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「たいへんな作家」いしいしんじの長編大作。優しい表現で、子どもの視線で、しかし人間の暗部を余すことなく真摯に残酷なまでにさらす物語に、最初は衝撃を受けました。なんでここまで痛々しさを見せつけるんだろう。。でもいま、あるがままをとことん抱きしめることの重さ、それが生きる力であることをひしひしと感じています。わたしにとって軸となる一冊です。(さきさん)
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久しぶりのいしいしんじワールドを読んだ!最初の橋の多い町の話がよかったです。なぜってメリーゴーランドがかっこよいからー。いしいしんじさんの書く話はすごいです。大人の童話?みたいな感じですか?わかんないけどとにかくリスペクト
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「じゃあさ、ほんとうのつぐないって、いったいどういうのだろう?」
「みんなそいつを、一生かけてさがすんじゃないかね。泥の中をのたくるみたいに」
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うなぎ女に育てられたポーの物語。沼川の上流の町からどんどんと流されていきます。
登場人物の名前の付け方がおもしろいです。
なんだろうこの不思議な魅力は。上手く説明できません。
09’9’27
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最近の作家さんの中ではダントツ!天才だと思う。水の中に漂う感覚。この本を、ご本人から紹介していただいた私は、本当に幸せだと思う。
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何かを得ては失い、また得る。誰かと出逢っては別れ、また出逢う。
はじまりは終わりで、終わりははじまり。
ひとつの輪となって廻り巡る、永遠の物語。
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読み返すうちにどんどん好きになった。うみうしの辺りで何故か泣いてしまう。頭ではよくわからないけど涙が出る。
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とても清らかな物語。
再生の物語でもあるのかな。
すごく不思議な登場人物がいろいろ出てくるけど、
彼らに対しての詳しい説明は一切ないし、
物語の世界に関しても詳しくは語られないので、
これはどういうこと?いったいなに?といった疑問を持たずに
書いてある文字をそのまま飲み込むようにして読んだ方が
面白く読めると思う。
20100222
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うなぎ女・・・不思議すぎる。
作者の想像力、すごいなあ。
固有の名前を出さずにへんなあだ名(?)しか出てこないのがいい。
天気売りがすきだったなあ・・・
最後のほうどんどん切なくなっていく。
うみうし娘が見えなくなってしまったときとか。
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うなぎおんなから生まれたポー。
率直で曇りのないまなこで世界を見る。
でも、少し、怖い存在に思えた。
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ポーがメリーゴーランドと出会った辺りから物語に入り込めるようになった。
登場人物それぞれに欠点があるところがいい。
天気売りにはなぜか癒される^^。
でも最後のちょっと前あたりがよく分からなかったな・・・。
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人間なのか、そうじゃないのかよく分からない妙な登場人物たちが出てくる不思議な物語。
うなぎ女って、うなぎなのか、人なのか、そんなことを真剣に悩んでしまいました。
はっきり理解できないけど、なんだかじんわりと迫るものがあります。
これはしばらく経ってから、読み返したほうが良いかもしれない。
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「潜るだけじゃあ、だめなんだよ」
船長はしわがれた声で苦笑した。
「いったろ、潜ったら、今度は浮かぶんだ。そいつが素潜りだ。じっと息をこらえたあと、じたばた水をかいてよ、上に飛びあがって、大きく息を吸う。それではじめて、楽しみを味わったっていえるんだ」
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まだ読んでいない方はこの感想を読まないで下さい。シュールないしいしんじの世界。スフスフ、スフスフ。泥の中の気泡が湧き上がるようにいしいしんじの世界は胸の奥に入り込んでくる。第一部混沌とした泥の川に棲むうなぎ女から生まれたポー。純粋な母の愛に包まれて育ったポーは無垢の存在。うなぎ女たちの言葉にならない言葉から川での暮らし方を学んだポー。ただ母親たちの言葉のなかにも解らないものがある。手に触れず、見えも聞こえもしないもの、「たいせつなもの」成長したポーは下流に出かけそこでメリーゴーランドやその妹ひまし油と出会い、川の外、陸の生活を知る。「罪悪感」を知り、「つぐない」を知る。500年に一度の大洪水に町は泥の川の中に飲み込まれる。ポーは母親たちと別れ下流へと旅立っていく。洪水でおぼれた人々を助けこの世のバランスを守ったうなぎ女たちは上流へと帰っていく。この泥川はポーに繋がっている。同じ空を見ている。ポーの幸せを願いながら去っていく母親たち。何か象徴的。そこには成長していく子どもが親離れしていくのを見送る母親がいる。ああ、メリーゴーランド、昼間は女たらしの電車運転手、夜は泥棒のメリーゴーランド。彼が盗むものは一度限りベットを共にした女たちの記憶がカラーから白黒に変るころその女たちが大切にしている思い出の品を一つ。これも何か象徴しているよう。メリーゴーランドの記憶が消えていくときにそれまで大切にしてきた記憶をとどめる品物を盗んでいくなんて。彼は淋しがり屋で優しい男、「こんばんわ奥さん」私の耳元でもささやいて言ったらしい。第二部天気売りと一緒に下流に流されてきたポーは犬じじと出会う。「ひとがなにかをつぐなおうって頭で思うとき、それはだいたい、自分のこころを慰めるためにやっているんじゃないか。・・・つぐないようのないことがこの世にはいくらでもある。」そんな猟師の犬じじは黒犬子どもの目で猟をする。犬じじの孫の少年はどの鳥にもそれぞれぴったりのその鳥らしい巣箱を作っている。罪悪感の塊のような女ぬすっと、その死から死者を大切に扱うことをポーは教えられる。犬じじと女ぬすっとと孫の間にある過去が想像されその死を乗り越えた少年の成長が感じられる。さらに川を下り出会う埋め屋の夫婦、天気売りの才能が生かされる。天気売りはここではそれぞれの頭の上にある空はばらばらだと感じる。おなじ空を分かち合っているからこそ空を通じ繋がっていたはずなのにばらばらの空の下では何が間違って何が正しいのかもわからなくなってくる。火事の中天気売りは「たいせつなもの」をとりに火の中に入っていく。そして投げたのはポーの女人形。天気売りのたいせつなものはポーだったという事か。第三部とうとう海に流れ出たポー。老人たちの暮らす浜辺にたどり着く。老婆もまた母であり、老人たちが海の息子と娘たちであることを知る。ことを知る。毒の吹き出る洞窟に棲むウミウシ娘たち。ポーの辛い選択。一番こころが震える。ポーはずっと奥の深いところにもぐりこの世とあの世の境を知ったのか。大うなぎはポーの内側に入ることでポーを救ったのか、失ったのか。「たいせつなもの」それはポーにとってなんだったのか。かなしくてたいせつなものをしったポー。だがもう手���触れず、見えも聞こえもしない大切なものが何なのかポーにはわかっている。三部のどれものクライマックスにキュンとなる。それはひまし油の大切なもの(人)だったり天気売りのたいせつなものだったりポーのたいせつなものだったり。そして最後にそれぞれのその後とうなぎ女たちが返って来た泥の川に新たなポーが生まれ、新たな物語が始まる予感で終わる辺り、川の水は流れ海にたどり着きやがて空に上り雨となってまた戻ってくるそんな循環を思い出させる。ストーリーに惹かれ大急ぎで読んでしまい、しまったと思いもう一度読み返してしまった。なのに2度目も新鮮という事は以下にあわてて読んでいるかという事か。反省。07・4・26
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宮沢賢治を彷彿とさせる不思議な文体と世界観。
はじめは慣れなくて戸惑うのですが、登場人物や事物が、私たちの生きる世界のことを象徴しているので、すごく共感するし、心を打たれる。
なぜか琴線に触れる言葉がたくさん。