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戦争が遺したもの 鶴見俊輔に戦後世代が聞く みんなのレビュー

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みんなのレビュー26件

みんなの評価4.5

評価内訳

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24 件中 1 件~ 15 件を表示

紙の本

戦争という極限下の人の心を哲学する

2017/08/19 18:38

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:親譲りの無鉄砲 - この投稿者のレビュー一覧を見る

戦後思想史の小熊英二と女性学の闘将上野千鶴子を聴き手に得ての戦争にまつわる鶴見俊輔の回顧談。彼はジャワのジャカルタ海軍武官府で軍属として働いた。他の著書でも十分語りつくしているようにも思える内容ではある。しかし、直接本人から話を聞くのと文献から間接的な情報を得るのでは、その情報のクオリティには決定的な違いがある。根掘り葉掘り鶴見に直に問い正していくことには大いに意味があった。例えば、鶴見は「戦争のくれた字引き」で、自分が無線傍受した敵側情報がもとになってスパイ狩りが行われ、無実の民間人が殺された、というエピソードを記したが、これはフィクションだった。自身の経験をさらに極限的な状況に追い込んだと仮定した場合、人は何を考える行動するだろうか、という哲学的思索を巡らせ、読者にその追体験を求めたのだろう。多くの読者が誤解したように小熊も「民主と愛国」で事実として引用していた。
 また鶴見は、同海軍武官府で「従軍慰安婦」の女性集めの実務にコミットさせられていた。その人件費は「機密費」により当て、使用目的を帳簿に記載する必要がなかった、実際の支払いは軍票を切るだけだった等、さらりと明かしている。これは実に貴重な歴史証言だ。村山政権下、従軍慰安婦に対する戦後補償問題が持ち上がった時に、鶴見は民間の「アジア女性基金」拠金のための呼びかけ人の一人となった。しかし本基金は、「日本国民」の反省やお詫びのこころを国際的に示す一定のアピールの効果はあったものの、国家としての謝罪や賠償責任への道を閉ざした障害物としての性格を持つ、という意味で歴史的評価は十分なされないものであり、それが証拠に国際問題としての「従軍慰安婦問題」は全く解決していないのが現状である。鶴見は、国家賠償が筋という原則論は堅持しつつも、被害者の高齢化が進む中での経過措置的対応としては、このような形はありだ、と考えていた。しかし見舞金の受け取り拒否という事態は、他の呼びかけ人含めて想像できず、誤算だった、と告白している。上野は面と向かって、彼の対応は心情倫理に基づくものである、と厳しく断じている。恐らく本論点は彼女が本対談に参加した大目的なのだろう。国家賠償は政治的解決上の必要条件であり「国」はその責務を誠実に履行してはいない。しかし同時に国家賠償のみで本質的に解決する問題でもない。許すという行為の選択権は被害者のみが有し、しかも理性のみに基づくものではなく、心情を蔑ろにすることはできない。鶴見は「自分が叩かれ続けるサンドバッグになる」覚悟が必要と釘をさし、上野に対してはまさにサンドバッグ状態になった。上野は鶴見には一定の同情的心情を示しつつも、叩きつづけなければならない側のことは考えていないのか、とさらに追及する。原理主義的思想と鶴見型プラグマティズムはかように衝突し、しかも原理主義者も心情的怨嗟からは脱し得ない。プラグマティズム優勢のように思える。
 慰安婦問題から離れ、鶴見は、極限下の愛情が慰安婦と買春者の間に成立するかという根源的な問いに対しては、「成立しうる」としている。(ここでも上野の反感を買った。)この「愛」には、鶴見独特の定義が存している。推量するに、極限下ならではの崇高な人類愛的な精神作用を指すのだろう。慰安婦という被害者の持つ感情の中にも、白人系のハーフ・キャストという高級将校相手の上臈は、彼女らが相手しない下級兵士に対して軽蔑心が育ち得た。実際そういうケースを鶴見は見た。被虐者が被虐者を再生産する人間の愚かさ、また、加害・被害の立場を超えた「愛」の存在、両方を鶴見は見たのである。

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紙の本

ラスト・コスモポリタン

2004/05/22 10:38

2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:ソネアキラ - この投稿者のレビュー一覧を見る

某ロックマガジンの人気企画で二万字インタビューというのが、あった。この本を瞬く間に読んだ後の感じは、それに似ている。企画した小熊英二に、そのイメージがあったかどうかは知らないが。

三日間にわたり、それこそ根堀り葉堀り、鶴見俊輔にインタビューする。なんたってインタビュアーが上野千鶴子と小熊英二なんで、つっこみどころがいい。取材が終わってからのインタビュー後の雑談も掲載されているが、意外と雑談の方が楽しい話がつまっている。この構成もナイ〜ス! これは、ままある。テープレコーダーを止めてから、いい話がぽろっと出たりする。

母親に虐待され、−アダルトチルドレン−から不良になって、行き場がなくなり、カンペキに堕ちる寸前で父親にアメリカ留学させられる。中卒でハーヴァード大学へ入学し、卒業する。海軍軍属となり、敗戦。『思想の科学』発刊から60年安保、ベ平連へ。合間に大学の先生をつとめ、何度かの鬱病にも悩まされる。

鶴見の著作を通して断片的に生き方を知ってはいたが、このように一気に自分の人生語りを伺うのは、知的興奮を覚える。

「明治維新から1904年までは、自分で明治国家をつくる人たちがいた。だけどその後は、明治国家でできた体制によって、つくられた人たちばかりになった」
レディメードのデモクラシーということなのかしらん。そうして、大きな根幹を成しているのが、
「前の時代にやっていたことは古くてだめだ、という考え方だ」
だそうだ。
「だから私は、歴史をみるうえでも、進歩と退行を、一緒に考えていきたいんだよね」
常に反証を試みる、これは、きわめて重要な姿勢といえる。

孤高の思想家・吉本隆明から、丸山真男のように、からまれなかったことに対しては、
「ヤクザの身振りに対する共感じゃない(笑)。つまり、体を張っている者どうしの共感」
と述べ、こう答えている。
「60年安保みたいな、ああいう波があったときに、やっぱりやっている人間と、動かない人間はちがうんだよ。そういうことだと思う、ヤクザってそういうものなんですよ(笑)」

こうしてみると、60年安保闘争やベトナム反戦運動は、まだ、語弊があるかもしれないが、なんか心のどっかでお祭り騒ぎを楽しむような余裕があったような気がする。と、遅れてきた青年のぼくは、勝手に思っている。

「大義を掲げて人を殺すということは、避けたいんだ」
「それが私がベトナム戦争に反対した、最低限の理由だったんだ。社会主義者になったほうがベトナムが幸せになるとか、そういうことではない。国家にひき出されて殺す立場になるのはいやだ、それには反対する。それが理由だった」

自称ヤクザで悪人という鶴見俊輔に、大きな磁場を感じてしまった。なんなんだろ、この守備範囲の広さ、許容範囲の広さは。本人も編集者志向だと認めている。上野は戦後の日本に影響を及ぼした編集者の双璧として、『思想の科学』の鶴見俊輔と『暮しの手帖』の花森安治をあげている。

象牙の塔の人ではなく、あくまでも現場の人、プラグマチックな人である。

「だから、私は悪人なんだよ(笑)。そこが矛盾しているといえばそうなんだけど」

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紙の本

現役の知識人としての責任感

2004/05/10 15:49

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:伊豆川余網 - この投稿者のレビュー一覧を見る

 これぞ快著。もし小熊英二を読みきっていなくても、もし上野千鶴子を敬遠していたとしても、鶴見俊輔という名前にいささかでも興味(反発も含めて)のある方は、たとえ一冊も著作を知らなくとも、読んで損はない。
 談話者が超のつく大物であっても、話し言葉で親しみがもて、フレーズが短いから(たとえ著作が晦渋でも)主張がわかり易く、ときに意外な逸話が飛び出して興味が深まる。要するに「読み易さ」という対談(鼎談)の長所が、遺憾なく発揮されている。論理よりも雰囲気に対談者同士も陪席の編集者も(読者も)からめとられ、誤解し、本筋がぼやけ、逸話だけが突出してしまうという、この種の本に見られる弊はない。
 それにしても、稀に見る少青年時代を送り、思索と行動二つながら徹底して実践して来た鶴見という傑出した思想家から、よくぞここまでの話を聞き出したものだ。もとより、発言した鶴見の度量の大きさもある。それが随所に伺われるのが、何よりも本書の魅力だ。また鶴見が、そもそも名著『〈民主〉と〈愛国〉』の著者として、若い小熊を素直に評価しているからこそ成立した企画であったことも確かだろう。そこには鶴見の人柄も小熊の実績もあずかっている。
 しかし、仮に対談が実現したとしても、これだけ興奮させる(かつ再読するに値する)一冊に仕立てたのは小熊の、(今回は)著作者としてよりは編集者としての資質と能力に負っていよう。もとより、極めて優秀な飛行船ないし観測衛星のような〈著作者小熊〉が、戦後文化という幾層をも成す宇宙に漂う巨大で豊饒な恒星を明確に精査したという感銘は、当然湧き上がる。だが今回、単独飛行で目的地に近付くのではなく、上野という取り扱いに注意を要する精密機器を備えてこの恒星に接近した〈編集者小熊〉の才覚には、ほとほと呆れかえるしかない。上野は、ときに狡知なヒールのように、ときに熱烈なファンのように確信犯的に鶴見に襲いかかり、読者をはらはらもさせるが、それすらも小熊の予測値に含まれていたはずだ。結果的に、「この3人」ならではの貴重な言説が生み出されている。
 明かにされてゆく鶴見の内面史に加え、最も多くその言動に触れている丸山真男や吉本隆明や小田実など様々な戦後文化人との〈事件史〉ともいうべき交流が紹介され、興味は最後まで尽きない(巻末に人名索引を付してあるのもいい)が、鶴見の発言は、いずれもおざなりではない。いわゆる評論家ふうの月旦でもなく適評というのでもない。マスコミのレッテルとは無縁の、鶴見の嗅覚と体験からの発言である。その背景には、彼がいかに上野のいう「責任倫理」に基づいて人に対してきたか(事に処してきたか)、ということがある。もちろん矛盾もある。だが、「日付のある判断」を重んじる鶴見の人間としての魅力は、その矛盾を超えて読者に迫る。
 三日間行われた対談の最後、メインの話が終って食事をしながらの「雑談」で、ハーヴァード在学中にホワイトヘッドの最終講義を聴いた話が出て来る。「不滅性」という題名のこの講義の最後の一言は、“Exactness is a fake”だったという。最後の最後になって鶴見がこの話を巧まずして持ち出したことに、小熊は、快哉を叫んだのではなかろうか。鶴見は言う。
「価値を確信して、価値としてこの世界を見るということ。価値だから、この場かぎりで終らない。また終らせてはいけないと思う。」(p390)
 孤高とか、隠遁というのがこの国の精神では長く(あるいは現代でも)尊敬、仰望されている。それゆえに、運動や行動については逆差別もある。だが、どちらが偏っても知識人としての責任は全うできない。鶴見はそれを、身を以って実践した現役の思想家であるということを、小熊(と上野)は我々に提示してくれた。感謝したい。

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戦争が遺したもの

2004/03/18 16:56

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:sheep - この投稿者のレビュー一覧を見る

昔から鶴見の本をそこそこ読んできた。「思想の科学」もかなりの期間購読していた記憶がある。
その鶴見と「と」の小熊の組み合わせの三日間にわたるインタビュー。これは手にとらずにはいられない好企画。途中で止められなくなり、夜明け近くまで読みふけった。小熊の発案だというが、さすがは元編集者!(全員が編集者経験者だ)

上野も小熊も、容赦なく鶴見に厳しい質問をしている。国民基金についての、上野の追求は執拗だ。鶴見も率直に答え、本書で初めて公にする事柄もいつくかある。全く政治信条が異なる人士についても、生き方に納得すると許容してしまう鶴見の懐の深さには、感嘆する。名家、保守政治家の血統によるものなのだろうか? こればかりは凡俗の理解を超えているようだ。

上野、小熊のやりとりも、なかなか面白い。毎日最後に別の場所で食事をとる時間が、一種気分転換の場になっており、「雑談」と称されているが、そこでも話題は重い。

占領時期に、ハーバード時代の同級生が軍医としてやってきた。そのリーバマンが、鶴見に「これからアメリカはファシストの国になる」といったという。何という炯眼!
ブッシュに言いたいのは、「おまえはある人々をある時騙すことはできる。ある人々をずっと騙すこともできるだろう。しかしすべての人をずっと騙すことはできない」というリンカーンの言葉だが、アメリカの全体主義的状況をいますぐひっくり返せるかということについては、チョムスキーのようには楽観的にはなれないという。帝国状況は一体あと何十年続くのだろう?

金と性にしか興味のない私的欲望の塊としての日本人の自画像「がきデカ」に、日本的民主主義の芽がある、というような鶴見の文章を昔読んだ時、「あれっ?」と違和感を感じたことを覚えている。「金と性にしか興味のない私的欲望の塊」と「民主主義」のつながりが何とも解せなかったのだ。本書で、小熊は、この「がきデカ」についても問うている。
ブッシュの後に小泉がくっついて、そのついあとに、「がきデカ」がくっついて行進する絵を描いたらいい、と鶴見は答えている。反戦ポスターとしてはかなり力がある、と。

鶴見には、アメリカから相当様々な誘いがあったが、彼はそれには一切乗らずに来た。アメリカ留学から1942年に帰国して以来、アメリカに行ったことがない、という潔さが何ともすごい。マスコミ、官僚にはびこる多数のアメリカ留学帰りの提灯持ちをみれば、鶴見や小田は、アメリカで学問を学ぶことが、必ずしもアメリカ隷属を意味するわけではない、というごく希有な例だろう。

上野の本はわずかしか読んでいないが、彼女の本を含め、三人の本を読みたい気分になった。本書は、鶴見、小熊、上野への、入門書の役をはたすのかも知れない。この三者の本が好きな人々には必読書だろう。本来は「と」と合わせて読むべき本とも思える。

「戦争が遺したもの 鶴見俊輔に戦後世代が聞く」という書名だけ、やや気になった。
二人は「戦後世代」といえるのだろうか。イラクで参戦している今「戦中世代」ではなかろうか。憲法が改悪され、更に植民地化し、アメリカ主導の先制侵略戦争に、隣国を始めとして世界中に手足としてついて行く日本の近未来を考えればなおさらだ。40年後には、小熊がインタビューされる側になって、同様な本が作られるのだろうかと、妄想した。

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2005/02/16 18:56

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2005/12/09 21:57

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