紙の本
16世紀末、伝統のため個性を没すことを強いられる細密画師たちの閉鎖的世界に起こる殺人事件。現代トルコの巨匠による『薔薇の名前』ばり教養娯楽ミステリー大作上陸。
2005/01/27 11:42
5人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:中村びわ - この投稿者のレビュー一覧を見る
題名から想像してしまうのが、オスマン・トルコ帝国のスルタンに反旗を翻すジャンヌ・ダルクみたいな勇猛果敢な少女の戦記であるが、まるで違っていて「紅(あか)」というのは何と絵の具の色なのである。
59も章があり、「わたしは屍」という最初の章題で1つ目の殺人事件の犠牲者がいきなり語り出す。わずかに5ページのその章で、「これは相当な代物ではないだろうか」というビリビリ感が体を駆け巡った。章ごとに語り手が変わっていく。死人であってもまだ人間ならば普通だろうが、「わたしは犬」「わたしは一本の木だ」「わたしは金貨」などといったものが含まれていて、「わたしの名は紅」が31番目に出てくる。途中、殺人事件の犯人も幾度か語り手として登場するのだが、「まだかい、どいつだ」と読み進めていって550ページぐらいは引き摺られる。
しかし、じらしの上手な犯人追及のミステリーというだけでは、「現代トルコ最高の作家」と冠をつけて呼ばれるにふさわしい各種文学賞には至らず、英訳書も大人気というわけにはいかないだろう。
「お文学ざます」という気取りや博識を盾にした衒学趣味は感じられない。だが、確かに知的洗練のある謎解きとなっていて、それが大きな読む楽しみに結びついている。それは、16世紀末、腐敗の激しいオスマン・トルコ帝国の情勢が、細密画という伝統芸術世界に生きる絵師たちに投影されているからだ。
イスラム暦の祝賀用に挿画入り美本を制作するということが、登場人物たちをつなぐ糸である。殺人事件も、その本ゆえに起きる。スルタンから制作の命を受けた元高官には美しい娘がおり、彼女をめぐって男女間の性や婚姻の風習、信仰も描かれれば、彼らが住む街イスタンブールの生活や世情も描かれる。
さらに、細密画という特殊な伝統芸術の世界に舞台を取っているため、そこで目指される芸術の在り方が提示される。「個」を没し先人の偉大な仕事に学ぶという、創造性に限界を設けられた特異な世界は、工房という閉鎖的空間で各人を歪ませ、狂気を帯びさせていく。ウンベルト・エーコ『薔薇の名前』が引き合いに出されて評判を呼んでいるのも、修行と修業の差はあるかもしれないが、そのような精進のための閉じられた空間で、何を「義」とするかの相違から殺人事件が発生し、それを解いていくミステリーが残されるからだろう。
こちらは工房なので戦わされるのは芸術論であるが、「義」に反する「異」なものが侵蝕してくるという構図もある。忍び寄ってくる西洋的なものから伝統をいかに守るかというところで議論が成立するわけだが、文明が「衝突」するのか「融合」するのかを遠望しながら、絵師たちの考え、言葉、行動として結実させたところに恐ろしいまでの読みごたえがある。
イスタンブールという場所は、東西文明の十字路として両方の要素が入り込んだ独特の土地柄である。ここに生まれ育った作家が、東と西のありとあらゆる差異に目配せをきかせながら、今に至ったトルコを娯楽小説として回顧してみたという感じである。親日の国だということもあるのか、作者はまた日本文学にも造型が深いようで、訳者解説にあるように細密画の名人が「盲目」を選ぶということに『春琴抄』に似た狂気を読み解くという面白さもある。それに加えて、明治維新の近代化と比較して論じられるトルコの近代化を意識すれば、東と西について思いを及ばせる読みは一層深みを増す。この作家の作品は、どんどん訳されてほしい。切に願います。
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16世紀のトルコを舞台に、細密画師の間で起こる殺人事件を描いた作品。
構成は凝っていて、全く知らない世界のあでやかなモチーフは目がくらむばかり。
ノーベル文学賞受賞したんでしたっけ?
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16世紀末のトルコを舞台とした細密画家の小説。ミステリや恋愛の要素もあるが、やはりこの小説は「芸術小説」とでも呼ぶのがふさわしい。膨大な細密画に関する知識がちりばめられ、それを軸に構成された小説は、重厚な作品世界を構成している。小説作法としても、非常に多くの人の視点へとコロコロと変わって語られるのもユニーク。
だが、この小説の最も優れている点は、なによりも「死」の描写だと思う。エニシテの死の場面はそれだけでも一読の価値あり!もちろん俺は死んだことはないが、この場面を読んで「ああ、死ぬ時ってきっとこうなんだろうな」と感じた。作者の想像力に感嘆する。
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●各々の章が、別々の人間の一人称で書かれたトルコ歴史ミステリ。のはずですがしかし。
●オスマントルコ帝国の時代。
とある細密画師が殺された。
彼はなぜ殺されたのか。殺した犯人は誰か。
・・・と言った部分は、実はあまり重要ではなく、ストーリーを中心に引っ張っていくのは、夫がペルシア戦に出征したまま帰らない美しい寡婦シェキュレと、十二年前彼女に振られたことが原因でイスタンブルを離れ各地を転々としていた書記のカラの、うるわしい恋模様、っつーよりむしろ下世話な昼メロ系駆け引きバトル。え?(´Д`;) 以降キャラ説明(※ネタバレ有)。
カラ:シェキュレの父親で、殺された細密画師を使って秘密の写本を作っていたエニシテの命により、探偵役を務めることになるメイン人物。だが本人は、犯人探しよりも、彼女のことが気になって気になって仕方ないと言う(笑) いちおうハンサムなはずなのに、なんなんだこの横溢するこの情けなさ感はっ。
シェキュレ:行方不明の夫との間にはまだ小さな男の子が二人あり、その後もしばらくは婚家で暮らしていたけれど、夫の弟のハッサンの夜這い未遂事件のため、実家に出戻り生活中。
じゃあ、ハッサンを嫌っているのかと言うとそうでもないと言う。はい?
ハッサン:血の気が多くてヤバい感じの横恋慕男。しかし、カラとシェキュレの間“も”小間物売りを抱き込んで、二人の手紙を読むのはいいんだけど、手紙を破棄するでもなく積極的にジャマするでもなく、自分の手紙を追加して彼女に送るだけ、って貴様やる気あんのか〜!?
●・・・そんなバカな登場人物たちですが、やはりひどいのはシェキュレ(24歳)。彼女は、自分が美人でモテモテ☆ なことをとてもよく自覚しています。
ハッサンに言い寄られてウンザリしたとは言え、今でも彼からの手紙は受け取り、ちょっと気分も良かったりして、モテ状態を快調に満喫。さすが美人。ま、最終的には、子供たちと彼女を守ってくれる男を選択すべく、実に冷静に計算して行動するんですけどね。
なんってしたたかなんだ! 感心することうけあい。しかし、読んでていちばんほっとするのは、小間物売りのエステルの一人称語り部分。
彼女の下世話さと能天気さと明るさが唯一と言っていいくらいの救い。
あー、いい人じゃないけどいい人だー(笑)
●各々の文章に、いちいち物語がこめられているので、読むのに予想以上に時間がかかりました。
私は、時間がない時やとにかく先が知りたい時は、読まなくても困らない修飾的な文章を読み飛ばしてストーリーだけを追うんですが、今回は、ちょっと難しかったと言うことで。
それこそ細密画の様に精緻な文章と構造とはこの物語。おお、まとまった。←そうか・・・?
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ヨーロッパがルネサンスを迎えた時代の、イスラム細密画家たちの世界。絵画とは何かをテーマとしながら、思いがけず多様なイスタンブールの人々が、彼ら自身の声を通して、描き出される。いや、人々ばかりでなく、死者や木、描かれた馬までも。傑作なんだろうなあ・・・と思いつつ、時折珍妙な表現が混じる訳文に頼らざるを得ないのが、やや隔靴掻痒であった。訳注は付けないようにという原作者の注文もあったらしいが、ルビをうまく使うなどして、「オリエンタリズム」は回避しつつ、トルコ文化の紹介に意を用いても、良かったのではないかと思うが・・・。
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舞台は16世紀末、オスマン帝国の首都イスタンブール。
スルタン(皇帝)に使える細密画師たちが、翌年にひかえたイスラム暦1000年の記念事業として祝賀本の作成を命じられる。
その頃、西洋の遠近法を駆使した写実的な絵画を知った細密画師たちが衝撃を受け、自分たちでも描こうとする誘惑に駆られるが、写実的な絵画はイスラム教のタブーであり、それを巡って殺人事件が起きる。
犯人は誰か?
何故タブーなのか?
主人公の愛の行方は?
登場人物一人一人が一人称で読者に語りかけるという手法を用いていて斬新です。
イスラム社会や、その中で生きるユダヤ人の描写も面白いです^^
また舞台こそイスタンブールでの数日間に過ぎませんが、細密画師たちの背景の説明は中国・蒙古・インド・ペルシャ・ヴェニツィアにまでまたがっています。
ペルシャの『王書』や、『ヒュスレヴとシリン』の物語など、イスラム世界の文化に造詣が深ければ、もっと楽しめたでしょうね。
それにしても、主人公カラは現代の女性、特にシングルマザーにとっては理想的な王子様でしょうが、それでもヒロインにとっては問題大アリとはねw
2006年度のノーベル文学賞受賞者、オルハン・パムクの作品で、現代のイスラム原理主義と西欧化との衝突にも通じる問題を提示しています。
ニン、トン♪
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トルコのノーベル文学賞受賞作家、オルハン・パムクの初邦訳小説。
オスマン・トルコにもイスラームにも細密画にも馴染みはなかったのだけれど、自分の知らない世界について描かれた小説を読むのは、いつもわくわくする。
読者である私たちに向けて、主要な登場人物たちが語りかける形で物語は進んでいく。語り口そのものは平易なのだけれど、作中で展開される芸術論、文化論、細密画の歴史的変遷等々、その濃密さは時として息苦しくなるほど。ところどころに挿まれる、コーヒーハウスの咄し家が犬、木、金貨、死、悪魔などに成り代わって語る章が、その諧謔味のある語り口と、当時台頭してきた原理主義のホジャ(師)に対する痛烈な揶揄とで、その息苦しさをふっと軽くしてくれるような、効果的なアクセントになっていたように思う。
この咄し家がとりあげた題材が、エニシテが秘密裡に描かせていた絵と一致していること、内部事情に通じた者にしか知り得ないような内容が語られていることに、おやっと思わされるのだが、小説終盤でその謎も明かされ、なるほどと納得。
細密画師たちがスルタン付きの工房の職人であり、時の権力争いに翻弄され続けたこと、閉ざされた職人世界における師弟関係・弟子同志の特殊な関係性なども印象深かったけれど、エニシテが語る、西洋的手法で描かれた肖像画を初めて眼にした時の驚愕や憧憬、スルタンに献上された写本や絵、そして細密画師の辿る運命に対する絶望ぶりが一番胸に迫った。
――Benim Adim Kirmizi by Orhan Pamuk
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中世オスマントルコ帝国のミステリー。トルコがマイブームなので惹かれて読み始めたものの・・・・・。
文章が長くて読みづらい!難しい単語も混じってるし。
短編の連作みたいな作り方で、劇団ひとりの陰日向に咲くを思い出しました。
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章の組み立てや話者の設定などいろいろとたいへん凝ってて、手法もミステリー仕立てでひきつけるようにしてて、でもそれが消化不良にならないところで読者に「いい仕事だなぁ」思ってもらえる、稀にみる傑作だとおもいます。
トルコとかエキゾチズムに興味があるなしは関係なく、高級な「物語」が好きならどうぞ。
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斜陽にさしかかったオスマン帝国を舞台にした作品。
トルコ旅行前に読もうとしたけど読み終わらず、でもイスタンブールの地図を眺めていたおかげで作中の土地や位置関係が理解できて更に楽しめた。
その物語の手法や、主人公たち細密画師たちの思考や生活そして知識など、どれだけの調査や構想をしたのかというくらい重厚。
歴史小説、中世恋物語、殺人ミステリーなどなど、内容の要素は盛りだくさんで、それら全部を通して細密画師という「生物」の生態(生き方?)を見た、という感じがした。
読み終わった後は仔細に細密画を鑑賞したくなる。
ただ、原文がそうなのか翻訳のせいなのか、文章がとっつきにくくて慣れるまでくじけそうになる。
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読みづらかった。エニシテが殺されてからだ然スピードが速くなった。
章立てが細かく、一人称なので、おもしろい。
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ようやっと読めた・・・いったん返却して、読書会までにまた借りれるかな。
良心の呵責に悩む1週間になりそうだ
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16世紀末、オスマン・トルコ帝国の、スルタンの細密画工房に使える絵師たちを描くこの小説は、それ自体まさに細密画のような、絢爛で奥行き豊かな歴史ミステリーだ。
目次を眺めるだけで、もうわくわくしてくる。”優美さん”、”蝶”、”オリーヴ”、”コウノトリ”と呼ばれる絵師たち、彼らの忠誠を要求する名人オスマンと、ヨーロッパ絵画へ誘うエニシテという対象的な「父親」たち、「探偵」を演じるカラと、彼を翻弄する美女シェキュレ、狂言回しエステル、さらには、犬や木や馬、悪魔など、絵に登場するさまざまなものたちまで、多様な声たちが重層的に物語を織り成していく。
殺人事件と油断のならない恋をめぐるエンターテイメントであると同時に、人間を中心に置くヨーロッパのスタイルに脅威をおぼえつつ惹かれる絵師たちそれぞれの語りを通じて、世界を表現する芸術の営みとは何か、美のために生涯をささげる献身と、それにつりあわない評価について、異なる思索がはりめぐらされる。優れた絵を眺める眼が感じる喜びのように、物語をたどる愉しさを心ゆくまで味わうことのできる贅沢な小説だ。
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毎日こつこつ読んで、やっと読了。おもしろいんだけど、長かった。物語の世界や語り方に慣れるまでに少々時間がかかる。そしてもう少し、トルコの歴史の知識が必要だったかも。最後まで、犯人探しには引きつけられるが、ストーリーとはほとんど関係のない、「わたしの名は”死”」とか「わたしは悪魔」などの章が特におもしろいと思った。イスタンブールへ行きたくなりました。
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ノーベル文学賞を取ったオルハン・パムクの作品。ペルシャの細密画家の世界を舞台にしている。
「優美」さんと呼ばれる細密画家が殺され、その犯人を探すというのがメインのストーリーだが、ミステリーと呼ぶよりも芸術小説といった方がいいだろう。遠近法など、写実的な画法に富む西洋画の影響が細密画にもしのびよってきており、それとの軋轢や、細密画家のあるべき姿などが、多くの登場人物によって語られる。
その一つの核になるのが画家たちを統括する「エニシテ」と呼ばれる人物。その娘で軍人に嫁いだものの夫が戦争から帰ってこないシェキュレと、12年前にシェキュレに求婚するものの、振られてしまったカラとの恋愛も重要なサブストーリーとなっている。
非常に面白いが、細密画を知らないので、それがわかれば数倍楽しめると思う。