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人は人を殺すことを避けようとする。
そんな希望に満ちた本能がある一方で、その本能を凌駕する方法を編み出す人知をも持ち合わせている。
“知恵の木の実”はやはり口にしてはいけなかったのかとよく知りもしないのに宗教的なことを考えてしまいました。
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読みきるのにとても時間がかかった。一方で、戦争に対する見方が変わったし、読んで良かったと思える一冊でもあった。
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いままで全く気がつかなかったことを知ることができ衝撃を受けた。
第2次世界大戦やそれ以前の戦争では接近戦での発砲率が低い(約15%)ということ、つまりこちらに向かって攻めて来る敵に対してそれを殺してしまうことに対して強いためらいがあるということらしいのだ。場合によってはそのためらいのため殺されてしまう。さらに長期間(数カ月以上)にわたって命のやりとりが生じる前線に兵士をおいておくとほとんどの場合精神的に壊れてしまうという。100人に2人くらいの割合で平気な人がいるというが、こちらはむしろ平時には精神異常者とされるものである。自分の命が危険にさらされている場合でさえ人を殺すということは本来かなり難しいことのようだ。
ベトナム戦争以降においては、アメリカ軍は兵士教育のプログラムを開発し、発泡率を90%以上に上げることに成功している。手短にいうと人を殺すのをためらわなくするために殺人の疑似体験を繰り返すのである。このような軍で用いられたプログラムに近いものが今日のテレビゲームや映画などでみられるといい、著者はそのへんを大変懸念している。
本書とは関係なくどうでもよいことだが、かって日本軍が玉砕するとき天皇陛下万歳と叫ぶことが決まりになっていたというが、なかには「おかあさん」と叫んでしんでいった若年兵も少なくなかったと聞く。極右なら天皇陛下万歳と言わないとはけしからんと言ったかもしれないし、日教組教員は心のなかでは全員「おかあさん」と叫んでいたのよと見てきたようなことを言っていた。本書の内容から推測するにおかあさんと叫んでほうがそれを射殺する敵兵士の士気を格段に下げるので戦術的なのだ。これはちょっとした逆説だ。
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現在読書中。
もう2010年の秋から読み始めたのだが、なかなか終わらない。
内容はなかなか興味深いものの、戦場での兵士の経験は、似たような引用がたびたび続き、読んでて疲れてくるのも、読み終わらない理由のひとつであったりする。
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「放置は助長につながる」。だからこそ、本書では攻撃を研究し、暴力を研究し、殺人を研究するのだ。
p.29 はじめに より
日本で普通に暮らしていて、戦争について考える機会、しかも戦争における殺人について考える機会はほとんどないだろう。
それでも現実に軍隊は存在しているし、そこでは生身の人間が働いている。
そのことを強烈に思い出させてくれる本。
ただ、後半ではアメリカの少年犯罪についての考察があるのだが、これは蛇足だろうと思うので☆4つ。
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戦争における人殺しの心理学は、此れまでタブーとされてきた、
戦闘における殺人をテーマにした本です。
戦争という、合法的に人を殺す事を目的とした行為に対する、兵士の心理的な抵抗感や
また、それを問題とした軍の開発した抵抗感の克服方法、
歴史的に例をみない大量殺人が行われてきたベトナム兵士が、戦士社会的に例外なく存在する、必要不可欠な浄めの儀式を社会に拒絶されたこと。
また自分自身の社会から拒絶された兵士の心理などが、バリバリの空挺レンジャーであり心理学者であるデーブ グロスマンによって書かれています。
すばらしい名著です。
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グロ注意。ご飯食べながら読んでいてはきそうになってしまいました。
なんで戦場だと人殺しができるのか?という疑問を小難しく書いていると思ったのですが以外に単純に淡々と買いていて途中まで拍子抜けしていたのですが、訳者も解説に書いているようにその単純さに恐怖を覚えてしまいます。
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ナチの強制収容所を生き延びたブルーノ・ベテルハイムは、人間が暴力に対処できない根本的な理由は、それに真っ向から直面するのを避けていることだ、と述べている。36
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捕虜は武器をもたず、無力で、自分の運命を不思議なほど落ち着いて受け入れている。人を殺す能力も責任もない捕虜には、降り注ぐ砲弾も爆弾も個人的な問題としてとらえる理由はなにひとつないからだ。121
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すぐれた指揮官の重要な特性は、とほうもなく深い井戸をもっていて、そこから忍耐力をくみ出すことのできる能力である。そしてまた、部下たちが彼の井戸から忍耐力をくみ出すのを許し、それによって部下を強化する能力である。160
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みずからの矛盾と偽善によって集団はたちまち弱体化し混乱する。魂は半分だけ売るというわけにはいかないのである。361
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膨大な量の資料や記録をまとめ、「人はなぜ人を殺せるのか」また同時に「人はなぜ人を殺せないのか」ということを研究した良書であり、戦争映画、文学に対しての見方を変えさせてくれる素晴らしい本。
筆者は「人が人を殺せない」という抵抗感が思っている以上にはるかに強く、その強力な抵抗感を克服させるためにいかに軍が指導してきたかを書いている。
特に人間を人間と認めないために軍は(戦争を肯定する社会も含め)ありとあらゆる手段を使っていた。
物理的な距離や心理的な距離、社会的な距離をとることにより様々な角度から敵を人間と認めないようにする努力が施されたことによって人は人を殺せるようになる。
そしてその心理的代償も非常に大きいと筆者は言っている。
多くの兵士が味方の死や戦場の爆発や轟音に耐えられるが、人を殺さなければならない状況には耐えられないという事実には改めて考えさせられる。
あと、映画とかで主人公に弾が当たらないのも、ある意味合理的だと思った。
戦争について理解する上で必要な本だと思う。
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死は常にそばにあるもの。生まれた時から。
家畜の屠殺や家族の埋葬を自宅で行っていた昔はその事が当然であったのに、近年、死は日常生活から遠ざけられ、まるで語ることすらタブーであるかのような存在になりがちである。私も普段関わろうとしない。だけど多くの命の犠牲の上に自分が成り立っているのはまぎれもない事実だ。自然に感謝しながら、命、生と死についても、臆さず向き合えるようにならなければ!と思う。
今回は、長らく自分が抱いてた疑問を解決しようと思い立ちこの本を読んだ。
抱いていた疑問とはこの本のタイトルそのもの。私は戦争において人が人を殺めるという行為そのものに疑問を持っていた。徹底的な訓練を受けてるとはいえ、一体どういう心理状態でそういう行為が成立するのか。いくら祖国のため、家族のためとはいえ、殺人を犯した人がどうして正気でいられるのか。
こういった疑問に対して、この本はある種単純明快な答えを用意してくれている。謎が解けると同時に人間の道徳心の強さを知るに至り、感動を覚える。
一般に広く知られている戦争のイメージ、私たちがよく見る戦争映画ですら、「無意識に歪曲された、事実と大きく異なるもの」である事をこの本は、誠実に説いている。大昔の戦から近代のものまで、あらゆる資料を用いて、人間の本当の強さを証明しようと試みている。
戦争がいかに愚かな行為であるか、人間がいかに崇高な生き物であるかを再認識する事ができる一冊でした。
この本がピューリッツァー賞にノミネートされておきながら落選しちゃった事を残念に思う。書かれてあった事実が更に多くの人に認知されますように。
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戦争体験者の証言や多くの著書を元に、戦争における「殺人」の心理が兵士の立場から記しまとめられており手に取って触れることのできる本。
殺人と戦闘の心的外傷の項目と殺人と物理的距離の項目は大変興味深く、理解を深める為に何度か読み返している。
ベトナムでの殺人の項目も参考になる。
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キーワード
・人間が本来備える殺人への抵抗感
・訓練による克服
・殺人のトラウマ
・物理的な距離による、ショックの吸収。
・相手の人間性の否定による、殺人の正当化
・実際のインタビュー資料に基づく、客観性。
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「科学に佇む一行読書心」で紹介されていた。ベトナム戦争のアメリカ兵がとても若かったというところが抜粋されていた
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群を抜いて興味深い本だった。表題や、カバーイラスト(血痕のような赤い模様が描かれている)のケレン味からあなどってはいけない。中身はかなり真面目で、一般にはよく知られていないリアルな事象を露出してくれる、希有で有益な書物である。
著者グロスマンは長年軍務についてきた経験豊かな軍人だが、心理学も学び、兵士のカウンセリングもやってきたらしい。その経験から、ここには実際に戦地で兵士が味わってきた体験と心理が、豊富なケースとしてたくさん引用されている。
戦争と死刑は、合法的・合倫理的に殺人を遂行するための超-正義的な装置である。この異常な状況は、人間にいかなる痕跡を残すのだろうか。
冒頭の方に記された意表を突く事実は、第二次大戦中の米軍において、陸上の生身同士での戦闘では、実に8割もの兵士が、「実際には相手に発砲できなかった」ということだ。
思想とか宗教とか抜きにしても、生理的次元で、人間は他者を殺すことに強い抵抗を覚える。たぶんこれはミラーニューロンが関係しているのだろう。
特に目の前にいる「敵」に対しては容易に殺人を遂行できない。一方、「遠くにいる敵」は比較的殺しやすい。とりわけ、戦車などで遠方を砲撃するのはたやすいらしい。相手の「顔」が見えないからだ。
しかし第二次大戦で発砲できなかった8割は、ベトナム戦争では逆に、発砲率9割へと転じる。これは「訓練」のたまものである。
この「訓練」は、「時計仕掛けのオレンジ」後半の洗脳技術とは正反対に、敵兵を非人間的なものと見なし、反射的に発砲する習慣を身につけることで、実地の暴力を可能にするというようなものだ。また、仲間集団と共に戦闘することで、兵士はある種の「匿名性」に包まれるので、殺人(あるいは残虐行為!)が容易になる。これは「条件付け」と呼ばれるが、パブロフの犬とおなじ仕組みである。兵士はパブロフの犬のように条件付けられ、戦地に送りこまれたわけだ。
ベトナム戦争では米兵は訓練の成果を発揮し、大量の殺人に成功する。しかしベトナムの特殊な状況から、民間人、とりわけ武装していない女性や子どもをも殺さざるをえないことになってしまう。
訓練したとはいえ、現実に殺人をおこなうことは、人間に特異な反応をもたらす。はじめは「多幸感」につつまれる場合もあるが、ごく少数の「異常者」を除いて、多くの者は事後に激しい後悔に襲われる。結果、ベトナム戦争の帰還兵の多くがPTSDに苦しむはめになるが、おまけに、帰還した兵を当時のアメリカ国民は「嬰児殺し」などと批判し、冷遇した。これでは帰還兵がみんな精神疾患におちいっても当然である。
現在の戦争はむしろ夜に戦闘が行われるという。兵士は赤外線スコープのようなものを装着して闘う。これにより、敵は「人間らしく」見えないので、ビデオゲームを楽しむかのように相手を殺戮できるのだという。「殺人を容易にする」ためのテクノロジーは、このようにどんどん進歩しているようだ。
そして、反射的に殺人を遂行するための訓練設備と同様のものが、いまやゲームセンターにも存在するし、テレビ番組や映画をとおして、「殺人を容易にする」ための心理的条件付けが、ひろく若い世代にほどこされている、と著者は指摘している。
実際の「戦場」が映画とはいかに異なるかということを知り、現実の「殺人」とは何か、他者と殺し合う人間とは何か、戦争とは何か、といった根源的な問いをなげかけてくれる本書は、最大限に興味深い。これは戦争や殺人について知りたい多くの人が、できるだけ読んでおいたほうが良い書物である。
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戦争とは国家が人殺しを命令することだ。他者の命を奪うことが最大の罪であるならば、それ以下の罪――強姦・傷害・窃盗など――は容易に行われることだろう。しかも現代科学は瞬時の大量殺戮を可能にした。
http://sessendo.blogspot.jp/2014/02/blog-post_9805.html