二人の末路に喝采
2019/01/26 22:03
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投稿者:ふみちゃん - この投稿者のレビュー一覧を見る
強烈に自意識過剰で鼻持ちならないメルトイユ夫人とヴァラモン子爵、この二人を20年前以上前に公開された映画ではグレンクローズとジョンマルコビッチが演じていた。二人のきれっきれの演技で、さらにこの夫人と子爵に対しての憎しみも増したものだ。この原作は書簡形式になっていて、さらにこの二人の「男(女)なんて、この私にかかってしまえばちょろいもの」という思い上がり、自惚れが増していく。それだけに、よけいにヴァラモンとメルトイユの悲惨な結末には納得。
書簡体小説の古典
2017/03/12 08:35
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投稿者:H2A - この投稿者のレビュー一覧を見る
文学史上では「一発屋」が結構多いが、ラクロはその最右翼。生粋の軍人で他にも著作はあるがどれもほとんど読まれていない。この『危険な関係』はそんなラクロ畢生の傑作。人物どうしの手紙のやりとりだけで話が進み、爛熟したパリ社交界の退廃したモラルが浮き彫りになる構図。表現は上品でまわりくどいが優雅、内容は非情そのもの。読むのはちょっと疲れるが、いつの間にか引き込まれる。
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貴族のどうしようもない色事も、これだけ真剣に考え抜いてのことなら、
なんだか納得させられてしまう。
一番色っぽい部屋着・・・、気になるなあ。
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恋愛心理小説の傑作。書簡体で織り成される主人公たちの心理戦。プレイボーイの子爵の巧妙な駆け引きと彼や主人公たちのしたためる手紙の書面には現れない深層心理を読み解く面白さがある。ただ個人的には書簡体という独特な形式はまどろっこしく読みづらいと感じた。
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書簡体小説が読みたくて購入。スタンダールの『赤と黒』に通じる、心理を細かく描写してストーリーが展開していくフランス文学。話が進むのに時間がかかるのと、登場人物があまりに歪んでるので、一時読むのに苦戦したが、綿密に仕掛けがされた小説で、後半は一気に読んだ。しかし昔の貴族は色恋しかすることがなかったのだろうか。何か仕事をする描写が全くなくて不思議。
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昼ドラのようなドロドロした筋書きと、書簡体ならではの心理吐露(無意識的に自己防衛に走る様子)が目まぐるしい小説。
(2015.8)
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オール書簡体。
マリー・アントワネットも読んでいたそうな??
18世紀フランス上流階級のラブアフェア暴露もの、
ってとこでしょーか。
手練手管の応酬の応酬の応酬・・・
やったら遠まわしな表現が多くて読み飛ばせないっ〜!
少なくても21世紀日本の婚活には
全く役に立ちませんな ^^;;
有産階級ってお気楽よねえ。
安吾も読んでます ^^/
思想なき眼――「危険な関係」に寄せて――
http://www.aozora.gr.jp/cards/001095/files/42878_27502.html
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なんというメロドラマ…。
先にヅカ(花のみりゆき版)の「仮面のロマネスク」を観ていたために脳内で登場人物たちをスターさんたちで想像してしまい、ラストにかけての展開でめちゃ辛くなった。特にメルトゥイユ侯爵夫人への仕打ちが容赦ない。
ヴァルモン子爵とメルトゥイユ公爵夫人ははたぶん今でいうサイコパスの悪人。柴田先生はよくこれをあんなロマンチックな物語に仕上げたな…というかヅカでやろうと思ったな、と感心するなどした。
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(あらすじ)
プレイボールとして浮名が立っているヴァルモン子爵宛にメルトルイユ侯爵夫人からのある提案が書かれた手紙から物語は始まる。ある男が最近修道院を出たばかりの若い娘と婚約した。その男に夫人は恨みを持っていて、その婚約者を誘惑してほしいというものだった。
ヴァルモンは目下貞淑なツールヴェル法院長夫人を落とす事にやっきななっているので、それどころではないと一旦は断る。しかし法院長夫人との事がなかなか進展しないのとメルトルイユ夫人にそそのかされ、かの少女セシルと恋人ダンスニーの相談に乗るように見せかけて、彼女を騙して自分のものにする。
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全編誰かが誰かに宛てた手紙で構成されている。手紙というのはある特定の人にだけ向けた情報発信、現代で例えるならダイレクトメッセージにあたる。それだけに「ここだけの話」が描かれていて、それが書簡小説の面白さなんだと思う。
ただ…「恋が全て」みたいな若い頃に読んだら面白かったかもしれないけど、いい年したおばさんが読むと…かったるい
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18世紀の仏文学。軍人!だったラクロの作品。300年前、人間の筆力や言語能力は今以上だったか。金や物的欲望にまみれた話ではないからこそ、かえって、精神的欲望と人間の性に底知れない闇を見る思いがする。
人間とはなんと優れて、そして愚かしいことか。200年前には、同じフランスで、彗星のようにガロアが現れた。ガロアと群論の出現は、奇跡だろう。(私は数学が大好きなのだ。)
いくら知性が進んでも、人間の情念は何百年前と変わらないということだ。自らを振り返り、身を弁え、分相応であるべきとはよく言ったものだが、愚かさがわかっていない人間が力を得て、あたかも偉人のように見なされる現代に行き着いたのは不思議でならない。
結局のところ、内省を含めて感情教育が実を結ばなかったということか?ラクロが現代を見たら、アンタ達は何のために生きてきたのか、生きているのかときっと問うだろうなぁ。答えられないね。