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絶版になっていたものが再版されたので
すかさず購入。
深みに足を取られ、
どれだけ手を伸ばしても
袂には届かない。
不安をかき立てながらも、
とにかくあるのは気怠い感覚。
純文学らしさがぎゅっと詰まった良作。
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「あの子は病気です」
「あなたが健康で、あの子が病気だって
どうして言えるんですか」
「健康になるってどういうこと?」
「人を安心させることよ」
ああ、美しい。
今があたしの頂点みたい。
杳子の軀がおそらく彼の軀への嫌悪から、
かすかな輪郭だけの感じに細っていった。
(杳子/妻隠)
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ピース又吉がむさぼり読む20冊より。
情景描写、心象描写がものすごい量で複雑でとても読みづらい1冊でした。ボクにはまだレベルが高いのかな。
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@Nobwow: 「杳子•妻隠」古井由吉 読んだ。杳子超めんどくさい!けども…一皮向けば自分にも、ぐらぐらと揺らぐ心と、行き場のない澱のようなものがあるような…いや、ないな。俯瞰と潜るような接近と、ピントがめまぐるしく入れ替わって振り回される、独特な文章。
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庄司薫、塩野七生と日比谷の同級生(すごい…)で芥川賞作家。
折角なら受賞作をと思い、借りてきた本。
解説にもあるとおり、密室の物語である。
"内側" と "外側" が、ふたりの意識をとおして、混濁しては、はっと我に返ることの繰り返しで、くらくらとする。
所々で言及される、「子供」が、外側に内側をうみだす存在だとしたら、食べ物はその反物質だろうか。たしかに気持ち悪くなってくる。
意識の波がふたりの間でずれては重なり、また離れる度に、期待することをやめられずにページを捲る自分が、主人公の彼のよう。
しかつめらしく、ということばがよく使われていたけど、しかつめらしく、「はい、大変、しあわせです」という杳子が、えも言われず可愛らしい。恋愛小説としてたのしむとまた適度に気持ちよい。
庄司の、"喪失" を好む人なら読みやすそう、という印象。文体かな。
この時代にして、庄司も古井もなんてものを書いていたのかと。
ピース又吉さんに紹介されていたのは知らなかったけれど、見てみたら良いものばかりピックアップされているので気分が良いですね。
私の大好きな "赤頭巾ちゃん"も、こうやってまた細々と読まれつづけるのであればとてもとてもうれしい…。
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女優の仕事が「見られる」ことなら、作家の仕事は「見る」ことだと誰かが言っていた。その、作家に不可欠な観察眼を、これでもかという描写力で見せつけられた。谷底で杳子と出会った「彼」の奇妙な恋愛を描く表題作。精神を病んでいる杳子の刺々しい感性と、ポジションとしては凡庸な男を演じる「彼」との空気感が、凄まじい筆力で感じられ、圧倒された。もう一つの短編「妻隠」も劣らず、男と女の「あいだ」が描かれていて、感嘆してしまった。
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「杳子」
…こういう女、いる。
なんだかうそっぽ~い女。メンヘラ。身体感覚を欠いたような女。
それはどんな言葉でもっても定義しえないし、あまり意味がない。だから、なのか? あるいは、女というのは潜在的にこういうものかもしれない、などと知ったかぶりしそうにもなる。
出会い、というのが非常に大事だ。
切り立つ崖の下での出会い。もう完璧だと思う。
空間の力が一点に集中する場。たぶんその場の力も借りて、この話はのっけから既に時間の観念がどっかへ行ってしまったみたいだ。
「病気の女」という言葉は、特別なものだ。ひとつの単語、観念なのだということを改めて思い知る。
男にとってはよほど明らかなことであっても、女はみずからの病気の核心を見ることはない。いや、かえって見えすぎているかのようにその核心のまわりをぐるぐる回っている。それを支えているのは恐るべき慣習の力、意固地さ。男と女という性を分け隔てる力。
しかし本当のところは、男にとってもそれほど明らかではないのだ。男が女を見つめた瞬間に、女にとって病気は凝固してしまい、男がいる限り病気もそこにある。(P.60)
そして病気であるが故の、媚態。
あーもうとにかく、かなり複雑な文学体験だ楽しいなこんちくしょう。
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不思議な小説だった。読み終わった直後は「・・・(´▽`;)」な感じでしたが、なぜか読み返したくてたまらなくなってします。結局二周半してしまった。
「え?つまりどういう事?」→「は、もしかしてこれってこう言う事?」→「あ、何かやっぱり違う気がする」と、途中掴みかけて最後に結局全て見失ってしまう。人生の縮図のような小説だった。完全に飲み込んで消化したいところ。
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1970年下半期芥川賞受賞作。選考委員の間で「杳子」と「妻隠」で意見が分かれたまま、決しかねて両作での受賞となった。委員の一人、川端康成はこのことに苦言を呈していた。私は、やはり「杳子」を推す。徹頭徹尾、暗い小説だが他には類を見ない独特のリアリティがあり、読者をも傍観者にはさせておかない迫力に満ちている。作中では「彼」と語られ3人称体ではあるものの、いつしか(あるいは小説の冒頭からすでに)我々は「彼」の視点と思惟にとり込まれることになる。そして、その視点から見る「杳子」に、はたして我々は何をなし得るのか。
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一文から始まる2作。ザ・芥川賞といった感じを受けた。心を病む杳子と主人公Sとの不可思議な交流を描いた作品は、世界の見方が少し違った、孤独な心を通わせる2人の心象世界が読み応えがある。そういえばいいが、なんだかくらくらしてくる。描写は細かく、比喩がたっぷり。それが心を病んだ杳子と、彼女の心に寄り添える主人公の世界だから仕方ないのだか。好きな人はきっとはまる不思議な世界観。
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【本の内容】
「杳子は深い谷底に一人で座っていた。」
神経を病む女子大生〈杳子)との、山中での異様な出会いに始まる、孤独で斬新な愛の世界……。
現代の青春を浮き彫りにする芥川賞受賞作『杳子』。
都会に住まう若い夫婦の日常の周辺にひろがる深淵を巧緻な筆に描く『妻隠』。
卓抜な感性と濃密な筆致で生の深い感覚に分け入り、現代文学の新地平を切り拓いた著者の代表作二編を収録する。
[ 目次 ]
[ POP ]
[ おすすめ度 ]
☆☆☆☆☆☆☆ おすすめ度
☆☆☆☆☆☆☆ 文章
☆☆☆☆☆☆☆ ストーリー
☆☆☆☆☆☆☆ メッセージ性
☆☆☆☆☆☆☆ 冒険性
☆☆☆☆☆☆☆ 読後の個人的な満足度
共感度(空振り三振・一部・参った!)
読書の速度(時間がかかった・普通・一気に読んだ)
[ 関連図書 ]
[ 参考となる書評 ]
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面白かったです。
杳子はおそらく、世界に意味づけをすることが出来ない少女です。事物は、外から明解な意味を着せられないと、存在自体が不可解で重たくなる。世界をそういう重たいものとして捉えているのが杳子。そして、その杳子と何か通じるものがあるから傍にいたい青年。
この小説に私が惹かれたのは、杳子を通して、世界が美しく見えたからではないかと思います。美しく描き出す文章の力もさることながら…。意味や定義に汚されていない世界。一般的な価値が関係のない世界。そこに(能動的にではないと思いますが)閉じこもる若い男女。私自身は意味にあふれる世界で闊達に生きていけて、ちっとも純粋じゃないなとよく思っていたので、いっそう惹き込まれたのかもしれません。
感性まかせではない、しっかりした骨組みも感じられる小説です。
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この2作品はともに、ある男と女のお話である。『妻隠』は若い2人は現代の憂鬱な暮らしに閉塞している。おせっかいな底意があるかのような老婆が絡み、気怠さを効果的に感じさせる。
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気になってた古井由吉作品。
こういう文体好き。表面のちょっとした仕草からどんどん内面の襞に入り込んでいって、時間がすごく過ぎたような感じになって、でもほんの一瞬の些細な出来事。
妻隠よりも表題作の方が好き。
映像化するなら菊池凛子だなあ。
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芥川賞受賞作。
杳子という名前、谷底からの始まり、そして精神の病。これでもかというくらい、暗い物語である。
読んでいると常に杳子の精神の抑揚に振り回される。そこに加え正常であるはずの「彼」の目線にも揺さぶられ、ダブルでしんどかった。