紙の本
正直言えば、メフィストに拠る作家たちの前衛のほうが、遙かに進んでるんじゃあないか、ってそんなふうに思うこともある。ヨーロッパ映画なら納得の一本
2005/06/18 20:37
5人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:みーちゃん - この投稿者のレビュー一覧を見る
もう見ているだけで楽しくなってくるカバーイラストは注によれば Illustration by colobockle で、装丁は Design by Shinchosha Book Design Division ということになる。しかし、この colobockle の手になる街並の絵、正直言って、欲しい。額に入れて我が家に飾りたい。ともかく夢があって可愛らしいのだ。線の擦れ具合、犬の様子、自転車、傘の置かれ方。いや、くちゃくちゃとした雲だって傘の上に唐突にあるレイン・ドロップスにしたって絶妙だ。しかも家々が建つ台地の表現。ほし〜いっ!
「イングランド北部のある通り。夏の最後の一日がはじまる。夕刻に起きる凶事を、誰ひとり知る由もないまま 。22番地の小さな眼鏡をかけた女子学生。彼女を密かに恋する18番地のドライアイの青年。19番地の双子の兄弟。20番地の口ひげの老人。そして、16番地の大やけどを負った男と、その小さな娘・・・・・・。通りの住人たちの普段どおりの一日がことこまかに記され、そこに、22番地の女の子の、3年後の日常が撚りあわされてゆく。無名の人々の生と死を、斬新な文体と恐るべき完成度で結晶させた現代の聖なる物語。」
以上がカバー折返しの文。
確かに文学としか言いようのない作品で、例えばこれを前述の紹介の「奇蹟」という言葉だけで読もうとする人がいれば、少なくともこのキャッチはペテン師の口上に近いものと映る。この言葉には実態はないに等しい。無論、そういう描写はかすかにある。物語の構成上、それがキーであることは嘘ではない。
しかし、それをミステリ仕立てで読むことは全く意味がない。むしろ、「たった一日という短い時間でも、そこで起こっていることを全部書き記そうとすれば、時間はどこまでも豊かに膨らんでいく」ということにこそこの作品の全てがある。究極の私小説とでもいうのだろうか。描写だけで文学は可能か、それに挑んだかのようである。
久しぶりに読む筋のない小説(無論、ストーリーはあるけれど、その意味は限りなくゼロに近い)で、新鮮には読んだけれど、正直、この訳文のスタイルは苦手だ。原文のカンマをそのまま読点に置き換えただろう文章は、英語の持つ特性を考えれば、そのままである必要はないのではないか。或いは、この気取ったいかにも一時代前の日本の詩をわざと意識させる訳は本当に原著の意図なのか、疑問に思う。
「現代の聖なる物語」などという、いかにも「セカチュー」のような感動、などとはほど遠い読後感なのだ。むしろヨーロッパ映画の原作には向いているだろうなあ、いや、これは映画なくしてはありえない小説ではないのか、そんなことを思う。
無人の宇宙で起きる現象に、観察者がいなければ、それはないものと同じ、とする科学者の言に、どこか釈然としない思いを抱く人は多いだろう。聞くものがいないところで生まれた音は、結局、無だという。さしずめ、この本などはそういった近代的な合理主義に対するアンチテーゼではないのか、いや、その合理主義に対する皮肉というか。
ただし、文学としての若さ、実験精神の面から見れば、私には今のメフィストやファウストに拠る作家たちの実験小説のほうが遙に前衛しているような気がしてならない。むしろ、一時代前の日本人作家たちが、長編こそ本当の小説、物語の復権、私小説の決別を叫んで作り上げてきた、それとは対極の小説がこれではないか。
話の展開による面白さの追求を止め、言葉だけの小説が存在しうるかを試す、その意味は分かるし、存在意義を否定はしない。でも、世の中にこんな小説ばかりが氾濫し始めたら、確実にわたしは読書を止める。座右に置いて、自分の現在を確かめる作品ではあるだろうけれど、この一冊!とはいいたくはない。
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これほどの美しい装丁本を私は知らない。タイトルもいい。
電車中でカバー無しで読んでいたい本。読んでいる姿を他人に見られたって許す。
「俺はこんな本を読んでいるんだ」なんて言いたくなる本は滅多に無い。
読後はインテリアとしても充分映える。本棚に置いてとっても優しい本だ。勿論内容も・・・。
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淡々と。同じ通りにすむ色んなひとの目から物語が語られる。その同じ時刻に、同じことを考えてる人は一人も居なくて、でもすぐそばで同じ奇跡を体験する。淡々と。そんな感じ。
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登場人物はほとんど名前を与えられていない。だが、一人ひとりの人生の一こまが丁寧に描かれることにより、生き生きとした色を見せる。奇跡は、起きているのだ。それと知らずに。
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ある通りの夏の最後の一日を綴った作品。
うまく表現できないが、優しく暖かい感じがした。
登場人物の一人、両手にひどい火傷を負っていて、妻をなくした男は娘に言うこの言葉が全てを物語っている。
「この世界はとても大きくて、気をつけていないと気づかずに終わってしまうことがたくさん、たくさんあある。奇跡のように素晴らしいことはいつでもあって、でも人間の目には、太陽を隠す雲みたいなものがかかっていて、その素晴らしいものを素晴らしいものとして見なければ人間の生活はそのぶん色が薄くなって、貧しいものになってしまう、と彼は言う。
奇跡も語る者がいなければ、どうしてそれを奇跡と呼ぶことができるだろう、と彼は言う」
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ごめん;;最後まで読めませんでした。
文章力はあるけど、物語の構成が単調な感じで、ショートだったら魅力的だろうけど、普通の長さだと。。。ってな。これからどうなるんだろ? と思えるものがないのかも。
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ある1日の描写。すべてが現在形で書かれており、淡々としているのに引き込まれてしまう、なかなか不思議な本です。タイトルが秀逸で、この一文が含まれる一節は思わずどこかにメモをしてしまいました。
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本当に装丁の通りの綺麗なお話。ありふれた日常なんだけど色々な人がいて、なんだか幸せになるなぁ。
可愛くってこんな通りに住んでみたい!素敵な空気のお話でした。
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タイトルと表紙に惹かれて手にとりました。
ひとつの通りに並ぶ家々の、無名の人々の日常を、しっかりとでもひっそりと描いていきます。
よくすれ違うあの人の顔は知ってても何をやってる人かなんて全然知らない。
知らないところで、悩みがあり、秘密があり、苦悩があり、幸せがあり・・・知っていたならきっともっと仲良くなれた人々、でも現実には知らないまま終わる人々。
でも確実に、そんな無名の人たちが関わりあって、この世界はいのちにあふれていく。そして死は誰かの胸のうちに残る。
その大きな奇跡の足元にある、ちいさいけれども確かに奇跡的な、一人ひとりの物語。
ポラロイドでぱしゃぱしゃと瞬間を切り取るような、独特の文体です。そのリズムが、作中のドライアイの少年のまばたきを連想させて、ひとつの世界観を完成させています。
詩のような構成の裏には、秘密があります。その秘密をあとがきで知って、またもう一度、読み返そうと思いました。
作中、「奇跡を語るものがいなければ、どうしてそれを奇跡とよぶことができるだろう」と一人の父親は娘に語りかけます。
人はそれまで見て感じてきたことで作られていて、何を奇跡として見るか、そもそも奇跡だと感じるかは、一人ひとり違う。
だからこの本の読者の数だけ、また語られる奇跡は増えるんだろうな。と思うと、少し心の穏やかさが増すような、さびしさを含むけれども温かいまなざしの本でした。
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見開きのページにはある通りの住宅地図が説明とともに掲載されている。
その通りに暮らしている人々の日常の生活を色鉛筆の優しく薄いタッチで描きだしている。
長編詩のような物語で、言葉が心地よく体につもってゆく。安らいだ感覚に浸ることができる。
「メガネの女の子」が語るお話、通りをスケッチする語りが順番に書かれている。物語と詩が交互に表れる。
メガネの子は22番地に住んでおり、この通りの人々ともある程度の距離で交わっている。そのメガネの女の子に恋をしている18番地の目がサワーな男の子。この二人、この通りに住んでいる人々を軸にして、お話はすすむ。
読書中は、ぼくもこの通りに住んでいるみたいだった。
散歩をしてみると、小さい女の子がいたり、スケッチする学生がいたり
ペンキを塗っている人がいる。
イギリスの春の季節に滞在しているようであった。
冒頭にくる文章がよいと、引き込まれる。
この物語もそうだし、同じことがいえるのは「ザ ロード」、「黄色い雨」。
ちなみに表紙のイラストレーションはcolobockleさんで
かわいらしい絵を描く人気のイラストレータ。
colobockleさんのアトリエもかわいいですよ。
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登場人物たちには固有の名前がない。だから、誰が誰なのか、どこに住んでいるのか、よく覚えて読んだほうが良い。そうすれば、無名の人たちに個性がで出てきて、各場面がイメージしやすい。
過去を描く文章は、再生からのスローモーション。緻密かつ繊細。
体言止めが多いので、リズムがある。一方、文長い。
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やっぱり5つ星。
すばらしい。
映像脚本を書いていたという作者の経歴に納得。
日常に潜む奇跡が、美しい映像として目に浮かぶ。
日々の大切さに、胸が詰まる。
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読み終わった後も素晴らしい作品だと思ったけれど、折に触れて、作品の中の一節や一場面を思い出す。今日、ふとしたきっかけでこの作品のことをまた思い出した。
現在形によって描かれる文章は、映像性が強く、まるで目の前に起こっている風景が文字を通じて頭の中に入ってくる様な感覚を覚える。だが、単に「映像的」というと、前衛的リアリズムの晦渋を思い起こすけれど、そういうのとは違って、この作品に描かれているのは、真摯な祈りであるように思う。文字によってでしか描きようがない奇跡。
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原題は"If Nobody Speaks of Remarkable Things"。
ジョン・マグレガーという若手作家の作品。
イングランド北部の一本の通り。そこでは普通の人たちが普通の暮らしを送っていた。
ある夏の日の夕方、通りで衝撃的な出来事が起こる。
その特別な一日を、朝から時間を追って、一つ一つの家、一人一人の人の動作と心の動きを客観的にコツコツと描き、再現していきます。
いたずら好きな双子の兄弟、将来への漠然とした不安を抱えたメガネの女の子、ペンキを塗るおじいさん、老夫婦、ドライアイの男の子・・・。
「特別な一日」を再現しつつ、間に描かれるのが現在の視点。
その日、その通りにいたある女性の「今」が一人称で語られます。
「特別な一日」が徐々にその瞬間に近づくのと並行して、彼女の抱えているトラブルも明らかになっていき、最後にお互いがリンクする、という仕掛け。
どこにでもいそうな普通の人たちにもそれぞれ些細な悩みや秘密や喜びや悲しみがあって、それは人の数だけ違うもので、世界の大部分はそういう人たちの生活でびっしりと埋め尽くされているわけで。
そう考えるとちょっと言葉を失うというか、めまいがするような気持ちになります。
それはそれとして、小説で普通の人々の日常を描いて飽きさせないようにする、というのは難しい。
半分近くまでかなり根気が必要でした。
徐々に面白くなっていき、最後の方はテンポよく読めるましたが。
まあまあいい本、という感じ。
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くせのある文章、最初はリズムになかなか乗れなくて、読みづらかった。
読んでる最中は、交互に描かれる時間の意味が分からず、引っ張りすぎだろうと思ったけれど、最後の最後で、登場人物達は認識していない、それゆえ、埋もれていた奇跡が浮かび上がる、読者だけに見える形で。
私たちが気付いていないだけで、本当はそこらじゅうに奇跡が転がっているのかも、と思わせてくれるやさしい話。