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紙の本
1913年生まれなんだ、略歴を見ながら思わず唸ってしまう。そして、何より印象的なのは最愛の奥様に先立たれ、文章を書くことができなくなった著者の姿。透明な文章が、こんな時には不似合いなほどに哀しい
2005/03/12 21:22
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投稿者:みーちゃん - この投稿者のレビュー一覧を見る
待望久しかった全集の増補分。内容は大きく三つに分かれ、「今月の一枚」「音楽展望(1998〜2003)」「音楽会評(1998〜2001)」で、各々『今月の一枚*CD・LD36選』『くりかえし聴く、くりかえし読む*新音楽展望1997−1999』に収められている。
で、私は単行本方は、どちらも読んでいるので今度が二度目。それにも拘らず全く新鮮な思いで読んでしまったのには、自分の濫読ゆえもあるけれど、やはり吉田の文章、そしてそこに籠められた情報の質と量による。行間から音楽が聴こえる、そういう文章には滅多に出会えるものではない。
しかも、この間に吉田は愛妻を亡くし、文章を書くことができなくなっている。指揮界でも、今までも吉田が度々取り上げてきたC・クライバーは亡くなり、現在、様々なCDショップでマエストロのCD、あるいはDVDが大量に山積みされている、そういう時期に、失意の底にある評論家の文章を読む、死ということを考えずにはいられないのは私だけではないだろう。
でだ、単行本の時、吉田が取り上げる音楽家たちがわからずに、随分困ったものである。それ以前、彼が取り上げるのは国内盤が殆どだったが、本にも書いてあるように、最近は輸入盤極的に聴いているようで、そうなると当時の私には全くお手上げだった。
あれから40年、ではなくたったの4年だけれど、我が家にも沢山の輸入盤が入るようになってきた。だから、吉田の文章が、かなりわかる。無論、彼が取り上げるCDなりDVDを買うということは、殆どないけれど、彼が言うことのイメージが十分に伝わってくるようになった。
でだ、例えばリヒテルやグールド、或いはカラヤン、クライバー、小沢などのについては本を読んでもらい、できれば音楽会に足を運ぶなりCDなどを聴いてもらえば十分なので、私は読みながら絶句してしまった部分を引用する。それは、リヒテルについて語りながら、友人であった大岡昇平のことを書いたくだりで
「リヒテルも、ごく晩年 このインタビューのころは、ピアノをひくのが苦痛になって来ていたようだ。彼が「年をとって脳が退化したのか。かつては絶対音感があったのに、今は音程がとれない。1度か2度低く聞えてならない。それに暗譜ができなくなった。モーツァルトなど特に忘れる。もう終わりだ」(中略)私は大岡昇平が死ぬ年の時だったか、大岡夫妻のための親しい友達だけの小さな、しかし心のこもった金婚式のパーティで立ち話した時「このごろはもう耳鳴りがして、音楽は全くきけない。音がすると耳が痛くなってきいていられないんだよ」といわれて、言葉を失ったことがある。」
あるいは、解題のなかの
「去年の十一月家内が死んで、仕事をするのがとてもつらくなったので、今のところ、休ませてもらっているんですけども(中略)もう一度立ち上がるつもりで、ふた月やってみました。でも、それは続かなかった。」
「カラヤンは兼々クライバーを高く評価していて、あの人は天才だとも言っていたけども、それと同時に、クライバーは冷蔵庫が空にならないと仕事しない、どうして指揮がおもしろくなかったんだろう、それが私にはわからない。これがクライバーを論じることの急所を衝いたたった一つの例でしたね。」
いや、音楽や演奏を論じれば、それこそどうしてこんな文章が書けるのだろうと言いたくなるような美しくて透明な言葉が随所にある。意外なことに、その筆は小泉総理や田中真紀子にまで及ぶ。反論の余地は、少なくとも私にはない。
いつまで吉田の文章を読むことができるのだろう、彼の耳が痛くならないことを、優しかったであろう奥さまを思う気持ちをそのままに再び批評の世界に戻って、私たちの眼を耳を開かせてくれる日のあることを祈ってやまない。こんな評論家は、もうぜったいに出ない。
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