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古典は難しい。というのはその時代背景が分かっていないとキャラクターの性格や行動に共感しにくいことがあるからだ。主人公のハンス・カストルプはハンブルグ出身の無垢で「単純な」青年であり、その性向は当時の比較的裕福な階層の若者としては平凡なものなのだろう。物語は彼が「魔の山」と呼ばれるスイス高原ダヴォスのサナトリウムで療養中のいとこを尋ねると頃から始まる。そこで出会う患者たちとの関係を深めていくうちに、彼も(おそらく肺病に)罹患し、生活を共にすることになる。理性と道徳という視点から人間のあるべき姿を説くセテムプリーニとの対話ややせ細ったロシア人のショーシャ婦人への仄かな思いなどが延々と語られるのだが、やはり素直に共感は生まれなかった。下巻ではどのような展開になるのだろう。
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上巻だけで700ページ。なかなか読み応えある。
小説の形をしていながら、思想を語る哲学書。
死が日常にあるサナトリウムで、生と死と恋愛と嫉妬の感情が描かれる。はしゃいだり、調子に乗ったりするシーンは若い恋を思い出させられてなんとも恥ずかしい。
学校のようでもあり、ムーミン谷のようでもある。
われわれ人文主義者は、みな誰も教育者的素質を持っているのです。
しかし人生が美しいのは、女が魅惑的な装いをするという当然のことによってなのだ。
そうですね、生とは死ですよ。
もしこういう言葉が許されるものなら、あなたは人生の厄介息子だーあなたは眼が離せない。
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本当は岩波文庫で読もうと思っていたんですが、新潮文庫に日和ってしまいました。
それでも、読むのは大変でした。
なにせ長い!
読む前は、なぜいとこが療養しているサナトリウムに3週間も見舞いとして滞在するのか、そこが疑問でした。
だって、結核って伝染病でしょ?
なんで見舞いに3週間?
見舞いと言えば見舞いなんですけれど、ハンス自身も体調があまりよくないというので、転地療養をするように医者に言われて、いとこのいるサナトリウムに来た、と、そういうことでした。
それにしても体が弱っている時に、結核患者のたくさんいる所へ来るという時点で彼の運命は決まってしまったと言えましょう。
3週間後、彼は見舞客から患者になってしまうわけです。
しかし、初対面の時から何度も折に触れセテムブリーニは「山を降りるように」と彼に言い続けていたのです。
なぜ彼は降りなかったのか?
彼は常に周りを見下しているのです。
下層階級である。知性がない。見目麗しくない。
つまり、自分とは別であると。
しかし、ハンスは自分を客観的に見ることはできていない。
世間を知らないし、自分を知らない。事実ではなく、自分の脳内で思い描いたことを見ているだけだから。
そんなハンスにセテムブリーニはいろいろなことを語ります。
文学、政治、歴史、生物、天文、宗教、恋愛。
それに対してハンスは反発を覚えながらも、耳を傾け、いろんなことを学んでいくわけですが、やはり山を降りようとはしない。
恋に落ちてしまったんですね。
それもかなり一方的な、妄想まみれの、独りよがりの。
どこまでも独善的な男です。
そして、山の生活。
自由といえば自由。不自由といえば不自由なその生活とは、1日5回の食事(第一朝食、第二朝食、昼食、ティータイム、晩餐)、そのあいだ間に挟まる散歩と安静(昼寝)の時間。
夜、読書灯の下で本を読み、疲れたら窓の外を眺めるとそこには満天の星。
そりゃあ、山から降りませんよ。私でも。
まさに取り込まれています。魔の山に。
セテムブリーニの語る言葉が、とにかくわくわくするほど読み応え満点。
クロコフスキーの精神分析部分が意外にあっさり終わってしまったけれど、下巻で再び取り上げられるのでしょうか。
難しいけど、面白い。
下巻も楽しみ。
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ドイツの偉大な教養文学というだけあって教養になる物事が山程詰め込まれた本。人間を科学的な面での身体から、精神やら思想やら芸術について突き詰めてあってとても面白い…そして難しい。「文学とは常に“苦悩”について描かれている」という言葉が腑に落ちたし好き
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ハンス・カストルプは、ダボスのサナトリウムで療養中のいとこを訪ねたが、滞在中に病に罹り、そこでの長期療養を余儀なくされる。療養生活の中でショーシャというロシア婦人に思いを寄せるようになり、謝肉祭の夜に告白する。しかし、それは彼女が翌日サナトリウムを発つという日であった。
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自分が大学時代に読んだ本の中で一番尊いものです。何度も受けた(単位が取れなかったので)独文の授業もこのためにあったのだと思う。これはノルウェイの森の下敷きになっている
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意外と読みやすく、ウイットに富んだ表現などもあったが、面白くないものは面白くない。
名作だから読むべきなのではなく、楽しい時間を過ごせる本を選ぶべきなのを再度実感。
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舞台は第一次世界対戦前、スイスの山奥にあるサナトリウム。ヨーロッパ中から結核患者が集まって療養している。
マンは講演で「私は一生を通じて一つの物語を語りつづけてきた市民的作家であって、市民性から脱却する過程を語りつづけてきた。」と言っており(河出書房版解説)、
主人公「ハンス カストルプ君」は、「ドイツ君」だと考えれば、読みやすく分かりやすい。
キャラクターの濃いのがたくさん出てきて個人的にはめちゃくちゃ面白かった。
中でもゼテムブリーニとナフタの、ハンスカストルプを賭けての思想合戦が面白い。が、難しく理解したとは言えないので、知識を付けて、10年後ぐらいに再読したい。
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魔の山の「魔」は魔法の魔。私は悪魔の魔だと勘違いしていたが、英語ではmagicと訳されているらしい。
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前々から気になってた作品。今年読んだ本で引用されたり考察されたりが続いたのでこれは読むタイミングだなと。主人公ハンスの人間的の成長や変化が、爽快でサクサク面白いというのとは全く逆の濃厚さというか重厚長大さというかで描かれていく。どうしたらこんなのが書けるのか。
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何か特別なことが起こる(上巻の最後ではちょっとしたことがあったが)わけでもないのに、知らぬ間に療養所の毎日に引き込まれてしまう。
この小説は「教養小説」と呼称するのだそうだが、確かに医学などのかなり専門的な記述などもあって、それらが主人公の成長を促しているものの一部になっているということなのか。
下巻で展開がどうなって終末に向かうのか見届けたい。