投稿元:
レビューを見る
中央アジアでいえば、カスピ海からペシャワールまで、地図上の国境線では見えぬひとつの文化圏が存在する。イスラム自体が一種のインターナショナリズムを基調としており、部族的な割拠性は保ちながらも、人びとは「イスラム教と」として同一性を自覚するのが普通であった。彼らに取って、国家とはつけ足しの権威であり、自分の生活を律する秩序とは考えられていないのである。日本人にはこの事実がなかなか伝わりにくい。(p.28)
数ヶ月ののち、たまりかねた私は、ついに気管切開に踏み切った(気管切開とは、喉に穴を開けて、直接気管かららくに呼吸ができるようにする手術である)。当然、患者は呼吸困難からは解放されたが、声を失った。同時に、それはまともな社会復帰が困難になったことをも意味していた。
ハリマという患者、ハリマという一個の人間はこれで幸せだったのだろうかという疑問は、しばらく自分を暗い表情にしていた。また、その当時のアフガニスタンとペシャワールの状況はあまりに絶望的であり、「人間」にかんするいっさいの楽天的な核心と断定とを、ほとんど信じがたいものにしていたからでもある。まるで闇の中からはげしく突き上げてくるような、怒りとも悲しみともつかぬ得体のしれない感情を私は持て余していた。人間の条件――乏しい私の頭脳で答えを得ることはとうてい不可能であった。だがおそらく当のハリマという患者自身もこの疑問を持っていたにちがいない。「イスラム」以外に語ることばをもたぬ者には、その率直な泣きさけびそのものが雄弁であった。(pp.102-103)
人々はまず破壊されたモスクを改築し、にわか作りの古屋に住んで家・水路の補修と工作に余念がなかった。秋までに冬ごしの食糧をたくわえ、住まいを整えておかねばならない。争いどころではなかった。ほとんどの人びとは首都カブールの政権争いなぞおよそ無関係で、目のまえの生活のほうが重要であった。つい数年前までけわしい目つきで戦場をかけめぐった戦士たちは、悪夢からさめたように平和な農村生活に復帰しようとしていた。
工作にいそしむこの農民たちの姿から、かつての獰猛で勇敢なゲリラの相貌をうかがうことは難しい。これが彼らの本来の姿である。そして、これがアフガニスタンの全土でおこり、現在進みつつあるできごとである。(pp.171-172)
外国人のおちいりやすい過ちは、理念にしろ事業にしろ、時刻で説得力のあるものを作成して現地とかかわろうとすることである。はじめはある程度さけられないことではあるが、それは現地でほんとうに役立つよう修正されねばならない。そうでなければ、現地活動が外国人を満足させるために存在するという本末転倒になってしまう。(p.177)
少なくともペシャワールでは、もっともよく現地を理解できる者は、もっともよく日本の心を知る者である。自分を尊重するように相手を尊重しようとするところに国際性の真髄がある。西欧社会だけが国際社会ではない。(p.184)
(中田先生)「人のために何かしてやるというのはいつわりだ。援助ではなく、ともに生きることだ。それで我われも支えられるのだ」(p.193)
投稿元:
レビューを見る
中村哲さんの活動をまとめた自伝的著書。
相手のためにととった行動が相手にとっては余計な事とは往々にして。相手に寄り添い理解することの大切さを。
また、欧米列強がアフガニスタンに何をもたらしたか。テロは悪か。イスラムは悪か。悪を生み出したのはどこか。そこは悪ではないのか。強者が正義なのか。
投稿元:
レビューを見る
中村医師が亡くなった後に発行された第七刷。帯には「名著復刊 追悼中村哲医師」とある。先に読んだ『天、共に在り アフガニスタン三十年の闘い』の前半約三分の一、アフガニスタンに最初の診療所を開いた後の1992年ころまでの記録。『天、共に在り』はより網羅的だが、本書は「名著」というのもあながち誇張ではないと感じた。
本書でもアフガン戦争におけるソ連や米国、腰の据わらない国際支援活動や商業主義に堕したジャーナリズムは厳しく批判されている。そして新聞報道などでは伺い知れない現地部族の掟やイスラム特有の慣習について認識を新たにする。
心に残るのは、サタールというペシャワール・ミッション病院の門衛や、『天、共に在り』にもあるハリマというらい患者のエピソードだ。敗血症や結核で死を覚悟するサタールを筆者は「かっこうをつけるな。恥をさらして生きなきゃいかんこともある」と叱る(p70)。サタールの妻も病に倒れ、子供たちはまだ小さい。六畳ほどの薄暗い小屋に暮らす七人の家族と日本から送られた真新しいジープの対比。
「自分は日本人であると同時に、もはやペシャワールの人間であった」(p200)と語る終章。一時帰国した豊かな日本への違和感や西欧的な価値観への疑問が集約される。我々が日頃疑うことのない常識への再考を迫る一冊。
投稿元:
レビューを見る
本書が上梓されたのが1993年。
今から27年前のお話である。
今でも日本人は、少なくとも日本人である僕は、アフガニスタンのことはよく知らない。
僕の周りの日本人もアフガニスタンのことをよく知っているとは思えない。
でも僕たちが何か大切なものを忘れて、終末に進みつつあるのではないかという本書で語られた中村氏の危機感には共感を覚えることができる。
同時に、本書で語られるアフガニスタンに残った「人間らしさ」にも郷愁に似たものを覚える。
もちろん、この郷愁はアフガニスタンの現状とはかけ離れたところにある理想主義的な幻影に過ぎないだろうと思う。
だから郷愁などと言うと、中村さんには怒られるような気がする(怒りはされなくても気は悪くされるだろう)。
でも「何か間違っているんじゃないか」という不安は、たぶんある一定の年齢を超えられた方より、若い世代の方に受け入れられやすいのはないかという気がする。
そして「僕たちの誤り」を相対化してくれる何かが、アフガニスタンには、本書にはあるように感じると言うと、多少は中村さんも許してくれるのではないかという気がする。
中村哲さんが凶弾に倒れてから半年になる。
僕は今日も「日本」という分厚い壁の向こう側で、のうのうと暮らしている。
のうのうと暮らしていける幸せに感謝したい。
そのためには他人の痛みに無関心であってはいけないのだろう。
そんなことを考えた。
投稿元:
レビューを見る
「ボランティア=善」のような考え方が悲惨な現状を知らない特に我々のような先進国の人たちにはある。支援が必要な現場の生々しい様子を本書では少しだけ理解することができるし、ただ自分たちが思う善い行いもそれが本当に正しいことなのかは、現場の文化や風土、情勢を理解しないと語ることはできない。
中村哲さんをはじめJAMSの方々は本当に偉大な方だと思った。
投稿元:
レビューを見る
中村哲さん死亡の報せをきっかけに購入した1冊。
自分たちが当たり前のように感じて不思議にも思わないことを、淡々とした事実ベースで根底から覆してくれる、そんな中村さんのストレートな表現に心打たれると同時に、深い共感を覚えた。
「人がやりたがぬことをなせ。人のいやがる所へゆけ」
中村さんのこの決心が、何よりも心に響いた。
投稿元:
レビューを見る
亀岡図書館では、この本っが学童書のコーナーに置かれている。なぜ?漢字のほとんどにルビが振ってあるから?笑
さて、この本、何かの小説で出てきたのをきっかけに借りてみたんだけど、内容は1992年出版のものだけど中東の世界を医療の現場の目からすっごく分かりやすく紹介されており、なぜアメリカを嫌っているのかも十分にこの本だけで理解できます。
アフガンといえばついつい映画ランボーの世界やフセイン率いる湾岸戦争、911のビンラディンを思い浮かべるけれど、イスラム教のなんたるか、郷土、民族、集落など、この中東がなぜ国境という得体のしれないもので区切られてしまったがために無駄な抗争が起こったのかもよくわかる。
らい病根絶という途方もない目標に活動されている医師団やNPO、多くの国際的な救済組織も現場目線から捉えるとこういうことなんだなぁと考えさせられた。ボランティアと言えば響きはいいけれど、その多くが親切の押し売りでこれはアフガンに限ったことではなく災害地に押し掛ける国内のっ現状でも迷惑千万な話をよく聞いたりする。
最後のまとめはありがちでありながらも日本国民の民度の低下はアルガン人にも劣るなぁと痛感する。
作られた小説ばかりでなく、時にはこんなドキュメンタリーを読むのは必要と再認識した。
投稿元:
レビューを見る
多民族国家、テロ組織の温床、イスラム国家、オリエンタリズム、アラビアンナイト…ほんとうに、私はこの辺りの地域について、わからない。
中村哲さんが亡くなり、その活動や信念に触発されてこの本を読んだ。やはり、歴史的、政治的な背景はなかなか理解できなかった。とにかく日本と状況が違うのだ。おそらく、現地に行って生活してみないとわからないことなのだ。そのあたりのことは諦めて最後まで読んだ。
この本はアフガニスタンでハンセン病治療にあたった10年間の活動を記録したものである。ただ、ハンセン病治療だけを記録したものではない。むしろ、中村哲さんがアフガニスタンに降り立ってからの10年間で得た「人間の根源とはなにか」を日本人に問う哲学書のようなものと感じた。
後書きにある「人が守らねばならぬものは、そう多くはない」という言葉を忘れずに生きていきたいと思った。国家だの政治だの経済だのネットだの、大局を見ると正しいことがわからなくなってしまう今の世界で、結局は個人が何を守りたいのか、そのことを絶対に見失いたくない。また、理解できぬ相手だからといって、一方通行の価値観を押し付ける人間にも絶対になりたくない。ボランティアや国際協力で一番大事なことは何か。人を助けるということはどういうことなのか。この本は中村哲さんの実体験をもとにそういったことを伝えようとしている。
私にとって、生涯にわたって読み返したい大切な本になった
投稿元:
レビューを見る
中村哲さんのお名前は存じあげてはいたものの、何をされた方なのかが不明のため、復刊されたこともあり手に取ったアフガニンスタンの診療所からは、アフガニスタンでの奮闘記。物資の少なさもさることながら、イスラム教徒と遊牧民という土地柄、文化も違えば風習も違う地で、治療にあたる姿は時にユーモラスに、時に皮肉まじり。「無思想・無節操・無駄」の三無主義とけむに巻きながらも、現地の風習や習慣によりそい、治療にあたった姿は国際協力やボランティアとは何かを考えてしまう。
投稿元:
レビューを見る
20201213読了。
初版1993年。
真剣に考えればぞっとするような問題でさえ、21世紀に向けて、だのグローバルだの、地球にやさしいだのという流行語で、うわべをよそおって安心しているのが日本の現状だと思えてならない。〜後書きから引用〜
27年も経っているけど、グサグサ来る。2019年12月9日から一年。
また明日から頑張ろう。
投稿元:
レビューを見る
ブックカフェで読んだ。中村哲さんについてはテレビのドキュメンタリー番組を少し見たことがあるくらいで、ほとんど知らず、異国で活躍しノーベル平和賞候補にあがった医者くらいの認識しかなかった。この本を読んで中村さんがどんな心持ちで活動したのか知ることができて面白かったと同時に、どうしてここまで遠くからボランティアとして品を送る人と、現場で実際に求められるものが食い違ってしまうのか気になった。中村さんが作中で述べるには、現場で簡単に手に入る物資がたくさん送られてきてしまうこと、しかもそれが善意から届けられたものだけに、落胆してしまうらしい。双方にとって悲しいことだと思うから、改善されないかと思った。
投稿元:
レビューを見る
自分たちの主義や思想が正しいと思って疑わない先進国の傲慢さと戦い、砂漠に水をまくような支援活動に命を捧げた中村氏の言葉は重い。
投稿元:
レビューを見る
アフガニスタンの情勢を普段は一考だにしないのに大きなニュースとなるとその字面だけ追って、想像できる範囲内で断定する日本人。中村氏曰く「ノリとハサミでつないだような議論」に、私は違和感を覚えていた。価値観の押しつけ、ヨーロッパ近代文明の傲慢さ、自分の「普遍性」への信仰が、いかにアフガニスタンで暴挙を振るい、その土地を、無辜の人々を蹂躙してきたか。日本では見えにくくなっているものを知るために、この本はあらゆる人に読まれる必要がある。行動してきた人だから云える言葉にあふれている。「もともと人間が失うものは何もないのだ」これは中村氏だから発せられた言葉だ。
投稿元:
レビューを見る
米国のアフガニスタン撤退をきっかけに読む必要があると思った本。
なぜ、タリバンがあれほど、いとも簡単に政権を奪ったのか?この答えが、この本を読むと理解できるのではないか。
どうも、我々は、西側のメディアの影響を受け過ぎているようだ。
他の著者の本も読んでみたい。
以下抜粋~
・辺境社会の慣習法は、近代的な国家や、法の概念をよせつけない。”復讐”、”もてなし”、”聖戦”、”名誉”、”旅行者の保護”、”会議”などは有名であるが、パシュツゥンはイスラム教徒であり、この掟はイスラム教と遊牧民的な部族制度の秩序が混在したものといってよかろう。
・中田先生曰く、「人のために何かしてやるというのはいつわりだ。援助ではなく、ともに生きることだ。それで我々も支えられるのだ」
先に進んだA君の死体をみて、B君は電光のように悟った。『ぼくはC君を助けるつもりで歩いていた。だが、じつは背にしたC君の体の温もりであたためあい、自分も凍えずに助かったのだ』
このB君の心境である。「現地は外国人の活躍場所ではなく、ともにあゆむ協力現場である」というのが我々の指針である。
・今まで、発展途上国ということばが、後進国の差別的イメージをさけるために使われてきた。だが、はたして何に向かっての発展なのか。もっと公平にいうならば、先進国も発展過剰国といいかえるべきである。無邪気に技術文明を謳歌する時代はすでに過ぎ去った。
投稿元:
レビューを見る
当時のアフガニスタン・パキスタンがよくわかる本。
結局、この終わる気配の見えない不穏さの発端は、欧米の植民地支配と、米ソの醜い争いと、英米をはじめとする勝手な思い込みによる押し付けだった。
文化を理解せず、自分たちの理想を勝手に押し付け、現地民が反発すると犬以下と言って侮辱し、殺戮する。
それを何度繰り返したら気が済むんだろう。どれだけ人を馬鹿にしたら気が済むんだろう。
人は歩み寄ることが大事。
わたしみたいなただの一般市民ですら分かることを、なんでたくさんお勉強した方たちは存じ上げないのでしょう。一回フラットな目で見てみたらいいのに。
この本は1993年に初版が刷られたとのことで、もう30年近く前の作品だけど、拝金主義に勝手な押し付け、格下・格上理論などなど醜い人間って残念ながら国内外問わずまだまだ全然いる。
「わたしたちは戦争をしません。」、この言葉に優るものなんてない。
わたしたちがこの意志を提示していくことが、ひいては自分たちを圧倒的なパワーで守るんだって、本を通して教えてもらった。
だから日本はぜったいにぜったいに、憲法九条を変えてはいけない。
・他人を尊重すること
・助けるのではなく、助け合うこと
人が生きる上で、本当に必要なものって全然多くない。
豊かさって、モノや情報じゃない。
もう経済成長はいらないから、搾取のない豊かさを取り戻したい。
執着せずに適度なLOVEをもって、搾取のないPEACEな世界を作ろ。
中村哲さんの想いが少し分かった気がした。