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これを紀行文と言ってしまってよいのか?「津軽」に対する著者の思索記録なのでは
2015/11/30 08:37
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投稿者:大阪の北国ファン - この投稿者のレビュー一覧を見る
皆様のレビュー・書評を読み、また司馬遼太郎の『北のまほろば』にも何度も採り上げられていたので、「津軽の素晴らしい風物を地元出身の文豪の眼を通して感じたい」との思いで読み始めましたが、期待は見事に裏切られました。これは著者の深い「津軽」に対する思索を、身の回りからスタートし、そして津軽全体に広げていこうとする意思が感じられる書でした。時に明るい風景描写があっても、心のどこかに抑圧された重圧感を感じているという「晴れない心の風景」が投射されていきます。作家としての自分に対する劣等感も感じさせます。一方で、先人の書の「東北・北海道の蝦夷は未開人・野蛮人」という類の描写が何度か引用されていますが、明治から大正・昭和初期にかけての普通の日本人が周辺民族を蔑視していた(少なくとも同じ目線の高さで対等とは評価していなかった)ことがよくわかるとともに、この裏返しに近い感覚で「都会からみた津軽」に対して著者がある種の劣等感を持っていたこともよくわかりました。著者がどんな人物だったのかを考えずに読みはじめた自分の無知を反省するとともに、著者の人間形成の足跡をもっと知りたいと思った一冊でした。
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らしさを感じさせる紀行文
2000/11/20 00:44
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投稿者:katokt - この投稿者のレビュー一覧を見る
後書きでは太宰の作品でどれか一つを選ぶなら、この「津軽」だっていってるんだけど、正気? いや別に悪い作品だとは思わないけど、いくら後書きでもそれは書きすぎってもんでしょう。たしかに随所にいいところは見うけられるけど。例えばラストの「私は虚飾を行わなかった。読者をだましはしなかった。さらば読者よ、命あればまた他日。元気で行こう。絶望するな。では、失敬。」なんかはよく感じが出てると思う。
でも、やっぱりおもいっきり優雅な虚飾の『斜陽』でも『人間失格』でも読んでください。
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普通の、小説家ではない太宰治さんの文章といった感じがしました。卵と味噌の料理など、青森県民にとっては、「分かる分かる」と思える部分が多いのではないでしょうか?
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よし、私も、蟹田で蟹を食べて、竜飛岬に行って、この本のとおりに太宰の旅をなぞって、金木の斜陽館にも行っちゃうもんねと、津軽に行くのがささやかな今の夢でありんす。
ラストがすごくいい。ああいう鮮やかな言葉で終わらせるところは、まさに太宰の真骨頂という感じ。
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『津軽』は、もう少し太宰作品を読んでから手をつけるべきだったなって少しだけ後悔。著作を読み尽くすほどの好きな作家になっていたら、もっと楽しく読めたんだろうな。生憎あたしはまだ太宰作品初心者だから(涙)
津軽の歴史についてかかれてあったことはほぼ忘れちゃったけど、でも新鮮でなかなか面白かった。
終わり方が良かったと思う!
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太宰治が故郷について書いたもの。最初はなんだか退屈だったが、次第に作者の内面に迫っていって興味深い。これまでの鬱屈したイメージとは一味違って生身の作者に近づいたような印象。
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津軽の地理と、雪国の気候にめっきり明るくないので、太宰さんの読んでて初めて苦しい!と思った作品。地理と歴史の描写以外は、どれも楽しく嬉しく読めたんだけどなぁ。でもラストがやっぱり太宰だ!という感じで、爽やかで感動したので★5つです。なんだかんだ言いましたが、これよんで津軽に行きたくなった。今でもこの景色は残ってるのかなぁ。
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太宰治が故郷の青森を旅する話。津軽にまつわる歴史や、友人・親戚、そして自分を育ててくれた、たけとの再会など。
今まで、太宰治=暗い・・・というイメージを持っていた。が、この本ではそういった暗さはあまりなく、太宰の生き生きとした感じが伝わってきた。こんな明るい一面もあったのかと、新鮮な驚きを与えてくれた一冊。それにしても、文中に「国防上重要なため、これ以上の記述を控える」っていうのが時代を感じさせる。(2004/2月頃読了)
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2006. 10月頃
つらつらつらつらと独りよがりのお国自慢か。そんなものは本当の太宰狂いか青森県民しか興味はないのだ。しかし最後の最後でまさかまさかの急展開。僕は不覚にもちょっと泣いてしまった。
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太宰作品と青森の津軽地方についてある程度の知識を得てから読むと良いかも。
前半は地理的描写が多く、なかなか頭にイメージが湧かなかった。ページが進むにつれて内面描写へと移行していく。
最後の育ての親に会いに行く場面は胸に来た。
太宰の思考回路は、卑屈で気弱でいやらしく見える。しかし、それは確実に自分をも映す鏡である。
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「金木は、私の生れた町である。津軽平野のほぼ中央に位し、人口五、六千の、これという特徴もないが、どこやら都会ふうにちょっと気取った町である。善く言えば、水のように淡泊であり、悪く言えば、底の浅い見栄坊の町という事になっているようである。」
斜陽館は 津軽の大地主で太宰治の父、津島源右衛門が建築した入母屋造りの建物で、明治40年6月に落成。米蔵にいたるまで日本三大美林のヒバを使い、階下11室278坪、2階8室116坪、付属建物や泉水を配した庭園など合わせて宅地約680坪の豪邸。
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実はあまり太宰が好きではないのだけれど、これは好きで楽しく読める。ただ時折彼が暗い、どうしようもないものを見つめているところがあって、そこが今はまともに読めない。だましていないわけはない。最初からそのつもりでいるのがはらただしい。
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安心して穏やかな気持ちで読める。
若い頃って、両親とか故郷とか、そういう生まれついてのものを格好悪く思ってしまいがちやね。
終盤、言葉が上手く出てこないほど感動。
・・・にしても「貴公子」だの「羽織」だのにまで注釈をつけたのは誰や!?
そんなんやから注釈だけで40Pも使う羽目になるねん!
読みにくーてしゃーなかったわ!
08.10.14
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津軽を読む際には青森や津軽の地理を頭に入れたほうが良いとよく聞きますが僕はそのあたり頭に入っているのですんなり読むことができました。1読目はただの紀行文かと思ったが、2読するにつれたけとの再会シーンがあっさりと描かれていることに妙に感動というかなんというか、読めば読むほどです。太宰文学の中では一番大衆に支持されやすいと思ふ。津軽人の僕にとってはたまらない一冊。
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生きるために、生活するために筆をとる。
津軽風土記の執筆を依頼されて3週間故郷津軽を旅する。
クライマックスは最後に育ての親、タケに会いに行くところ。
「大人とは、裏切られた青年の姿である」
「一生、だめかも知れない。ひびのはいた茶碗は、どう仕様も無い。
どうしたって、もとのとおりにはならない。
津軽人は特に、心のひびを忘れない種族である。」
「津軽の人よ、顔を挙げて笑えよ。
ルネッサンス直前の鬱勃たる台頭力をこの地に認めると断言してはばからぬ人さえあったではないか。
日本の文華が小さく完成して行きづまっている時、
この津軽地方の大きい未完成が、どれだけ日本の希望になっているか、一夜しずかに考えて、
などというとすぐ、それそれそんなに不自然に肩を張る。
人からおだてられて得た自信なんてなんいもならない。
知らん振りして、信じて、しばらく努力を続けて行こうではないか。」
優しさと繊細さで溢れた太宰を知れる一冊。
これを知って『人間失格』や『斜陽』を読んだらまた違ったかもしれぬ。
更にこの作品の終わり方がたまらない。
「さらば読者よ、命あらばまた他日。
元気で行こう。絶望するな。では、失敬。」