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しろいやみのはてで あらしのよるに 特別編 みんなのレビュー

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みんなのレビュー22件

みんなの評価4.0

評価内訳

22 件中 1 件~ 15 件を表示

紙の本

もうひとつの『ふぶきのあした』

2009/04/19 00:44

4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:wildcat - この投稿者のレビュー一覧を見る

これは、あらしのよるにシリーズの特別編である。

『ふぶきのあした』の中で、雪穴に閉じ込められるのだが、
そのふたりが、お互いの出会いから今までを回想している物語である。

本編は、縦書きだが、これは横書きというところが新鮮だ。

そして、絵が全体的に明るいのも印象的だ。

吹雪の雪穴の中で思い出している思い出だから、
特に幸せで、鮮やかなんだろうか。

オオカミとヤギが交互に思い出を回想していって、
『あらしのよるに』から『ふぶきのあした』までの物語を
かいつまんでわかりやすく思い出させてくれる。

それだけでなく、お互いにそのときはどう思っていたのか、
本編では語られなかった気持ちも加えられている。

「ごちそうなのに、ともだちで、なかよしだけど、おいしそう。」

「でも、あわないで いると あいたく なっちまうし、
 メイと いう こいつの なまえを きいただけで、
 たのしい きぶんに なっちまう。」

「わたしが よべば、ガブは いつだって やって きて くれる。」
 それが うれしくて、その ひみつを そっと むねに しまって、
 まいにちを、うきうきして すごして いたっけ。
 あの ときは、まるで せかいが きゅうに かわって 
 しまったかのようだった。」

お互いの回想は、恋人同士の独白のようでもある。

そして、本編で明かされなかった事実がさらに明かされる。

メイの母は、おさないメイを守るために、オオカミと闘って死んだ。

母はオオカミの耳を食いちぎって死んだと。

「ガブを えらんだ ときから わたしは いままでの 
 じぶんを すてた。
 いきると いう ことは えらぶと いう こと、
 えらぶ ことは あたらしい じぶんに 
 かわって いく ことだったんだ。」

お互いの違いを超えて、友情を深めていったこと、
過酷な吹雪の中を励ましあいながら歩いてきたこと、
そのすべてがふたりを支えていた。

過去を思い出して幸せに感じるふたり。

たとえ未来がなかったとしても。

「あしたなんて、だれにも わからないでやんす。
 でも、おいらたちは いま いきてる。
 いっぽ いっぽ、まえに すすんでる。
 それだけで じゅうぶんなんじゃ ないっすか。」

今を生きたいという気持ちは大いにある。

未来がなかったとしても幸せという境地には、まだ私は立っていないが、
最期を迎えるときがきたら、そう思っていたいという気持ちである。

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紙の本

「個」と「集団」

2014/06/28 18:37

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:Tucker - この投稿者のレビュー一覧を見る

「あらしのよるに」シリーズの特別編。
6巻で雪山の洞窟で身動きとれなくなった時に、メイとガブがそれぞれ以前の事を回想する、という話。

急に対象年齢が上がった、というのが第一印象。
メイとガブの気持ちが、より掘り下げられている。

メイの母親がギロ(ガブのいる群れのリーダー)に殺されていた、という設定は、アニメ版では冒頭から描かれるが、原作版では、この特別編で明らかになる。
この事実を知ったメイは、ギロと同じオオカミであるガブを憎んだが、ガブはガブだ、という気持ちが描かれていたりする。

実際の社会でも「オオカミ」という「集団」(しかも自らの偏見でイメージを作り上げた集団)で相手を見て、「ガブ」という「個」では見ない人がいる。
・・・と言うより、お互い先入観なしで、個人と個人として、相対した時、「悪い人」に会う、というのは、そうそうあるものではない(と思う)

相手が個性を持つ「個」だと、あまり強く責められないのに、顔のない「集団」だと、平気で責められるのは、なぜだろう?
「個」に対する攻撃だと、その「圧力」の大きさがよく分かり、自分でもひるんでしまうが、「集団」だと、その「圧力」が分散されるのが何となく感じ取れるからだろうか?
その線引きは、どの辺りにあるのだろう?

ちなみに本書は、この事がメインのテーマではない。
一部のエピソードから、こんな事に考えが至ってしまった、というだけなので、悪しからず。

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2004/12/08 15:23

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2005/07/27 19:39

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2005/12/18 04:50

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2006/01/29 21:22

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2012/05/27 22:03

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