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尽きることのない愛情でグリュウを包むマノン。
二人の間にあったものは、まさに「不謹慎と軽率」だ。
自分に非があると知っていながら、男を運命の歯車に巻き込むのは悪女そのもの。そんな悪女に自らの人生を持って抗えなかった弱き男性の物語。
恋とは大きな水槽に飛び込むようなものなのかしら。
溺れると分かっていながら、自ら全力で回転しながらで飛び込んでいく姿を見た。
グリュウもさ、自分の悲惨な運命を恋のせいにしちゃっている点でどうかと思ったけど。破れかぶれの姿を美しいと思うか、粋ではないと見るかは人それぞれかしら。もうここまで行くと滑稽というか手に負えないなと思ってしまう。
「或る女」が女性目線なのに対して、「マノン・レスコー」は男性目線なのが面白い。どちらも、女性「性」をうまく描いていると思う。
・自分が相手の愛に値しないのではないかという感情
・チベルジュとグリュウの相反する理性と感性のコントラスト
・フランスとアメリカの対比
とか、そういうのが気になった。
にしても、後半30ページの悲劇っぷりはやばい。。
悲劇の階段を転げ落ちていくとはまさにこのこと。
息をのむ展開だった。
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私が持っている新潮文庫版、同じ青柳瑞穂訳ですが、昭和56年36刷。アベ・プレヴォーって筆名(通り名?)は、Abbe(僧侶) Prevost だったんだ、何も知らずに読んでるものだなぁ、おそろし。男(とその人生)を破滅させる女の代名詞のようなマノン・レスコー(昔むかしのわが国の流行歌の歌詞にもあったような記憶が…)。オペラ「マノン」はプッチーニですね。プッチーニよりもヴェルディのほうが高尚だということになっているから「ヴェルディが好きです」と言ったほうがイタリアでは無難だよ、という話も聞いたことがありますが、私はどちらの音楽も好きです、それぞれに。どっちか選べと迫られたら、プッチーニかも。あの「泣き」のカタルシスが最高です。それで、マノンですが、そういう意味でもプッチーニに相応しい。アベ・プレヴォー自身の経歴が、さらにそれを超えている。同じ(種類の)情熱を有する男性を、何人か知っているつもりです、彼らの人生は破綻してはいないけれど。こんな女、実際には絶対にいないだろう、と、冷静になればそうも思えます。けれどもそういう女性像を描き出した人がいて、そこから何かの感懐を得る人々(男女問わず)がいること、そこにある「真実」が潜んでいるように思われます。
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二十歳までに所謂名作と言われている本を読み、その感想を十年後、二十年後の感想と比べたいと思っています。
マノンレスコーは友人に勧められて読んでみました。
感想としては…なんだか自分の年齢というか成長を感じました。
もともと自分が保守的な考え方をするというのもあるんですが、主人公やマノンに全くもって共感できなかったんです。
彼らを俯瞰して読んでいるというか、どちらかといえば主人公の親やらのような気持ち。
「その選択は駄目でしょ…」「あーやっぱり悪い方向に行っちゃった」
みたいな感じで、彼らの若さゆえの無鉄砲さが好ましくないと感じてしまいました。
マノンの死の辺りではさすがに最愛の人との永遠の別れということで悲しい気持ちも湧いたんですが、それでも「最初にこう行動しておけば…」という風に冷静に考えてしまって、悲しみに飲み込まれない。
もっと早くこの本を読んでおきたかったです。
中学、高校時代に読んでいたら、また違った感想だったのではないかと思います。
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この物語に欠かせないものとして激賞されるのは、マノンだろう。でも、私が泣かされたのは、主人公の友人、チベルジュだ。彼の主人公を大切にする気持ちには、参ってしまう。また、この物語はページの残量が極少になっても、まだ話が大きく展開していくため、最後まで目が離せない。デュマ・フィスの「椿姫」はこの物語をどう読み解いたのだろうか。
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「宿命の女」、マノン・レスコー。
マノンの言動よりも、グリューの甲斐性のなさにイライラ。
自分で働いてお金を稼ぐことは考えずに、借金、賭博、詐欺。更には殺人までやってのける。もう凄まじい転落人生です。
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『椿姫』のマルグリットがアルマンとの出会いにより美徳の世界に幸せを見出したのに対して、マノンは若く頼りないグリュウを悪徳の世界に引きずり込みました。
美しく罪深い女マノンにとって、グリュウとの恋愛に幸福はあったのでしょうか。
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先日「悪い娘の悪戯」を読んだときに、ファム・ファタールものだとこれがバイブル的存在なようだったので、読んでみた。
まあ、古い小説だから古臭くて仕方ないのだけど、女性の類型化という以上の読む意味は見いだせなかった。もうちょっとマノン・レスコーが魅力的な女性だったら惹きつけられただろうが、読んでいる限りでは魅力はよくわからなかった。
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18世紀フランスの小説家アベ・プレヴォー(1697-1763)の恋愛小説の古典、1731の作。あの人物像の中に、女も男も自分の姿や理想を垣間見続けてきたのか。所謂"femme fatale(運命の女・男を破滅させる女)"を描いた文学の先駆とされる。プッチーニのオペラでも知られる。
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主に騎士グリュウの一人称語りで展開される本作、世人一般の冷静さを欠き、誰のものとも知らぬ良識の頸木を断ち、恋人マノンなしの世俗的な幸福など一顧だにせず、恋の悦楽その純粋――極端に於いては実生活と両立し得るはずのない純粋、節制とは正反対の感情のアナーキー(ルカーチ)――に身を任せ、ときに絶望に堕ちときに改悛しそのまたすぐに恋の有頂天へ・・・。息苦しいまでの若さの疾走――内面を重苦しくさせ、その重さゆえに疾走せずにはおれなくさせるところの、あの若さ――、行き着く果ては愛の幻想で充溢した二人きりの(終にはグリュウ独りきりの)内的な自閉空間か。そこから血涙となって零れる呻吟が、破滅の予感とともに響いている。ロマン主義的な感性の萌芽と云えようか。
「彼女はぼくを愛している。・・・。ぼくは全宇宙が崩壊するのを見ても、知らん顔をしていることだろう。なぜだって? 彼女以外のものなんてどうだっていいからだ」
「しかし、おまえに必要な男は、金持ちで、幸福者でなければならない。・・・。ところが、このおれときたら、ご提供できるのは、愛ばかり、誠実ばかり。女どもは、おれの貧乏を軽蔑し、おれの一本気をなぶりものにする」
「恋ゆえに、ぼくはあまりにも感じやすい、あまりにも情熱的な、あまりにも忠実な人間になりました。そして、おそらくは、美しい愛人の恋をむかえるために、あまりにも気前のいい人間になりました。ぼくの罪悪というのは、これなんです。」
「しかし、私はどんなことをしても彼女と別れないと断言し、世界の果てまで連れていって、・・・、彼女を愛し、自分の不幸な運命を彼女のそれにしっかりと結びつけるつもりだ・・・」
「愛しあう恋人同士にとっては、宇宙全体が祖国ではないだろうか? 彼らはお互いの心の中に、父を、母を、親戚を、友人を、富を、至福を見いださないだろうか?」
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それにしても、破滅させるほどの恋を騎士に抱かせている当のマノンの実体が茫として掴み所のない、というのは読みながらずっと訝しく感じられた。騎士グリュウの一本気な誠実さが、内面に空いた無限小の穴であるとするなら、娼婦マノンが己の享楽の為に不貞を犯しながらなおも失われずにいるかの如き無邪気さは、魂が抜けて浮遊する無限遠点のようだ。肌に熱ある人物像をどうしても思い描けない、宛ら自動人形の如し。そもそも、"femme fatale"という人物類型自体、女性という他者を前にして、それへの恐怖や欲望が綯い交ぜになって創り出された、男による幻想だ。女を眼差す男の視線を映し返している、鏡だ。作者もマノンを全体的な人物として描き切れなかったのではないだろうか。
それでも、ヨーロッパを追われ、アメリカの地の果て、「彼女を愛し、自分の不幸な運命を彼女のそれにしっかりと結びつけ」た騎���に、
「逃げちゃうのよ、いっしょに」
と云う、終末近いマノンの言葉は、本作中、最も哀切で美しいと感じる。
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破滅に到らなければ恋は嘘だ、とロマンチストは云うかもしれない。しかし、現実は散文的な生活の裡にある。虚構の中でしか描き得ない、嘘としてしか語り得ない、真実もある。
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こちらはフランス文学です~。
まじめな青年が、マノンという女に出会ったために人生を転落していく様を描いたものです。
マノンにあっては引き離されて、大金を持っては全財産失い、、、、の繰り返し。
初めは真面目に読んでたんだけど、この繰り返しでしょ~。
読んでてなんだかコメディー読んでる錯覚に陥ったよ~。
もちろん文章も内容も真面目なんだけど、なんかここまでやられると笑うしかない。っていうか、この真面目な話をコメディに作り替えたら結構いけると思うわよ。
ま、最後はちょっと可哀想なんでかなりシリアスなんだけどね~。
でも、これをミステリーにもつくり変えられるよね~。
実は、すべてマノンの仕業だったとか。。。
なんかこの本をこのまま読んでしまうのが惜しい気がしたわ。
そうそう。この本、実は66巻あって、その中から抜粋して、これだけ独立させた本なんだって~。
66巻も読めないよ~。
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大学のフランス文学の授業で読んだ本。
やはり読み継がれている文学作品は読み応え、インパクトあり。
フランス文学の退廃的でわけわからんカオスな感じ、泥々な感じが、好きです。
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ようやく読み終わった。ページは多くないけれど、続きが気になるようなストーリーではないから。
マノンの視点からの描写が一切ないのが、物足りなかった。浮気するとき、何を考えていたんだろうとか、自分が美しいことに対してどう思っているんだろうとか、マノンの本心が気になった。
フィクションとはいえ、美人の人生がこんなつらいなんて。マノンが男性を翻弄しているように見えて、実は振り回されたのはマノン本人だったように感じる。
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ファムファタール系の一作。
こんなのに惚れたら大変だ。ろくでもないと解りながらも、絶対に夢中になってしまう。物語としては悪くはないけどちょっと物足りない気もする。
著者のアベ・プレヴォーは相当な数の著作があるようだけど、合間に軽く書いたこれが最も評価されているというから作者の思惑と世間との認識は往々にして乖離するもんだっていう良い例。
自治医大店 田崎
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僕は全宇宙が崩壊するのをいても、知らん顔をしていることだろう。なぜだって?彼女以外のものなんてどうだっていいからだ。
バカバカバカ!!!何度そう叫びそうになったことか。愛とは盲目であるとは言うけれど、何度浮気されても、何度親友をだましても、何度牢獄にいれられても、果てには人を殺してまでも貫き通す愛はもはや美談のかけらもない。それにしても親友チベルジュを始め、グリュウ(主人公)の周りにはお人よしのいい奴ばっかが集まっている。だから脱獄もちょちょいのちょいなのだ。「現実はそんなに甘くない」とか「人を殺しといて美談に仕立てて」とか色々不満点があり、椿姫のように心から同情して泣ける物語ではなかった。
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アベ・プレヴォーの自伝小説集"世俗を棄てたある貴人の回想と冒険"全7巻のうち、第7巻"騎士デ・グリューとマノン・レスコーの物語"が本作に該当します。そして、オペラや映画などの題材として度々取り上げられてきました。娼婦マノンに翻弄される貴公子デ・グリュウの一喜一憂する心理描写がとても鮮やかです。リアルでは絶対にお近づきになりたくはないですが、マノンも魅力的です。どこまでもマノンにのめり込んでしまうグリュウの一途さが、ラストの悲劇に繋がります。ファム・ファタールを描いた初めての文学作品だとも言われてます。
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青年グリュウは美少女レスコーに一目ぼれをし駆け落ち。男たちの嫉妬に2人は追い詰められ、彼女自身も欲望に忠実だったことからアメリカ追放への一途を辿り、さらにその先にも破滅への道は続く。
オペラやバレエ等で長く人々に愛されている作品なので読んでおきたく。「ファム・ファタール(男たちを破滅させる女)」を描いた初の文学作品とのこと。冒頭から一貫して男女の恋愛を描きながらも、互いを想う切なさや悲恋といった儚さは全く感じられません。
愛する女性を追いかけ、振り回され、振りほどかれ、それでも追いかけ…グリュウは愚直なほどに彼女を求め愛します。対してレスコーは自他ともに認める美貌を持ち合わせていますが、享楽的で悪気なく人を欺き振り回す性格で、決して上品とは言えない口調や発言も口にします。そんな2人の恋愛を、これぞ愛だと親しみを感じるか、滑稽だと見るか…ほとんどの方は後者なのではないでしょうか。
「恋とは盲目で、刹那的なものである」
そんな結論に至りたくなるほど、最後のグリュウ帰省の場面は彼女を失った哀しみよりも自分らしさを取り戻した清々しさを感じてしまいます。