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夜のピクニック みんなのレビュー

第26回吉川英治文学新人賞 受賞作品 第2回全国書店員が選んだいちばん!売りたい本本屋大賞 受賞作品

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みんなのレビュー759件

みんなの評価4.2

評価内訳

759 件中 16 件~ 30 件を表示

紙の本

歩く、歩く、歩く……いつか、読み手も一緒になって。

2004/10/16 00:33

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:山村まひろ - この投稿者のレビュー一覧を見る

 みんなで、夜歩く。たったそれだけのことなのにね。
 どうして、それだけのことが、こんなに特別なんだろうね。 

 甲田貴子と西脇融(とおる)は、異母きょうだい。遠く離れて暮らしていたはずの2人は、同じ高校に入学し、3年で同じクラスになってしまう。 
 
 北高では、修学旅行代わりの鍛錬歩行祭が毎年ある。
 1200人の全校生徒が、80キロの行程を朝の8時から翌朝の8時まで、夜中に数時間の仮眠をはさんで、一日がかりで歩きとおすというものだ。
 前半はクラス毎に、そして後半は自由歩行になっているため、仲の良い者どうしで語らいながら、高校時代の思い出創りに励む。

 今年も、また夜間歩行の日がやってきた。
 貴子と融にとって、高校生活最後の夜間歩行。
 きょうだいがいると知って嬉しかったという貴子。一方、悪びれもせず、好き勝手している甲田母娘に憎しみを覚える融。
 同じクラスになりながら、ひとことも言葉を交わしたことがない2人は、行き違う心を抱えたまま、何も知らないクラスメートたちに囲まれて、歩く。歩く。歩く。

 静かで落ち着いている戸田忍。
 老舗の和菓子屋の娘で和風美人の遊佐美和子。
 クリティカルな毒舌女、後藤梨香。
 ひょうひょうとした梶谷千秋。
 お調子者の高見光一郎。
 融にアタック中の内堀亮子。
 そして、半年前両親とともにアメリカへ渡ったため、歩行祭に参加できなかった榊杏奈。

 歩き続けるクラスメートたちを、ただただ丁寧に描いた物語。
 「いまどきの高校生」という言葉がもたらすイメージとは違う、ある意味、古いタイプの十代の雰囲気が、なんだかせつなくて、読んでいると胸がいっぱいになる。
 私にもあったっけか…こんな学生生活?

 いつの間にか、登場人物のひとりになって、一緒に歩いている気分になってくる。
 足にマメをつくり、片足をひきずりながら…。

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紙の本

人生も長〜い“ピクニック”のようだ。少しでもリラックスして乗り切るお供に恩田作品って最適かもしれない。

2004/09/30 20:14

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:トラキチ - この投稿者のレビュー一覧を見る

やっぱり恩田陸は凄かった。
近年、いろんなジャンルの作品を書いて、ますます成長振りを読者に披露してくれている恩田さんであるが、ズバリ本作のような青春小説が一番彼女によく似合う。
並の作家であればただ単にああ懐かしいなあと思うだけかもしれない。
しかしながら恩田陸が描くと1ランク上の世界に読者を引きずり込んでくれる。
読者も自分の実年齢を忘れて読み耽る必要があるのである(笑)
物語はいたって単純である。高校生活最後の一大イベント“歩行祭”…たった一晩だけの話である。高校生の男女の主人公2人を機軸として展開している。
主人公の名は融と貴子。
ところがこの2人がとっても読者のハートを射止めてくれるのであるから恐れ入ったものだ。
2人の関係は異母兄弟にあたる。それも同じ年である。
とっても繊細で多感な時期に直面している2人。
はたしてお互いの気持ちは分かり合えるのであろうか…

人間って“年を取る事だけが平等かな”と思うときもある。
でも恩田さんの作品を読めば本当に読者が主人公(男性読者であれば融、女性読者であれば貴子)になりきれるから凄いものだ。
凄く貴重な体験をさせてもらった。

あの頃が懐かしいとかそういうレベルではなく、まさしくというか年甲斐もなく理想の少年像(少女像)を主人公の2人に見出している自分がいるのである。
融(貴子)の足が痛めば自分の足が痛んだかのごとく感じられるのである。
きっと主人公2人に年甲斐もなく教えられる点がかなり多かったと思うのは私だけであろうか。

歩行祭が終わる。
マラソンの授業も、お揃いのハチマキも、マメだらけの足も、海の日没も、缶コーヒーでの乾杯も、草もちも、梨香のお芝居も、千秋の片思いも、誰かの従姉妹も、別れちゃった美和子も、忍の誤解も、融の視線も、何もかもみんな過去のこと。
何かが終わる。みんな終わる。
頭の中で、ぐるぐるいろんな場面がいっぱい回っているが、混乱して言葉にならない。
だけど、と貴子は呟く。
何かの終わりは、いつだって何かの始まりなのだ。


本作を読めば否応なしに“あの頃の彼(彼女)はどうしてるのだろう?”“元気でやってるのかな?”と遠い自分の過去を振り返ってしまう。
自分の学生時代の友達を忍や美和子に見出してる方もいらっしゃるだろう。

いずれにしても、真っ直ぐに物事を捉えて見据えることの重要さを教えてくれたな。
恩田さんに感謝したく思う。

彼女の作品はある時は湿布薬の役目もある時は缶コーヒーの役目も出来る事請け合いであろう…

トラキチのブックレビュー

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紙の本

自覚してファンタジーに参加する、ということ

2004/09/13 18:34

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:UMI - この投稿者のレビュー一覧を見る

「絵のように美しい景色」も「栗のように美味しいカボチャ」も、いつも下らない例え方だな、と思っていた。どっちも美しいし、どっちも美味しいのに、なぜわざわざ他のものに例えられなければならないのだろう。何かに例えてわかったような気になるのは人の悪い癖だろうと思う。だからこの作品を読んで、『黒と茶の幻想』だな、と思った自分は少し下らない人間のように思えた。

 朝の八時から翌朝の朝八時まで歩き続けるという高校行事「夜間歩行祭」が、今回の舞台である。同じクラスになってしまった異母兄弟を軸に、物語は進んでいく。大きな事件が起こるわけではないが、歩くリズムと会話のリズムが心地よく、すいすいと読んでしまう。スパイスとして、ちょっとしたホラーとちょっとしたミステリーが加わっているあたりも恩田陸らしい。

 ただ歩くだけの行事なのに、彼らは「修学旅行よりいい」と言う。それは、夜になって隣で歩く親友の顔も見えなくなったときに、普段は言えないことも言えるという魔法がかかるからじゃないかと思う。本当はみんな、本音を語る機会をじっと待っている。今だから言っちゃうけどね、と口を開く機会を狙っている。
 大人には高校生活そのものがすでにファンタジーになってしまっているけれども、その中のイベントはさらにファンタジー色を強める。彼らはそれを自覚しながら非日常の世界を自分の足で歩いていく。昼と夜との境を、大人と子供の境目を、危ういバランスで彼らは歩く。
 
 ただ歩くだけの行事で、どうしてここまで高校生の頼りない清々しさを見事に描ききってしまえるのだろう。たった一晩の出来事を描くだけで、読む者の心をこんなにも簡単に過去へ連れ出してくれるというのは、一体どういうことなのだろう。
 恩田陸に限っては、例えるものがまるで思い浮かばない。

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紙の本

最後の…

2004/09/01 21:34

3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:ナカムラマサル - この投稿者のレビュー一覧を見る

北高の恒例行事「歩行祭」とは、朝の8時から翌朝の8時まで歩く、という体力の限界に挑戦するかのような行事。
最後の歩行祭に臨む三年生を中心に、この物語は進められる。

歩行祭の最中、生徒達はいろいろなことを考える。
何かしら「最後の○○」を経験したことのある人なら(もしくは「最後の春休み」という曲に涙したことのある人なら)、彼らの気持ちが痛いほど分かるだろう。
たとえば、「当たり前のようにやっていたことが、ある日を境に当たり前でなくなる。こんなふうにして、二度としない行為や、二度と足を踏み入れない場所が、いつのまにか自分の後ろに積み重なっていくのだ」−この考えに人生の縮図を感じたり、
「これからどれだけ『一生に一度』を繰り返していくのだろう。いったいどれだけ、二度と会うことのない人に出会うのだろう。なんだか空恐ろしい感じがした」−この思いに、大人になる前の不安を思い出したり…
彼らと自分の過去を重ねると、せつなさとか寂しさとかいったものの波に打ちのめされそうになる。
だが、「何かの終わりは、いつだって何かの始まり」という作者の思想が、読む者にそっと手をさしのべてくれる。荒波から救い出してくれるのだ。

人は、自分の今いる場所が愛しければ愛しいほど、このままでいたい、と思うものだ。
だが、生きている以上、一つの場所にずっと留まっていることは不可能だ。
「時間」という大きな力の前の無力な自分に気づいて、途方に暮れた迷子のように立ち尽くしたくなることもある。
そんなふうに自分を見失いそうになった時、何ができるか。
それは、ただただ「今」を感じて生きること。
今、見える景色、聞こえる音、感じる温度、手に触れた感触、胸に宿った思いを。
永遠と思える一瞬一瞬を確実に心の中に残していけるとしたら、変化していくことは悪いことじゃない。

「今は今なんだ。今を未来のためだけに使うべきじゃない」−このことに気づいた者だけが、世界の広さ、眩しさを感じることができる。
美しい生き方をこの本から教わった。

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紙の本

何故こんなに書けるのか?

2004/08/30 00:48

2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:yama-a - この投稿者のレビュー一覧を見る

 この本は到底僕には書けない。いや、読後感の話であって実際の話ではない。本を読んでも別に「この本は僕には書けない」と思わないケースも多いのだけれど、じゃあそういう本なら自分にも書けるかと言うと多分書けない。しかし、世の中にはそういう自問自答をすっとばして、いきなり「僕には到底書けない」と思わせる本がある。『未知との遭遇』で初めてスティーヴン・スピルバーグを知った時もそうだったが、あまりにレベルの高いものに出会うと、感動したり共感したりするのと同時に深い絶望感を味わうものだ。「僕はこいつには到底敵わない」という絶望感! この本はそれを与えてくれた。
 群像劇、と言うか主人公がグループの形で登場する構成は『黒と茶の幻想』を思い出させるが、『黒と…』のほうは社会人でこちらは高校生の物語であるだけに、こちらのほうが軽く明るく甘く切ない。そう、これは正調青春小説なのである。
 舞台はある高校の「歩行祭」。年に1回開催される、ただ歩くというだけのイベント。歩くったって朝からほとんど休みなく翌朝まで何十キロも。スタートとゴールはともに高校のグラウンドである。
 話はただその模様を描写しているだけ。しかし、風景の織り込み方、小道具の使い方がいつも通り驚異的に巧い。最初に建てたであろう設定が非常にしっかりしていて自然にストーリーが展開する。ミステリーでもないので別段何も起こらないが、いつも通りの思わせぶりを散りばめて、話はミステリックにうねって進む。文章が巧いし台詞回しも自然なので、読むものを疲れさせず一気に読める。
 ──なんてのは読み終わってからの分析。読んでいる時はただそこにどっぷりと浸かっていて、いつしか高校生に戻った自分がいた。年中行事があって受験があって出会いと別れがあって恋がある。高校生の思い出作りの話なんてと言いたいところだが、不覚にも自分の青かった時代が甘く切なく甦ってくる。
 この単純な枠組みでなんでこんなストーリーが展開できるのか? 何故こんなに書けるのか? こんなに巧い作家には滅多に会えるものではない。

by yama-a 賢い言葉のWeb

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紙の本

みんなで、夜歩く。たったそれだけのことなのにどうしてこんなに面白いんだろう

2004/08/17 14:44

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:つきこ - この投稿者のレビュー一覧を見る

夜を徹して八十キロを歩き通すという、高校生活最後の一大イベント「歩行祭」。本書はその一夜に起こる出来ごとの物語。
『みんなで、夜歩く。どうして、それだけのことがこんなに特別なんだろうね』とは登場人物の一人のセリフだが、面白いにきまってんじゃん!! たくさんの同世代、しかもお年頃の男女が一緒に一晩過ごす!
そんな三十路を過ぎた女から見て楽し過ぎるシュチエーションに加え、過去に泣くほど辛いマラソン大会や遠泳大会の記憶を持つ人はあんな過酷な体験も、しといてよかったーと初めて思えるかもしれません。
高校生達のディティールがいいんですよ。また。誰と一緒に歩くとか、この際の告白タイムとか、保護者の炊き出し(?)のシーンとか。
そうそう、こんなことあったよね、とか。こういう奴いたよな、とか忘れていたような自身の記憶をオーバーラップさせながら読む。
もちろん、恩田陸のことですからノスタルジーを刺激するだけでなくちゃんと物語としての面白さも用意しています。
小出しにされる謎その1、謎その2、読み進むと最後にはあっ!という驚きが。こんなのありっ!?
「六番目の小夜子」のあのシーンにドキドキした人ならきっと楽しめます。
ただ歩くだけの話と馬鹿にしてはいけない。どうせノスタルジーなんでしょ、と斜に構えてもいけない。活字でこれだけのドキドキを体感させてくれるなんてめったにない経験です。あー読書って楽しいーと読み終わって心からそう思える本です。

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著者コメント

2004/07/13 18:42

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:恩田陸 - この投稿者のレビュー一覧を見る

早いもので、来年でデビューして15年になります。この小説は、かなり前から考えていたもので、私の中では『六番目の小夜子』『球形の季節』に続く高校三部作の三作目になる予定でしたが、書き始めるまでにこんなに時間が経ってしまいました。今回は、ホラーでもミステリでもないのですが、長さの割に一息で読める話になっていると思いますので是非お手に取ってみてください。作者自身、これまでになくリラックスして書きました。私の母校の行事をモデルにしたのですが、書いていて当時のことを生々しく思い出したのに驚きました。書き終わった本人も後味のよい、とても気に入っている話です。どうか皆様にも楽しんでいただけますように。

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2004/09/23 02:01

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2004/09/29 00:44

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2004/10/05 16:38

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2004/10/06 00:33

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2004/10/12 17:31

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2004/10/14 00:03

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