはなかったことから双子のおばあさんの話が印象に残った。お年寄りに優しく、とりあえず自分の祖父母とももっと交流していこうと思った。
たまたまこれを読んだ後にこども食堂(全年代対象らしい)の紹介を見て、貧困というだけでなく居場所づくりは大事というのの納得感が強まった。