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熱い書評から親しむ感動の名著 みんなのレビュー

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みんなのレビュー15件

みんなの評価4.5

評価内訳

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10 件中 1 件~ 10 件を表示

紙の本

続編を出してくれないかなぁ。bk1の書評文化を生かさない手はない。

2006/06/13 16:04

13人中、13人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:南亭骨怠 - この投稿者のレビュー一覧を見る

 本を買うときに書評を参考にすることが多かった。特にインターネットで本を購入するようになってからは,書評から得る情報が重要になってきた。
 書評は本を買うときの参考。自分で書評を書くなど思っても見なかった。bk1に書評を投稿するようになってから,読書の楽しみが一つ増えたような気がする。
 bk1に書評を投稿していた者達が書評を書き下ろし,一冊の本ができた。それが「熱い書評から親しむ感動の名著」だ。あらすじ本が売れ始めた頃,bk1への投稿者の語り口で,名著を伝えようとした本ができた。
 この企画,2冊目,3冊目と続いて欲しかった。
 1冊の本の中に66人分の書評が載っている。2冊目,3冊目と続くためには,66冊の紹介というのが少なすぎたのかもしれない。
 立花隆の「ぼくはこんな本を読んできた」は,本を買うときに大いに参考にした本である。ここには約300冊の本が紹介されている。300冊も紹介されていれば,自分が読んでみたい本がきっと見つかる。
 「熱い書評から親しむ感動の名著」は,一つ一つの書評の文字数も多く,読み応えがある。その分,気軽に読める本ではないのかもしれない。bk1寄せられた書評の傑作選をまとめて欲しい。それが文庫や新書で出たならば,間違いなく購入する。
 bk1の大きな特徴である書評をいかした本をぜひ企画して欲しい。

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紙の本

「私」を排除せよ!

2004/05/04 03:45

5人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:南波克行 - この投稿者のレビュー一覧を見る

 自分自身が僭越にも、本書の執筆者の1人である以上、さらにこの本の書評者の1人になるのはマズイのではないか、と思っていました。それでもやはり、言いたいことがあるなら、それを言わないことはかえって、「熱い書評」者の端っこに名を連ねる者としての、理念にもとるのではないか。書くべきことがあるなら、それは直ちに言葉にして表明する。それが「熱い」書評者なのだ。そう考えたので、改めて投稿を決意しました。
 本書を最初に手にとり、そのまま一気通読。最後のページを閉じた時に感じた最大の感想は、「いかにも『私』が多い」ということでした。
 つまり、この本に収録されている66編の書評のうち、その多くが書評書と共に、何らかの形で「書評者自身」のことが、書かれているということだったのです。ある筆者は、作者ないしは登場人物と、自分自身を重ね合わせている。ある筆者は、取りあげた本を読んだ当時の、自分自身の精神状態や社会的状況を語っている。また、ある筆者はその本の現在の自分自身にとっての意味を述べている。つまりは「私」、第一人称の氾濫です。
 そのことは決して否定しないし、その本への熱い情熱が伝わるならば、それでまったくOKだと思います。実際、本書に収められた書評のすべて(いや、自分のは別か)が、そうなっており、だからこそ通読に耐えるものになっています。十分以上に熱かった! しかし、うっかりすると「自分のことをずいぶん語っているが、ところであなたは誰?」と、この本を読んでくれる、不特定多数の読者には思われかねない、一歩手前ギリギリでの綱渡りであるように思いました。ここにネット書評の弱点を垣間見た思いがします。それは、本書がネット書評から生まれた活字の本という、ある意味画期的な形態であるために、見えたことかもしれません。
無名人でも発表できるネット書評は、有名と無名の境界線がありません。そこでは有名も無名もなく、執筆者が誰であれ同じ土俵で読まれるのです。従って、読者の執筆者の「私」に対する興味など、ハナからないはずです。これはネット情報そのものの本質でしょうが、そうであるからこそ、ネット上での書評や批評のあり方としては、どこまで「私」を書いていいのか、非常にシビアな見極めが必要です。
 これは今日開設されているHPの多くが、個人日記の形式であるブログであることに、あるいは関係するのかもしれません。その延長で、ネット書評にも「私」が流れ出しているのかもしれない。しかし、評されるべきはあくまでも書物と作者であり、「私」ではないように思うのです。そしてそのストイシズムの有無が、「書評」と「感想文」とを隔てる大きな溝ではないでしょうか。
 誤解のないよう、繰り返したいのですが、本書に収録された66編のすべて、そうした「私」の無自覚な流出が慎重に避けられており、だからこそ「熱い書評から親しむ感動の名著」という書名に値するものになっています。けれど、これまで手にとった書評アンソロジーにはあまり感じなかった、どこか微妙な齟齬の感覚がその点だったのです。
 もちろん、聡明な形での「私」の提示は、次の瞬間「顔の見える」書評へと転じます。たとえば、本書に収録されている中でも、スティーブン・キングでは、代表作『IT』でも『キャリー』でもなく、なぜ『ドロレス・クレイボーン』か。あるいは、漱石は『門』が扱われ、村上龍では『どこにもある場所とどこにもいない私』。いずれもその本を扱った必然がよくわかる書評で、そこにも本書を読む面白さの一つがあります。
 ネット書評において、自堕落な「私」の流出をいかに禁じるべきか。本書は期せずしてその模範回答になったように感じました。まだ必ずしも成熟しているとは言えない、ネット書評に対するこれは大きな一石です。

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紙の本

ネットから起こした市井の人による市井の書評

2004/04/29 01:51

2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:ろこのすけ - この投稿者のレビュー一覧を見る

本の扉を閉じた後というのは、音楽を聴いたあとの余韻のよう。
感動をすぐ伝えたい衝動にかられるときもあれば、たなごころで温めるように熟成させ、発酵させ、醸し出された内なる声にたゆたうときもある。

書評は、本を通して自分が共鳴する思想なり、思考なり、感動が、感性の呼び鈴(りん)を鳴らす時に書きたくなるのではなかろうか。
その鈴が本書では66通りの音色となって伝わってきて面白かった。
文字通り、書の評なのであるけれども、その評を通してその人の味がみえてきて能弁な人もいれば、朴訥(ぼくとつ)とした味もあり、あっと度肝を抜くようなもの、見識深さに頭を垂れたくなるようなもの、そんな読み方があったのねと感心するものまで様々。
そして何よりも読んでみたいなあと思わせる書評が幾つもあってさすがに66の書評であった。
ついこうして「書評」の書評を書きたくなったのは、66通りの感性の鈴が玲瓏なのに、決してつめたくなく、身近な熱い体温を伝えていたからだろう。
それはプロにはないあの人、この人、隣の人の声、そう、つまりbk1の66の声が伝えた書評だからに違いない。ネットから起こした市井の人による市井の書評。
文字通り「熱い書評」たち。次の67番目、68番目に続く鈴を鳴らすのは読者のあなた。
それにはやはり鈴をならす本にめぐりあうことだろう。

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紙の本

書評文化の黎明

2004/04/16 18:29

2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:濱本 昇 - この投稿者のレビュー一覧を見る

書評とは、本を読んだ後、その感動を誰かに伝えたいため、あるいは自分が確認するために書くものである。それは、今までは、公に発表されるのは、プロの書評家によるものであった。しかし、インターネットの出現でごく一般の人の書評が公に発表されるようになった。本書は、インターネットの枠を越え、出版という形で書評文化を世に問うた画期的な書である。
私は、読書が好きである。書物というものは、人類史上最大の発明であると思う。2000年前の哲学者、200年前の科学者と対話出来るのである。書物で無かったならば、タイムマシンでも発明しないと出来ない事である。
私は、読後、必ず書評を書くようにしている。書評を書くと面白い。その本を理解出来たか、否か、即座に分かる。良く理解出来た場合は、スムーズにペンが走る。逆に内容を理解出来ていないときは、ペンが止まる。また、その書の核心を掴むのに役に立つ。おそらく、本書に投稿された諸君は、みんな多かれ少なかれこういう感情を持って書評を書いていると思う。
書評を第三者が読む事により、その本を読みたくなることもあろう。こうして活字文化が広まり、読者層が拡大すれば、本書の狙いは叶った事になるであろう。
本書から、ある個人の書評集が出版される可能性が無い訳でも無い。こうして書評文化は拡大してくだろう。
本書は、書評文化の黎明期を切り開いた画期的な書である。

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紙の本

書きあぐねている人のための書評入門

2004/04/26 21:09

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:夏の雨 - この投稿者のレビュー一覧を見る

 どうして書評を書くのか、時々考えることがある。誰かに何かを伝えたいという思いがない訳でもないが、それ以上に本を読んだその時そのときの自分自身を残したいという思いの方が強い。その本がもたらしてくれる色々な思いを文章にして書きとめることで、その本を読んだ<今>の自分自身もまた残っていく。そういう意味では、書評は私にとって日記であり、自分史なのだ。

 白い頁がある。そこに自分自身を書いてみなさいと云われても戸惑うばかりだ。白紙から作り上げていくことの労力は半端なものではない。自分とは一体何だろう。誰もがわかりたいと思いながらも、白い頁に肖像画を描けないでいる。そこに、本を置いてみる。本という被写体を描くことで、実は自分自身を書くことになる。文章に書けなければ、その時どきに読んだ書名だけでもいい。二十歳の時に読んだ『門』と三十歳の時に読んだ『門』とは違うはずだ。『門』と書かれた書名の向こうに、その時そのときの自分自身がいるはずだ。

 そこから、書評まではもう一歩だ。その本を読んだ際の自分の生活や体調を書いてみるといい。「二十歳になった。漱石の『門』を読んでみようと思った」とか「妻と喧嘩した。むしゃくしゃして、本棚にあった漱石の『門』を思わず投げつけた。軽そうな本を無意識に選んでいたかもしれない」とか。書評は自由だ。そこに本がありさえすれば、無限に広がる世界だ。

 「文学は、何をどのように描いてもいいものです。批評はまたこれをどのように論じてもいいもの−ときには論じないことで最大の肯定か否定かを示すもの−なのです」

 かつて開高健はある短文(『エピキュリアンの悲しみ』)にこう書いた。そのことを実証するように、オンライン書店bk1に書評投稿している六十六人がそれぞれのスタイルで書いた書評を集めたのがこの本である。年令も職業もまったく違う六十六人ゆえの個性豊かな書評集にできあがった。ここには六十六冊の本と同時に六十六人の人たちの熱い思いがあり、<今>がある。そして、六十七番目の書評子は、もしかしたらこの本を読んだ<あなた>なのかもしれない。

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紙の本

葉っぱ64として読者書評投稿してみました。

2004/04/20 15:53

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:栗山光司 - この投稿者のレビュー一覧を見る

 こうやって「熱い書評本」を手に取ると、1/66人として何か言いたくなりましたが、一応、著者なのか、やっぱ読者なのか、後だしジャンケンで様子見したら評者の方達は読者で投稿している。市民参加ランナーとしては、それは正解なのだろうと、納得しました。しかし、どうもちょいと、違和感がある。それで、投稿を始めたハンドルネーム「葉っぱ64」に先祖帰りして読者書評をしたいと思います。
 
 どうして、「葉っぱ64」から実名の「栗山光司」に変えたのか、それは=はじめに=でbk1編集長の斎藤さんが「ページの端を折った返事集」という粋な言葉で「書評のコンセプト」を述べたが、確かにプロの批評家が陥りやすい「読むことよりも書くこと」を優先せざるを得ない振舞いは、書くことが念頭にある場合、読みながら立ち現れてくる全体としての本の美味しさを味合い損ねてしまう危険性がある。その自戒を印するために実名にしたと言えば格好がいいが、ひょんなことから、ひょんになってしまったと言っておきます。
 =おわりに=で辻さんは「草の根〜」という何か懐かしい響きのある粋というよりメッセージフォークの匂いがしますが、「草の根書評文化」ってブログと通底する「カラオケ文化」に近いものではないかと思う。カラオケであってみれば、熱いのは当然である。それぞれの評者の背に負った個人史なり想いが、それぞれに巧拙は二の次で「自己語り」する。本の内容紹介は読む時の興を殺ぐと自己弁明して、ひたすらに自己表出する。これも、文芸評論家、プロ書評家が陥りやすい隠喩を通して「自己表現」する「書く」ことで歌うアーティストと似て非なるものかもしれないが、その差異が不分明になっていることは事実である。

 栗山光司の『光る海ー静かな一日』はそんなカラオケ書評の典型かもしれない。でも、それによって、「オレは、私は違う歌い方が出来る」と、吉田満さんの『戦艦大和の最期』を手にとってくれる人がいるかもしれない。本を購入する動機は様々で、様々な触手の書評があってもいいかもしれない。リアル書店の手書きPOPはぼくの実体験から言っても効果のあるものですが、ネットの利点は様々な不統一な書評定義のないレビューをリアルタイムで多様にアフォード(提供)する。まさに蜘蛛の巣のネットで読者をネバネバで取り込むことにあるのでしょう。
 ぼくのカラオケ度のアップに、ある評者の方は「葉っぱ節」な〜んて言ってくれましたが、そんな自己語りを抑制するために、言わば、「本に挟む栞(付箋)」のような粋でクールな「読んだ想い」が爽やかな風となって未読の読者に共振していく。かような発信者のひとり、受信者のひとりに、なりたいものです。
 そんな栞する、「読む読むの果に、ため息となって零れ落ちた」ものがレビューとして書くことになる。読んでいる時は書くことを忘れる。
 そんな書評投稿をしたいものです。
 
 2002年に葉っぱ64で書評投稿した折、中条省平さんがぼくの高橋秀実の『からくり民主主義』レビューにコメントをつけてくれて、望外の喜びでしたが、《ただ、この書評が面白いところは、内容紹介を一切と言っていいほどしていないけれど、この本を読み終えて、この人が考えたこと、この本に触発されて現在の日本をどう思うか、を説得的に書いてあるところですね》。
 まったく、今回の本書に掲載されている『光る海〜』は、まさに、内容紹介が殆どなく、せっかくハンドルネームを変えたのに、人間の振舞い、文体は一朝一夕に変じない。汗顔です。「自己語り」からも、「隠喩で語る」ことからも、早く脱却したいのです。でも、ムツカシイですね。
【葉っぱがアフォード・阿呆ダンス】

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紙の本

狭くて深い世界へようこそ。

2004/05/03 17:44

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投稿者:のらねこ - この投稿者のレビュー一覧を見る

 はあ、あなたも本を読みますか。そうですかそうですか。あれはあれですな、「読む人は放っておいても読む、読まない人はいくら薦めても読まない」というような世界でありまして、なかなかに難しいものがございますな。「本読み」という人種は、これでなかかな世間様の中ではマイノリティなのでございます。ましてや、「書評」とか「レビュー」などというものを書こうなどという人種はそれこそ「マイノリティ中のマイノリティ」、極めて希少な存在といっても過言ではございません。こうした稀少人種が期せずして集合を果たしたのは、やはり「ネット書店」という環境によるところが大でございます。中には、買い物をせずとも日々更新されている書評欄だけは頼りにしているような向きも多いかと思いますが、そのような場合でも、読書人口を底辺から支え広げている、という見方もできなくもないわけで、それはそれで意味がございましょう。
 さて本書は、そうした物好きな稀少人種が、たぶん、あまり本を読まないマジョリティな方々に向けて、というコンセプト(だと思う)のガイドブックになるわけでございます。本書の目指すところが成功しているか否か、という点においては、執筆者の端くれとして参加している当方からコメントすべき事柄ではないと思いますので省略させて頂きます。当方、執筆依頼を賜った関係上、取り上げるラインナップなどの情報についてはかなり早くから知らせて頂いているわけですが、そのときの印象を率直に述べますと、「ちょっと保守的すぎるんじゃないの?」という所でございましょうか。
 できあがった本を実際に手にしてみてみますと、「思ったよりも厚いなあ」、「落ち着いた装幀」、「読んでみると、意外にバランスの取れた内容」などなど、それ以前に若干不安に感じていた部分を払拭する仕上がりになっていました。
 世に「このような本を必要とする方が、さてどれほどいるのか」、という点については当方には正確に予測のつくところではありません。が、個人の蔵書としてはさておきき、公共の図書館とか学校の図書室などにはかなり似合いそうな仕上がりとなっております。本書について自腹を切るまでの要求を感じない方も、どうか一手間おかけ頂いて最寄りの図書館などにリクエストして売り上げに貢献して頂きたいものでございます。
 そうすると、版元さんもそうですが、別の方々も喜びますよ。他の執筆者の方々とか、当方とかが。

酩酊亭亭主

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紙の本

読書とは何か。

2004/04/18 22:46

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:yaeba - この投稿者のレビュー一覧を見る

名作がほんの数ページに要約された「あらすじ本」がベストセラーとなっています。以前、私も書店で立ち読みしたことがあります。「タイトルは知っていてもストーリーは知らない名作が数分で読める」という手軽さが人気なのでしょうが、私にはそれを購入する意欲は全く湧きませんでした。
というより、それに違和感を覚えずにはいられませんでした。数ページのあらすじを読んだだけで名作は理解できるものなのか、読書とはそんなお手軽なものだったのか、果たしてそれは「読んだ」ことになるのかと。

それから少し経った頃、すばる舎さんよりこの作品への参加依頼のメールを頂きました。企画主旨は以下の通りです。

「一冊の本とじっくり向き合うことで得られる真の豊かさを体感してほしい。仮にあらすじによって、スピーディーに効率的に情報、知識が得られたとしても、元の文章の呼吸や手触り、本当の感動までは味わえないと思うからです。原著にあたりたくなる強い動機づけとは、その本を読んだ<感動>をきちんと伝えることによって生まれるのではないでしょうか」

私の感じた違和感をこの企画は的確に言い当てており、私は未熟者ながらもこの企画に参加することにしました。

そして、完成……。

他の方の書評を読んでは<感動>が伝わってきて、「この本読みたい!」の連続でした。バラエティ豊かな評者略歴を読み、それぞれの書評から本との深い関係性を窺い知ることで、「読書って年齢も立場も職業も関係なく、どんな環境にあっても楽しめるものだな」と改めて思いました。

読書とは、作者から読者へ一方的に与えられる受動的なものではなく、作者の書いた世界を読者が捉えなおしていくという実に能動的な行為であると私は考えます。お手軽な行為ではないからこそ、満たされる何かがそこにはあるのでしょう。

本書は良質なブックガイドであると共に、読書とは何かという問いに答えうる一冊となっています。

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紙の本

生涯の友が隠れているかもしれません

2004/04/16 13:58

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投稿者:べあとりーちぇ - この投稿者のレビュー一覧を見る

 一応こっそりと感想文(書評なんて大それたものではない)を掲載していただいているので、本書に投稿するのは反則技なのだろうか。しばし悩んでしまったのだが、やっぱり投稿することにした。だって面白いんだもん。

 本書に掲載されている66本の書評どれもが、書き手の情熱と愛着と心震えるような感動でできている。既読本については共感と新しい観点を得る喜びを、未読本については「うわっこれ絶対チェック!」というワクワクはやる気持ちを感じるだろう。アタマから尻尾までまるまる読んで、「やっぱり自分の感想文が一番ショボいなあ」と悄気てしまったのだが、それでも対象の書物への愛着の度合いでは、先輩評者諸氏に負けていないつもりである。

 一遍に66冊分の感動をまとめて読む、これはそう滅多に味わえるものではない「濃い」体験だった。「はじめに」の中にもある通り、こういった書評は書物に対する読者の「返事」であると言えるだろう。66人の書き手たちは、本から受け取った何かを、とにかく誰かに向かって投げかけずにはいられなかったのだ。彼らが渾身の力で投げ返した書評という「返事」は、またそれを読む読み手にとっては、あるいは変化球でありストレートであり、あるいはど真ん中のストライクでありとんでもない大暴投であるかもしれない。
 もしも胸の前に構えたミットの中に「ずどん」という手応えを感じたら、何はともあれ書店に走り、問題の書物を買ってきて損はない。もしかしたら「ずどん」とは違った読後感を持つかもしれないが、それはそれで確かな何かを受け取ったということなのだ。今度はまた、誰か他の人に向かって「返事」を投げてみるのも悪くない。

 子供の時から本当に本を読むのが好きだった。本さえあれば何も要らなかった。そういう純粋な気持ちを伝えることができたらいいなと思って、読書という天国の案内人のひとりになれたらと思って、「べあとりーちぇ」という筆名を選んだ(未熟者なのでひらがな表記なのだが)。
 自分がどっぷりハマっている崩れそうな書物の山、家計を圧迫しかねない書籍費を考えると、果たしてここは楽園なのかとふと疑問もよぎる。もしかしたら筆名は「うぇるぎりうす」の方が良かったのかも。
 プロフィールを読むと、66人は多かれ少なかれ、同じように置き場所と書籍代と読むための時間捻出に汲々としているらしい。筆者のように「お風呂も一緒、寝るのも一緒」という方もいらっしゃって安心した。読書の趣味のない人々にはもしかしたら冗談抜きで地獄かもしれないが、筆者に言わせれば、こんなに甘美で幸せな地獄もちょっと他にはないのである。
 …一緒にハマってみませんか(ふふふ)?

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2014/09/22 00:11

投稿元:ブクログ

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