紙の本
いやあ、またまたメタミステリ。でもね、正直私には、本編以外の話を読み取る能力がなかった。厖大な脚注に秘められた謎ってか?
2004/10/23 06:51
3人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:みーちゃん - この投稿者のレビュー一覧を見る
さあて、問題作である。まず、私はこの小説の構造が全く読み取れないのである。大体、哲学人間を限りなく馬鹿にする私が、この本を選んだ理由、それはひとえにイギリス推理作家協会賞最優秀長編賞受賞作(多分、ゴールド・ダガーのことなのだろう)という蠱惑に満ちた言葉による。
しかしだ、この本くらい読書人を泣かせる本は少ないのではないだろうか。基本的に、難しい話ではなさそうなのである。訳文は、決してもって廻った、僕哲学しってんものねー、といった浅墓、痴愚魯鈍といったものでは全くない。ということで、メインの話はすんなり腑に落ちるのである。
しかし、である。カバーに書いてある紹介には
「古代ギリシア、アテネ。野犬に食い殺されたとおぼしき若者の死体が発見される。だが不審を抱いた者がいた 《謎の解読者》と異名をとる男、ヘラクレス。調査に乗り出した彼の前に現れるさらなる死体。果たしてこの連続殺人の真相は……
……という書物『イデアの洞窟』。その翻訳を依頼されたわたしは、物語世界を傷つけかねない頻度でちりばめられた象徴群に不審を抱く。ギリシアで「直観隠喩」と呼ばれた技法だった。だが『イデアの洞窟』のそれは過剰すぎた。やがて身辺に怪事が頻発しはじめ、わたしは何者かに監禁されて……
……という異形の形式が驚愕の結末へと読者を導く破格のミステリ。めくるめく謎の迷宮に「作者探し」の興趣も仕込む、イギリス推理作家協会賞最優秀長編賞受賞作。」
と書いてあるのだ。「……という異形の形式が驚愕の結末へと」私を導くはずなのである。にも係わらず、一向に驚愕しないのである。ただし、著者であるホセ・カルロス・ソモサ、出版元である文藝春秋、或は訳者である風間賢二に不満があるわけでは全くない、絶対にない、間違いなくない、きっとない、たぶん ない……
ともかく、メタと名のつくものならミステリであれ、純文学であれ、何でもござれの翻訳者風間賢二が言うのである、これはメタ・ミステリであると。そうなんだ、メタ化しているんだ…。っていうことは、それだけでも独立した物語となりうる、あの長い脚注ならぬ脇注に鍵が潜んでいる? いやあ、本筋が終えないので、端折って読んじゃったしなあ、今からもう一度読めっていっても、後にはマシュー・パールの『ダンテ・クラブ』が控えているしなあ、無理ですー!となってしまうのである。
で、とりあえず本筋の登場人物紹介。まず、探偵役である《謎の解読者》ヘラクレス・ポントがいる。わがままなヘラクレスに振り回される熱血哲学教師 ディアゴラスがいる。そして謎の中心に、非業の死を遂げた青年 トラマチウスがいる。さらに言えば、その母イティス、トラマチウスの友人ユーネオス、同じく友人で美少年の誉れの高いアンティスウス、その元教師でヘラクレスの知人ユーマチウス、放浪者でヘラクレスの旧友クラントー、その愛犬ケルベロス、彫刻家で詩人のミーナクマスなどがいる。
私にはメタミステリというよりは、分かりやすいミステリを核に据えた実験小説に思えてならないのだけれど、正直、1回読んだだけでは、この作品を少しも楽しんだことになっていない気がする。Webの書評誌などでは、難解、意味不明、哲学マニアには堪らないのだろうけれど、といった言葉が並ぶ。ただし、内容の無さを哲学用語や形而上的な会話で誤魔化した似非哲学小説でないことだけは確実に伝わってくる。
最低、三回読み直せば、絶対にハマル、そう思う。でも、一回しか読んでいない私は、その渦中にはいない。勿体無い気がするけれど仕方が無い。ということで、速読厳禁、要再読、乞熟読という要求に応えられる人にお薦めの一冊である。多分…
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SFです。英国推理作家協会賞とってるからってミステリと思って読まないように(笑)そこへ繋がるのかって部分のオチが好きだった。
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虚構と現実の境界が混乱し曖昧になる=虚構と現実の埋められない距離を(少なくともこの書のレアリテにおいては)越え得ている話、であることを期待したのですが私の頭は混乱してくれませんでした。オチがSFなせいでしょう。ちょっと残念。色々な視点からツッコミどころがあるので、批判好キーな方にはぜひ一読していただきたし。
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『イデア』の謎、『わたし』の謎がどうなるのかどきどきして読める。
最後は納得いかない。
途中まで面白いだけに悔しい。
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まさに衒学的な、多分誰も真似することのない本だろう。正直に言おう。面白くない。すぐに物語の答えが判ってしまったのだ。この手の本でそうなっては仕方がないと思う。これはどんな賞を取ろうと個人的には評価しようがない話だ。脚注こみの物語であると気が付いた時点で本を読む興味自体は消えていた。そんなの久しぶりのことだ。翻訳された日本語のレベルが高くない。それも問題だ。しかしきっとその前にある英文がよくないのだろう。そもそもはスペイン語で書かれているのだから、そこからの翻訳に難があったのかもしれない。いや、イギリスでは賞を取ってるようだから英訳は大丈夫だったんだろうか。原文を読めたら違う感情を持ったのかもしれない。この本を読んでいるとそう感じざるを得ない。翻訳者は重要なのだ、この本の中で。
最後まで読み続けることが出来たのはプラトンの生きた時代の空気のおかげだ。もちろん、真実とはほど遠いのだろうけれど、それなりに再現の努力はしているのだろうし、その時代背景を描く努力はされている。プラトンが生きた時代の風景なんて考えたこともなかった。でもここではそれを見せる努力がなされている。正直に、正直に言えば、そこが一番興味深かった。
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洋作はあまり読まないのですが、こういう形式の文体は初めて。
ならではの手法にビックリしました。
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野犬に食い殺されたとおぼしき若者の死体が発見される。だが不審を抱いた者がいた―“謎の解読者”と異名をとる男、ヘラクレス。調査に乗り出した彼の前に現われるさらなる死体。果たしてこの連続殺人の真相は・・・。
イギリス推理作家協会最優秀長編賞受賞に惹かれ手に取った作品。感想としてはまあ難しい文章ですw。それにこの古代アテネとかの時代を舞台にした小説の独特な文章の重さはなんとも言いがたい感じが。
こういう感じの小説がイギリスでは人気ということなのでしょうか、イギリス人の推理小説への愛を感じますw。またイギリス作品ではホームズしか読まない私には、これらの類に慣れるには時間が必要です。
内容はミステリー。様々な古代らしい注訳や言葉がぼんぼん出てきますが、最後の結末への流れは惹かれるものがありました。これがミステリーでよかったです、そうでなかったら結局難しい印象だけで終わる所でした。
また翻訳者あとがきも密かに魅力。
この古代ギリシャを舞台にしたミステリ小説を翻訳するなんて、凄い苦労がありそうです。
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「薔薇の名前」のような読みにくさを予想していたけど、予想に反して読みやすかった。
古代ギリシャを舞台にした殺人事件で、ヘラクレス・ポントーという探偵がアカディメイアの教師から依頼されて、事件の真相を解明するストーリーとその翻訳者の注釈のストーリとの構成になっている。
このような小説ははじめて読んだ。でも内容的に物語にのめり込めなかった。翻訳者が偏執的に思えるし、「イデアの洞窟」自体のストーリーもカルト教団だからこういうことをするの?いまいち納得がいかない。
ただ、「イギリス推理作家協会賞受賞」ということで期待してたのですが。
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『*1(脚注) 最初の五行は失われている。原典では問題の箇所は引き裂かれている、とモンター口は記している。わたしは、『イデアの洞窟』の翻訳をモンター口編のテキストの最初の文章から始めている。その版しか現存していないからである』―『第一章』
最初の脚注は、本文が始まる直前に掲げられた「第一章」という章番号に付けられたもの。それを読んで、ああエーコの「薔薇の名前」ね、と勝手に頭は読みの様式を準備する。しかし、本文から脚注を記す翻訳者への呼びかけとも読める文章に行き当たり、脚注が本文と交錯しミステリ風の物語の進行に関わって来るのを見て、エンデの「はてしない物語」のような話なのか、と考え直す。けれども「はてしない物語」では地と図が徐々に渾然一体となるような「物語」と「物語を読むもの」の交歓がある一方で、「イデアの洞窟」は物語を読むものが一方的に物語に取り込まれる構図。それに対して読むものである翻訳者は取り込まれることを激しく拒む。古代ギリシャを舞台にした殺人事件を巡る謎と翻訳が進行すると伴に翻訳者自身に突き付けられる謎。二重の謎は二匹のウロボロスの蛇のようにお互いの謎に浸入し最後に一点に収束する。
あとがきに、マーク・Z・ダニエレブスキーの「紙葉の家」への言及があるのを見て、納得すると同時に「あの」本に絡め取られていく恐怖感を思い出す。「紙葉の家」では、安全な関係である筈の本の読者という立場が崩れ、本文と脚注の関係が小説と読者の関係にも滲出し、読み方の次元を強制的に変更させられる。「イデアの洞窟」にもそれによく似た構図があるのだ。その慣性に敢えて従った邦訳者のあとがき。本書の構造主義的位置付けへの言及等も興味深い。ただし「紙葉の家」が一般的な読者への働き掛けが強く作用するのに対して本書は「翻訳者」にその作用は限定されると感じるし、「薔薇の名前」のような「開かれたテキスト」的記号も翻訳者が頻りに「直観隠喩法(Eidesis)」的にテキストを解釈する程には見当たらないので、もう少し気楽にミステリを楽しめる。
『読む行為とは、自分ひとりで考えることではないのだよ、我が友―それは対話なのだ! だが、質疑応答の対話はプラトン的な対話。あなたの対話者は概念だ。不変の概念ではないけれど。それと会話をするとき、あなたはそれを改変し、自分に合うように作り、それが独自に存在していると信じるようになる』―『第九章』
本書自体は先にも書いた通りエーコ風のミステリとして読んでも十分楽しめると思うけれど、ここで引用した文章は物語の筋と関係なくとても沁みる。世の中「科学的」であるとか「エビデンスベース」とか盛んに言われるけれど、科学論文だって皆案外読みたいことだけを読んでしまいがち。まあ、この文章を切り出すということもまた、そういうことを読みたい自分が居るというだけのことではあるけれど。
『「ああ……ああ……ああ……」へレナは笑った。あとで、かなりのちになってから、そのときヘレンが読んだことをわたしは読んで、なぜ彼女が笑っていたのか理解できた』―『第六章』
とはいえ、細かいことに何か意味があるのかと訝しむ気持ちは読書中常に励起された状態にあることを強いられるのも事実。例えば、ここで「ヘレナ」が何故「ヘレン(脚注)」と呼び変えられているのか。これは単なる誤植なのか。それとも翻訳者の隠された創作か。もちろん「直観隠喩法(Eidesis)」と同じように作家の仕掛けた謎の一つである可能性も否定できないけれども。所詮読者は洞窟に囚われて燕の影だけを見て想像する存在。
(脚注) その後調べたところ、スペイン語のオリジナル(La Caverna de Las Ideas)では単に「彼女(ella)」となっていることが判明。英訳(The Athenian Murders)でも「she」。ということは論理的には邦訳の際の誤植ということになる、のだろうか。あるいは邦訳に仕掛けられたリドルなのか。