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鉄道に乗ることが目的という旅。そんな旅は今はもう出来ないんだろうな。スピードが速いと味わえない楽しみがある。
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岡山市出身の先生は、東京へ出てからも度々帰省していたようだ。
阿呆列車には宇野線が登場する。
宇野線は岡山と四国連絡の宇野桟橋を結ぶ総延長30キロ余りの支線だが、昭和の後半には四国連絡の役目を担い相当に栄えた。東京直通の寝台列車、大阪からの特急、急行列車が頻繁に出入りし、しかも多くの列車には展望車、1等車、食堂車等、まだ小さかった僕には立ち入ることすらままならない雲の上の車両が連結されていた。
百鬼園先生が訪れた宇野線は、まだそのような栄華に至る前の盲腸線だったようである。盲腸線ゆえ先生の好きなオサケは出る幕もなく、淡々とした短時間の乗車である。
現在の宇野線は瀬戸大橋の完成に伴う宇高連絡船の廃止によりもとの盲腸線に戻っている。
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第三弾まであったんだ!といそいそと買って参りました。
百?先生のああした、こうした、と言う話を周りに大分触れて回っているので周囲は大分辟易してきたご様子。でも面白いんだもの〜 百?先生は呼び捨てではなく、お名前を言うときは『百?先生』、とまるで知っているかのように語っております。
まず表紙。この見事に曲がったへの字口。今時(の人ではないですが)子供でもこんな仏頂面はしないと思われます。ここからして、ああ、と苦笑を誘うのです。
自分は貧乏性で人間が卑しいので旅に出るとか言うとあれもコレも見て回りたい、著名な史跡、風光明媚な景観はなるたけ見て帰りたい、なんて思う人間でして。
百?先生のようにただ宿屋で贅沢に何もしない時間を費やしてみたり、名所に行かずそこいらに生えている植物を見て色々思ったり、そういう贅沢な時間を使えずに居るのです。いつかはやってみたいけれども年々せっかちになっていく気がするので夢の又夢、と言う気もしないではありません。
とりあえず犬房崎、は勉強になりました。銚子のはずれだから犬吠崎、か。趣があるではありませんか。
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http://blog.livedoor.jp/masahino123/archives/65138828.html
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内田百閒の阿房列車のシリーズはこれが最後です。
「第三阿房列車」には「長崎阿房列車」「房総阿房列車」「四国阿房列車」「松江阿房列車」「興津阿房列車」「不知火阿房列車」が掲載されています。
四国阿房列車では、風邪をひいて高熱を出し「なまけるにも体力が必要」だという真理を発見した内田百閒・・アルプス山系君との迷コンビで、汽車に乗ってはあっちへこっちへ・・我が侭で偏屈で、結構気を使っているくせに気を使うのが下手な愛すべき老人です。
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百閒先生の狐や猿の話を読んで、晩年の父が話していた「クイズに正解しないと料理が食べられないレストラン」を思い出した。そんなことを考えながら夜中に読み終えたせいか、久しぶりに眠りが浅かった。
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第二阿房列車の解説を高橋義孝先生が書かれておりました。
初版時の昭和30年の解説です。
その高橋義孝先生は『随筆内田百閒』の中で、次のように百閒さんを評していると、山口瞳先生は『内田百閒小論』の中に残しています。
「けだし先生は頭が少しわるかいらである」
「つまり頭のはたらきが常人より少しのろいのである」
ここだけを引用すると誤解をまねくかも知れませぬが、正に百閒さん(或いはその著作)を言い得ていると思います。
芸術院会員に推され、それを辞退するときに「イヤダカラ、イヤダ」と仰ったとされる百閒さん、その偏屈爺ぶりが本作にもいかんなく発揮され、第一、第二に続き楽しく読めました。
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2016.10 本棚整理のため第一阿房列車から第三阿房列車まで再読。
時代を越えて愛される列車紀行エッセイ。百閒先生の軽妙洒脱な文章からガタンゴトンと線路の楽しいリズムを感じるよう。どうしても続けて3巻読んでしまう形になるので慣れもあってか、第一☆4.5、第二☆3.5、第三☆3くらいの評価。10年に一度は読みたい名作。 (レビューは1~3巻共通)
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ご存じ百閒先生の「旅をするための旅」「列車に乗るための旅」も,本巻で終わりを迎えるのである.第一の頃は何しに付いてきているのかサッパリわからなかったヒマラヤ山系さんも段々キャラが立ってきたが,若干マンネリの感もあり.第二が一番良かったかな?
旅先で出会う予定の古い知り合いについて,「一緒に行ってご案内するなぞと云い出されては,事が複雑になる.旅先でどこかへ出掛けるには,人に黙っているに限る.」あいかわらず,この人は,僕の生まれ変わりではないかと思ってしまう(逆か).
旅館で飲み過ぎた次の朝,「寝不足と宿酔の為に,体を動かすのも気持ちが悪い.だからじっとしている.何の因果でこんな目を見なければならないのかと思う.用もない旅に出掛けてきて,....(以下略)」 そりゃ,用もないのに旅に出て,夜中3時まで騒ぐからですって!
そういえば,東京日記の「長春香」はフィクション風小説だと思い込んでいたが,実話であるらしいことが本書の中で言及されている.
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シリーズ三作目、別の本を途中で読んだので、少々読了に時間が掛った、この種の本は、どこで止めても、また、そこから読んでも、少ないページでも、OKなのが嬉しい。現在のように全てが(早く)、が一番ではなく、
ゆっくりと時間が掛っても、自分の心が感じるままに、が羨ましく感じる、
百間先生相変わらずの巻き、でした。
(時代は、昭和29年~30年)
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内田百閒先生は旅が好きなのではなくて、列車が好きな人なんだなあとつくづく思う。今でいう鉄道オタクではなく、ただ好きなだけのようだ。旅行に行くのが目的ではなく列車に乗るのが目的のように感じる。しかし、そんな詮索も百間先生からしたら面倒くさいものだろう。一度でいいからこのような旅を私もしてみたい。あてもなくぷらぷらと。
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百閒先生のこの絵に描いたようなへの字口と、いかにも偏屈そうなしかめっ面が好きなんだよなぁ。
この顔まんまのテンションで、こんなにとぼけた作品を書くとは。
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目的地に用もなく、ただ単に列車に乗るということをくり返す、作者:内田百聞。列車が手段でなく、目的と化している。これは飛行機マイル修行を行っている身としては、十分共感できる。
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阿房列車もとうとう最終列車が出た。この後、百けん先生は何度か鉄道旅行をしているらしいのだが、それが阿房列車シリーズにまとめられることはなく、晩年は身体が衰えて列車での長旅ができなくなったため、結果的にこの第三阿房列車が最終列車となってしまった。まさに「なまけるには体力が必要」であったわけだ。しかし、その遺志は阿川弘之、最近では酒井順子に受け継がれ、今日に至るも阿房列車を走らせる輩は後を断たない。
もともと阿房列車の楽しみは卒意の面白さというか不作意の妙といったところにあった(もっとも、同乗したヒマラヤ山系氏が後に書き記したところによると、当初よりかなりの部分がフィクションだったようだが)のだが、第三阿房列車では「菅田庵の狐」や「列車寝台の猿」などやや "狙った" 作編も含まれている。まあ、それはそれで独特の恐怖感があり、楽しめる。
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底本1956年刊行、初出1954~55年。房総半島、長崎、四国、山陰松江、宮崎経由の八代等の紀行文である。新幹線はもとより電車特急こだますらない時代なので、へえーっということが多かったが、鉄道旅行を叙景的に記すというよりは、著者の内心に目が向けられることが多く、紀行文とはやや異質な趣き。もっとも、長崎行きの寝台急行に26時間ほど揺られたり、食堂車連結が進んだ時代の利用者像、九州の八代に日豊本線経由で向かう際、宮崎に一泊する等、戦後10年くらいの時代感覚が蘇ってくる。